[ 入院14日目 ] 完璧に始まる

2018/08/28 | trackback [ 0 ] | comment [ 2 ] | がん告知まで


一睡もできないまま迎えた入院14日目は、朝6時、いつも通りの採血・血圧測定・検温に加え、血栓予防の皮下注射をすることから始まった。
これから1週間、朝と夜の1日2回、二の腕のあたりに注射するらしい。
「さすがにこれは痛いと思うんです……」
看護師の佐藤さんが申し訳なさそうに言っているのを聞きながら、あたしは別のことを考えていた。

1週間後もあたしはここにいるんだ。

手術が終わったら退院できると思っていたわけじゃない。
実際、医師からも看護師からも退院の話をされたことはないし、こちらから訊いてみたこともない。
ただ、入院してからずっと、遠くても明後日ぐらいまでの予定しか立たない状態だったから、1週間後の自分を想像できたのは初めてだった。

「じゃあ今は右腕にしますね。今日の夜は左。同じところに注射し続けるとシコリになることがあるので、右と左、交互にしていきます」
「はい」

今日から1週間ってことは、この注射が終わるのは12/20。
手術で回収した破裂した卵巣の病理検査結果も1週間後くらいにわかるって言ってたから、12/20ががん告知日ってことか。

「消毒します。アルコール、大丈夫ですか?」
「はい」

12/20って、ほぼ年末じゃん。
やだ。もしかして、病院で年を越すの?
なにそれ。すごく嫌なんですけど。

「採血の時より痛いと思いますけどちょっとだけ我慢してくださいね」
「はい」

でも、病院で年を越すのは、治療ができる場合だよなあ。
もし手遅れだったら家に帰れるよね。
だって病院にいても治らないんだし。

「いきまーす」
「はーい」

よし。手遅れだって言われたらすぐに退院しよう。
で、家に帰って、身辺整理しよう。
その前に会社か。退職願い出して、仕事の引き継ぎして、私物まとめて。
あー、面倒くさいなー。

「はい、おつかれさまでした。終わりましたー」
「はーい」

でも、手遅れっていっても、いまいま死ぬわけじゃないよなあ。
3ヶ月とか?半年とか?

「痛かったでしょう?」

1年だったら、働けるうちは働いてお母さんにお金残すってのもアリか。
うーん。余命によりけりだなー。

「MYKさん?」

3ヶ月未満だったらすぐに退職願だすことにして、余命が半年以上だったら、告知されてから考えるか。
うわー、悩ましいわー。

「MYKさん?」
「え?はい?」
「注射終わりましたよ?」
「ああ、はい」
「大丈夫でした?」
「はい」
「痛かったですよねえ?」
「あ、ぜんぜん。刺したの気づきませんでした
「えっ!」
「え?」

命の危険を感じるレベルの痛みを経験したせいで痛覚がおかしくなったのかと焦ったけれど、佐藤さんがすぐに気づいた。

「ああ、痛み止めのお薬を入れてるからかもしれませんね」

そうだ。背中から痛み止めが入ってるんだった。

手術室で麻酔のため硬膜外に挿入されたカテーテルは、手術が終わっても抜かれることなくテープで固定されたままで、いまはそこから継続的に痛み止めが入れられていた。
痛み止めの薬が入った小さなボトルは、専用のネットに入れられて枕元に置いてある。
改めてよく見てみると、ボトルの中は、〝いつでも新鮮〟が売りのお醤油のボトルみたいな密閉構造になっているようだ。
なるほど。うまくできてるわ。
佐藤さんはそのボトルを手に取ると、「残量をはかりますね」と言って、持ってきていたデジタルスケールをテーブルの上に置き、ボトルの重さを量った。

「その痛み止め、いつまでもつんですか?」
「いまのペースでいくと、おそらく明後日までは」
「少ーしずつ入ってるんですね」
「そうなんです。お腹、痛みますか?」
「いえ、大丈夫です」
「痛くなったら量を増やせますからね。それから、このお薬が全部無くなったらカテーテルは抜きますけど、その後は痛み止めの注射もありますし、飲むお薬を出すこともできますから」
「痛みが続いても大丈夫、と」
「はい。痛かったら我慢しないですぐに言ってください」
「はーい」

痛み止めといえば、O病院で投与された時のことを思い出す。
あれで自分が、〝痛みには強いけど痛み止めには滅法弱い〟ことを自覚したのだけれど、いまのこの痛み止めならぜんぜん平気だ。
意識を保っていられて、かつ、痛みがない。
完璧。完璧だ。



こうして始まった入院14日目だったが、この日あたしは、痛み止めのせいで心身ともに追い詰められ、最悪の事態に陥ることになる。



[ 次回更新は8/30の予定です ]



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院13日目 ] ハナちゃんのこと

2018/08/25 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


夜も8時になろうかという頃、同僚のハナちゃんが病室にやってきた。
全身真っ黒のいつものスタイルで。
病室に入ってきたハナちゃんは、何度も会ったことのあるうちの母を見ると、拗ねて渋々頷くように、首を前につきだした。
それが挨拶、らしい。
思春期かよ。(いいえ、アラフォーです)
ハナちゃんは、あたしが勧めたパイプ椅子に腰をおろしながら、病棟がわかりにくくてずいぶん迷った話を笑い声をあげて語ると、ふと、あたしの脚につけられたフットポンプに目をやって、「なに?これ」と言った。

「血栓予防だって」
「へーーー。これやってないと血栓ができて血管詰まっちゃうの?」
「その可能性が高まるらしい」
「あははは!じゃあちょっと止めちゃおっかなー」

人さし指を伸ばし、いまにもOFFのボタンを押そうとするハナちゃんを見て、あたしは静かにため息をついた。
ハナちゃん。そういうとこだよ。

もちろんハナちゃんは、あたしがいま絶望していることなんか知らないし、30分前に、母とあたしの間にフットポンプがらみでひと悶着あったことなど知るはずもない。
そしてハナちゃんは、自分の冗談で、背後にいる母の表情がこわばったことも知らない。
付き合いが長いから、ハナちゃんに悪気がないのは十二分にわかっている。
でもね、悪気さえなければどんな振る舞いをしても許されるってわけじゃないんだよ。絶対に。
あたしか母が軽口を叩いたのに乗っかったのならいざ知らず、自らすすんで自分以外の誰もが笑えない冗談を言うハナちゃんの思考回路は、いつもよくわからない。
けれどもう、わかろうともわかりたいとも思わない。
〝ハナちゃんはそういう人〟と諦めたのは十年以上前のことだ。

「止めてみてもいいよ。すぐにナースコールするけど」

あたしがそう答えると、ハナちゃんの話はフットポンプからナースコールに移り、「押したら病室側でも音鳴るの?」とか「すぐ来る?」とか、質問を続ける。
その後もハナちゃんは、あたしにつけられている点滴や器具をいちいち指差しては、「これは何?」「これは?」「こっちは?」と訊き続けた。
答えるのが面倒になって「わかんない」と言うと、「ちゃんと訊かなきゃダメじゃん!」と叱られた。
ハナちゃんの話はいつも、前触れなしにコロコロ変わる。
こんどは、あたしが着ている入院着に話が移ったらしく、掛け布団で隠れてる部分を指さして、「上下分かれてるやつ?」と訊いてきた。
「ううん」と答えると、「ああ!寝返り打つと前がはだけちゃうやつだ!」と大きな声で言ったあとで、「あはははは!」と声高らかに笑った。手を叩きながら。
そんな調子で続く質問はいちいち大声で、喋る速度は加速し続けている。
手術時の挿管で喉が痛いなか返事を求められるのは、億劫で苦痛だった。
しかも、麻酔の影響なのか頭がぼんやりしていて、ハナちゃんの早口に理解力がついていかない。
〝もうそろそろ勘弁してくれないかなー〟
そう思い始めた頃、消灯15分前を告げる病棟のアナウンスが流れると、ハナちゃんは、「まっ、元気そうで安心したよ」と言ってバタバタと帰っていった。
元気…そう…だと?
お前の眼は節穴だな。



嵐の去った病室には、疲労困憊のあたしと、ずっと続けていた作り笑いをやめて憮然とした表情になった母が残った。

「ハナちゃん、何がおもしろくてあんなに笑ってたんだろう」

母が、堪えていた不満を語りだす。

「フットポンプ止めるとか、背筋凍ったわ……」

次々と不満がこぼれ出す。

「あれ、お見舞いに来たんじゃなくて冷やかしでしょう」

母がそう思うのも当然だ。
でも本人は、あれでも見舞ってるつもりなんです。
だから始末に負えないんです。

「MYKちゃんが怒んないから私もなんにも言えなかったけど、怒ってもよかったんじゃない?」と母は言った。

母に限ったことではなく、ハナちゃんの話をすると誰もがそう言う。
それでもあたしが怒らないのは、過去の経験からその先がわかってしまっているせいだ。

ちなみに、会社でボスとあたし以外の人がハナちゃんにダメ出しをすると、ハナちゃんはきまって、「でも!」か「だって!」と、猛烈に反論する。
その様子をあたしは、〝叱られないまま大人になった典型だなあ……〟と思いながら眺めている。
叱られるのがとことん下手だなあ……と。
ところが、ボスやあたしがダメ出しをすると、なぜかハナちゃんは泣く。100%泣く。
そして泣きながら謝る。
あたしが「わかったよ。もういいよ」と言うまで、〝本当に悪いと思ってるんです。反省してるんです。でも許してもらってないから……〟という雰囲気を全身にまとい、あからさまにオドオドした態度で接してきて、それでもあたしが冷やかでいると、背を向けて涙をぬぐったりする。
〝私なんかに話しかけられるのは嫌かなと思って〟とかいう幼稚な理由で、必要な連絡や報告をしなかったりもする。
思春期かよ。(2回目)
あたしが許せばその不自然な態度は元に戻るけれど、忘れたころにまた同じようなことをやらかす。
つまり、あたしがダメ出しをしても叱っても怒っても、なんにも変わらないのだ。

ハナちゃんがいつまで経っても変わらないのは、変わる気がないからだ。
だとしたら、いくらあたしが〝改めるべき〟と思ったところでどうしようもないし、ハナちゃん自身がいまの自分を良しとしているのなら、あたしに出来ることは〝気にしないこと〟ぐらいしかない。

これが友達なら全然違うんだけどなあ……といつも思う。
たとえばあたしは親友のユウコさんにダメ出しをするし、ダメ出しもされる。
けれど、それがきっかけで喧嘩になることはない。
ちなみに一番最近されたダメ出しは、あたしが、ゆるく続けているダイエットらしきものの効果で凹んできたお腹を見せた時のこと。
ユウコさんは、凹んだ箇所より上に目をやり、「この肉、なに?」と言った。

「え…。た、たぶん、むかしはバストだった…脂肪…」
「でしょ?それを元の場所に収めないと」
「ダメか…」
「うん、ダメ。むしろこっちを先になんとかしなきゃダメ」

凹んだ腹の感想はないのかよ!とも思うけれど、そんなダメ出しをしてくれるのはユウコさんぐらいしかいないわけで。
それからというもの、胸の下が定位置になってしまった肉の処遇を真面目に考えるようになり、Youtubeを見ながらバストアップのエクササイズをしてみている。
一方、あたしがユウコさんにした直近のダメ出しは、「夜に住宅街でハザードをつけて車を停めるならヘッドライトは消せ。バカ明るいライトで家を照らされる者の身になってみろ」というものである。
以来、「今日はライト消したよ!」と自己申告してくる素直さが、ユウコさんの素敵なところだ。

〝ハナちゃんに言って聞かせるのは無理〟
そう割り切ってからというもの、ハナちゃんの言動に辟易はしても、正そうという気は一切失せた。
仕事の結果に影響することならば、泣かれようがわめかれようが言うべきことを言う。
仕事の結果に影響しなければ、うるさかろうが醜かろうが、気にしない。どうでもいい。
ところが、〝どうでもいい〟と流せない人もいる。
ボスである。
ただし、流せないからといって、くだらない諍いをする気もないようで。
だからボスは、自分がハナちゃんと直接仕事で関わらなくて済むように、〝ハナちゃんに指示したいことはMYKに言う〟という裏技を使うようになった。
最初のうちこそ、てめえだけ随分ラクに仕事してやがるじゃねえか……と思ったけれど、しぶしぶ従ってみれば、ボスとハナちゃんが関わって小競り合いが起きるよりは、あたしが間に入るほうが仕事がスムーズに進んだ。



手術したばかりの身で、しかも、絶望のさなかにいるのにハナちゃんを迎え入れた理由は他でもない。
いつものように、ボスとハナちゃんの間のクッション役になるためだ。
それは入院中のあたしだけができる、あたしの唯一の仕事だった。
ミッションクリアしたよ、ボス。(給料をください)



疲れ切ったけれど、〝ハナちゃんの相手をする〟というミッションをクリアしてほっとしたあたしは、「怒ってよかったんじゃない?」という母の問いに、「元気になったらぜんぶまとめて怒ってみようかな」と答えた。
母は、「まとめられたらかえって怖いんだけど!」と言ったあと、いつものように明るく笑った。



消灯時間になって母が帰ると、ナースステーションの灯りが差し込む個室でひとり、病気のことを考えはじめた。
卵巣がん。
どのくらい進行してるんだろう。
この先も生きられるんだろうか。
また会社に行けるんだろうか。
またユウコさんと飲みに行けるんだろうか。
またクマと旅ができるんだろうか。
なによりも、またお母さんと、テレビを見ながらごはんを食べて笑い合えるんだろうか。

入院13日目、手術を終えた日の夜はなかなか眠れなかった。



[ 次回更新は8/28の予定です ]



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院13日目 ] 三者三様のメール

2018/08/24 | trackback [ 0 ] | comment [ 3 ] | がん告知まで


先週の金曜日から、頭の中では好きな曲の出だしのフレーズがリピートされ続けていた。

♪真夏のピークが去った~ 天気予報士がテレビで言ってた~♪



なのにどうして盛り返してるんだよ、夏!

危険な暑さが続いているこの夏をフルウィッグで過ごしている方々に、近い未来、人生最大の幸福が訪れることをただただ祈っています。

一方、この酷暑を薄毛の地毛で乗り切れそうなあたしの生きがいのひとつは、9時ちょうどに仕事を始めて17時半きっかりに仕事を終え、遅くとも35分にはオフィスを出て、40分に居酒屋で生ビールを飲むことだ。
そんなあたしがなぜ連日残業する羽目になっているのか。
なぜあたしが残業前提の打合せに出ないといけないのか。
なぜお前はその打合せに遅れて参加するのか。
なぜお前の話はそんなに長いのか。
なぜお前はつまらない冗談をちょいちょい挟むのか。
……と、相変わらず胸の内で悪態をついてばかりいる。
ただ、仕事ばかりかといえばそうでもなくて、特に今年は、親友とちょいちょい二人旅をしている。
見たいものだけを見て食べたいものだけを食べ、好きなお酒を自分のペースで飲んで(これ重要!)、親友と他愛ない話をダラダラとするのがあたしにとって何よりのリフレッシュなのだけれど、そういう時間を過ごしながら「楽しいなあ……」とシミジミ言おうものなら、親友は、「元気になってよかった」と目を潤ませる。
元気になってから何年も経っているけれど、ずっとそうだ。
そんな姿を見るたびにあたしは、治療中ずっと夢見ていた平凡な未来を過ごせている気がして、心の底から安堵したりしている。


* * * * *


経過時間を知って静かに絶望しているくせに、携帯電話を手にしたら、いつもの癖で未読メールを確認していた。
この日までに、入院していることをあたしが直接伝えたのは、仕事関係ではボスと同僚のハナちゃんのふたりで、友人では、ユウコさんと、〝クマ〟(初出)のふたり。
この4人には今日手術することも伝えていたけれど、その中でもクマとは手術の直前までメールのやり取りしていたので、未読メールはクマからだと思った。
受信ボックスを開いてみると、確かにクマからもメールは届いていた。

〝クマ〟という呼び名とは裏腹に、本人の見た目はふんわりした癒し系でとてもかわいい。
いつでも個性と年齢に見合った流行のメイクを研究していて、おしゃれにも余念がない、女子力のカタマリみたいな人だ。
クマは喋り方がふんわりしているので、〝天然キャラ〟だと思われがちだ。
あたしも、出会った頃は見た目そのままのキャラクターだと思っていたけれど、そうじゃない部分を知ってからのほうが付き合いがラクになり楽しくなった。
そんな彼女が送ってくるメールはいつも、思慮深く、やわらかいのにピリ辛で、不精のあたしに返信をうながす要素を含んでいる。

手術の後はごはん食べられるのかな。病院の人に「1日も早くおいしいごはんを食べさせないとMYKちゃんはキレます」って教えてあげたい。知らないでキレられたら病院の人たちがかわいそう。

強張った身体と心がほぐれるようなメールだった。
術後、最初に見たのがこのメールで良かったと思いながら、すぐに返信した。

手術終わって病室に戻ってきたよ。病院ではおいしいごはんは食べさせてもらえないとおもうので、おとなしくして、1日も早い退院を目指します。

巷では、主に恋愛テクとして、〝メールやLINEで返信が欲しかったら、文章に質問を入れると良い〟と言われている。
質問されると答えたくなる・答えざるをえなくなるという心理を利用したテク、ということになっているが、あたしからすれば、質問して答えてくれる人は、質問されるのが好きな人だ。
あたしみたいに、「今日の牛丼おいしかったねー。ところでMYKさん、吉野家と松屋、どっち派?」と訊かれたら、胸の内では「あ?」「どっち派か聞いてどうすんだよ」「つーか、なんで二択。すき家となか卯、忘れてんじゃねーよ」などと悪態をつきながら既読スルーするタイプの人も一定数いるに違いない。
いま、〝だから結婚はおろか恋愛すらできないのでは〟と思ったそこのあなた。
大正解よ!

質問なんかしなくても既読スルー未読スルー常習者に返信させるテクを持つクマは、とても心配しているだろうに、そういう感情を匂わせるメールを送ってはこなかった。
そういう人なのだ。



クマのメールに返信し終えて一息つくと、ベッドの周りを整え終えた看護師さんが言った。

「脚に、血栓予防のポンプつけますね」

術前説明で聞いた時は、「なるほど」と相槌をうつだけで適当に流していた。
けれど実際にフットポンプを装着されてみると、こんなに不快なものもない。
何しろ暑い。ものすごく暑い。
そもそもあたしは、入院した翌日からずーっと暑がっている。
代謝の良すぎるデブには暖房が効いた病室は暑過ぎて、長袖の入院着の袖を肩まで捲りあげ、腕も足も常に布団から出していたくらいだ。
それにフットポンプが加わったせいで、〝装着した数分後には脛やふくらはぎに汗をかきはじめて、かゆくなって、汗疹ができて……〟と、暗い未来しか見えなくなってしまった。

「これ、いつまでつけるんでしたっけ?」

知っていたけど訊いてみた。
看護師さんは笑顔で、「歩けるようになったら外しますから明日いっぱいかなあ」と言った。
やっぱりそうですか。
ああ、無理っす。オレには無理っす。



ベッド周りを整え終えた看護師さんたちが病室を出ていき、母だけが残った。
母は、相変わらず不安そうな顔のまま無理やり笑顔を作って、「なにかして欲しいことある?」と訊いてきた。

「身体起こせないから見えないんだけど、脚に巻いてあるやつ、素材はなんなの?」
「素材?」
「膝のすぐ下からつま先手前までをビニール袋でピッチピチに覆われてるみたいな不快感なんですが」
「暖かくていいじゃない」
「暑いの」
「ビニールには見えないけど、通気性が良さそうには見えないね」
「こんなんじゃ、あっという間に蒸れて、かゆくなって、汗疹なんかできちゃって」
「外そう!」
「いやいや。外したら血栓ができるリスクが……」
「じゃあ!どうすればいいのよっ!」

あ、間違えた。
母はあたしの愚痴を聞いてくれる人ではないのだ。
あたしが弱音を吐いたら、パニくって、あたし以上に弱る人なのだ。
あまりに不快でつい愚痴ってしまったけれど、これまではどんな時でも、母を安心させれば自分も落ち着けた。
というか、母を落ち着かせないことには、あたしはあたしの面倒を見る暇がなくなる。
愚痴る相手を間違えた。あたしが悪い。

「あとで看護師さんに訊いてみるよ」
「外してもいいかって!?外したら死ぬんでしょ!」
「お母さん、ちょいちょい〝死ぬ〟って言うね」
「違っ…!違うのよ!!!」
「(スルーして)外してくれじゃなくて、暑いのなんとかならないかって訊いてみる」
「なんとかなるのかな」
「なんとかなるでしょ」
「そう?」
「うん」

母を宥めながら、こんな時に自分の愚痴を聞いてくれる人は誰なのかを考えてみたらすぐに思いついた。
愚痴を聞いてもらう相手は、お医者さんと看護師さんにしよう。
誰彼かまわず話せる相手を見つけるたびに愚痴ってちゃ、あたし自身が駄目になる。
餅は餅屋。
フットポンプの愚痴はフットポンプをつけやがった人に。

母が落ち着いたのでフットポンプのことはひとまず忘れて、他にも届いていた未読メールを読むことにした。
ボスからは、ボスらしいメールが。

打合せが長引いて今日お見舞いに行けない。がんばってるか?がんばれよ。

寝てただけだからがんばってないけど、身体はがんばってるはずです、ボス。

ビジュアルがヨレヨレなのでお見舞いは遠慮します。こっちは大丈夫なのでどうか仕事第一で。お前もがんばれよ。

ボスに宛てたとは思えないいつもの調子で返信すると、他の未読メールを見る間もなくすぐにまたボスからメールが届いた。

ヨレヨレのところほんとに悪いんだけど、ハナさんが見舞いに行きたがってる……

入院以来、同僚のハナちゃんがものすごく心配しているという話はボスからたびたび聞いていた。

あたしより2歳若いハナちゃんは、〝女っぽい格好をしたら負け〟と思ってるみたいに、毎日必ず全身黒づくめのパンツルックで出社する。
ファンデーションはごくごく薄塗りで、足りない眉尻を少し描くだけのメイク。口紅もグロスも塗らない。近年出始めた白髪だって染める気はないようだ。
そういうスタイルを長年頑なに貫いているにもかかわらず、ボスをはじめとするオフィスのみんなはハナちゃんのことを、〝クールな人〟とは思っていない。
なにしろハナちゃんは、大きな声でよく笑い、早口でよく喋る。時にまくし立てる。
売り言葉に買い言葉を返して後悔したことは何度もあるだろうに、それでも、キツいことや理不尽なことを言われると我慢できず、反射的に言い返してしまう。
加えて、感情をコントロールするのが致命的に下手なので、気持ちが高ぶるとすぐに泣く。

ボスは、そんなハナちゃんが苦手だ。
ハナちゃんも、気分屋でぶっきらぼうで口が悪いボスが苦手だ。
入院したせいで、そんな苦手同士の接点を増やしてしまったことに、あたしは大きな罪悪感を覚えていた。

即座に用意したボスへの返信の言葉を頭の中で推敲しながら他の未読メールを確認してみると、ハナちゃんからもメールが届いていた。

もう手術は終わった?痛い?お腹切ったんだもの痛いよねぇ。今日仕事の帰りに病院に行こうかな。手術してすぐには面会できるのかな?行ったら迷惑かな?

普段から、会話でもメールでもやたら質問の多い人ではある。
そして彼女は、大人なら訊かなくても想像できることにも、他人からの太鼓判を欲しがる。
読まなかったことにしたい。
けれど、思いとどまった。
だって、彼女が今この件について話せる相手はボスしかいない。
ハナちゃんの不安をすべて語られ、その全てにイエスかノーかの太鼓判を押させられ続けるであろうボスを想像したら、心苦しくてたまらなくなった。
だから、少し考えて、ハナちゃんに一言だけ返信した。

来てもいいよ。

ハナちゃんにそう返信したことをボスに伝えると、

よろしく頼むよ。大変なところほんと申し訳ない。

とメールがきた。
〝いえいえこちらこそ〟
胸の内でボスに返信した。



[ 続きは8/25更新予定です ]



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2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。