[ 入院12日目 ] コンビニへ行く

2017/04/18 | trackback [ 0 ] | comment [ 5 ] | がん告知まで


入院12日目。
昼の病室では、きつねそばを食べるあたしに激高した加藤さんを、看護師の高橋さんがなだめている。
「だって!」「MYKさんが!」の後に、あたしでも理解できる激高の理由が続くことを期待してずっと耳をそばだてていたけれど、「もういやだ!」とか「なんにも教えてあげない!」とか、感情的な言葉しか聞こえてこない。
ちゃんと喋れ。
自分では、加藤さんを煽るかのごとくせっせと食べていたつもりだったけれど、如何せん、腹水に圧迫されて縮んだ肺の痛みで勢いよく啜ることができないから、結局のところきつねそばは少ししか減っていなかった。
食べなくては!という気持ちはあるのだけれど、箸を止めて、隣から聞こえてくる文句を聞き続けているうち、目の前にあるきつねそばが加藤さんの悪意を吸いこんで増殖していく気味の悪い食べ物に思えてきた。
うーん。この環境でも美味しく食べられるものなんてある?
思い浮かばないのを承知でそれを真剣に考え始めると、いつしか、止む気配のない加藤さんの声とそれをなだめる高橋さんの声が遠くに感じられ、名案を思いついてようやく我に返った時、あたりは随分静かになっていた。

ああ、お風呂に入ってよかった。
髪も身体もサラサラになったし、何より臭わない。
あたしは箸を置いてベッドから下りると、厚手のパーカーを羽織って、母が家から持ってきてくれた、あたしには可愛すぎるキャラクターが描かれた小さいトートバッグに携帯と財布を入れた。
すると、カーテンの向こうから高橋さんの声がした。

「MYKさん、カーテン開けますよ」

あたしが返事をするとカーテンを最小限に開けて高橋さんが入ってきた。
〝だいじょうぶ?〟と声に出さずに訊かれたので、二度頷いてから言った。

「コンビニ行ってもいいですか?」

高橋さんに声をかけられなかったら、許可を得ないで行っていた。
鬱々とした病室から出たかったし、いろんな食べ物を見てみれば食欲が湧いてくるかもしれない。
これが、あたしの思いついた、一石二鳥の名案だった。

「必要なものがある?それとも〝行きたい?〟」

高橋さんは本当に勘がいい。
あたしも声を出さずに〝行きたい〟と答えると、高橋さんは指でOKのサインを出し、「まだ配膳車が廊下にいるから、一緒にトレーを戻しに行きましょうか」と言って、病室の外に連れ出してくれた。



下膳した後、高橋さんに連れられてナースステーションの前に行くと、あたしの格好を見た看護師さんに、「MYKさん、お出かけ?」と訊かれた。
病室以外で医師や看護師さんや看護助手さんに名前を呼ばれるたび、〝あたしの名前、覚えてるんだ!〟といちいち驚いてしまう。ちっとも慣れない。
R病院の女性病棟には90人近い入院患者がいて、毎日誰かが退院し、毎日新たな入院患者がやってくるというのに、どうして覚えられるんだろう。
あたしが働いている部署にも同じくらいの人がいるけれど、顔と名前が一致しているのは、何年も一緒に働いている半数くらいの人だけだ。
何キロ先の人に話しかけてんじゃボケ!くらい声がデカイとか、塩素系漂白剤のプールに沈めんぞコラ!くらい臭いとか、悪いほうの特徴がある人ならすぐに覚えられるのだけれど、それ以外は覚えられる気がしない。
そんなあたしにとって、入院患者の顔を見て名前がわかる病院の人達は特殊能力の持ち主みたいに思えた。

「コンビニに行くんですよねー」

あたしの代わりに高橋さんが答えると、ナースステーションにいた別の看護師さんが、「じゃあ付き添い頼むから待ってて。MYKさん、マスクして行くのよ」と言って、誰かに電話をかけた。

「コンビニ行っていいんだ」とあたしが呟くと、高橋さんは、「もちろんいいです。行きましょう。でも万が一のことを考えて、看護助手さんに付き添って貰いますね」と言う。
やったー!
やったぞー!

病棟から出たのは術前検査の時だけ。
それだって車椅子に乗せられて検査室を回るだけだった。
自分の意志で行き先を決めたい。自分の足で歩きたい。
それまで普通に出来ていたことが出来なくなっていたのは短期間だったけれど、〝一生できなくなるかもしれない〟という恐怖を抱えた12日間は、絶望するほどに長かった。



病棟のエレベーターホールにあるソファに座っていたあたしと高橋さんのもとに、パタパタと騒々しい足音をたてて駆け寄ってきた看護助手の女性は、胸元のネームプレートによると、福岡さんというらしい。
歳は40をちょい超えたくらいだろうか。病棟にいる看護助手の中では若手だ。
福岡さんは、あたしの状態について説明を始めた高橋さんを、「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って」と言って制し、ウエストポーチをしばらく引っかき回した後、思い出したようにズボンのポケットからメモ帳とペンをひねり出すと、メモ帳にペン先を近づけて、「で?」と続きを促した。
福岡さんを見てから1分も経っていなかったけれど、それでも、彼女の性格が如実に表れている言動だった。

身のこなしを見ればその人の性格の大枠は想像がつくが、残念ながらあたしには、ほんの少しの情報で、〝おっちょこちょい〟だとか〝要領が悪い〟だとか、〝想像力がない〟とか〝集中力もない〟とか、〝マルチタスクにトライしてシングルタスクにも失敗するタイプ〟だとか〝有事には絶対パニくる〟とか、小枠まで決めつける悪癖がある。
それが合っているかどうかはさておき、少なくともあたしは、福岡さんのようなせわしない動きには、不安しか感じない。
福岡さんを見て、〝一生懸命やってるね〟と好印象を抱く人もいるとは思う。
だけど、職場で一生懸命さがプラスに評価されるのは、その仕事に就いてからせいぜい1年くらいで、そのあとは、〝一生懸命なのはわかるけど、でも〟という、厳しい指導の前の緩衝材に成り下がる。
もちろん、福岡さんが新人である可能性は大いにあるが、だとしても、年相応の落ち着きや気配りは求められて当然だろう。
同世代の社会人として見ているせいか、自分がメモを出すのに手間取って人を待たせてるところとか、待たせてるのに申し訳なさを微塵も表さないところとか、とにかく、福岡さんの何もかもが気に入らなかった。

その福岡さんと一緒にエレベーターに乗った。
コンビニがある1階のボタンはあたしが押した。
福岡さんは何も喋らず、あたしの半歩後ろに立って、手にしたメモ帳をパラパラとめくっている。
あたしのことを考えていないのは一目瞭然だった。
だって、説明する高橋さんを制して取り出したわりに、結局何もメモらなかったのだから。

風呂で上がった気持ちが、きつねそばで落ちて、コンビニに行けることになって再浮上したけれど、福岡さんの登場でまた落ちた。
些細なことで何をそんなに…と、今なら思える。
だけどこの時あたしは、ほんとうに福岡さんのことが嫌だった。



エレベーターが1階で停まると、あたし達の下の階から乗ってきていた男性の入院患者が、扉のすぐ横にある〝開〟のボタンを押してくれた。
「ありがとうございます」と言いながら軽く頭を下げて降りようとすると、男性は、「ゆっくりでいいからね」と優しく声をかけてくれた。
降りてから振り返ると、福岡さんはあたしに続き、男性の入院患者より先に、会釈もせずに降りてきた。
あー、気に入らねえ。



エレベーターを降り、病院の端から端まで一直線に続く長い廊下をゆっくり歩いた。
コンビニは病院のほぼ真ん中にあり、コンビニの先に病院のエントランス、そのまた先は受付や会計の窓口、外来と続く。
こちらに向かってくる人がみんな早足に見え、その勢いが少し怖かった。
もしもぶつかりそうになっても、まだあちこち痛くて踏ん張りがきかないあたしには、たぶんよけられない。
それに気づいたらますます怖くなった。
でもその弱気は、後ろから聞こえてきた福岡さんの声で吹き飛んだ。



「先に行っててくださーい。私、ATMでお金下ろしてから行きますからー」



ほんとうに福岡さんのことが嫌だった。
だって、働けるのに働いてないから。




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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

comment

入院12日目、濃いですね。 : ポテチ
加藤攻撃、癒しのお風呂、福岡さんのやっつけ仕事っぷり…。
MYKさんは身体も精神状態も極限だったのですから、気持ちがあがったり落ちたりしてしまうのは仕方ないですよね。
それにしても、高橋さんのように患者さんの気持ちをすぐに察してくれる看護師さんはカッコいいです!
MYKさんの人への観察眼の鋭さに感心しています。また更新を楽しみにしています。
2017/04/18 Tue 16:29 URL
笑い飛ばしって大事ね : てんこ
はじめまして。
自分が癌に罹患して、癌ブログを時々読むのが趣味に。いやー笑かして貰いました。入院してる時だって、いわゆる社会交流しなくちゃいけない場面は度々。病気なのにさ。わかるー!の連続。読んでストレス解消出来ました。ありがとう!
2017/04/18 Tue 21:39 URL
: たろQ
だめだ。そりゃだめだよ福岡さんよ。
2017/04/18 Tue 23:25 URL
Re: タイトルなし : MYK
ポテチさん
高橋さんを始めとする病棟の看護師さんは、みんな勘が良くて賢くて、本当に心地よかったです。
でも、随分後になってから知るのですが、R病院の看護師がみんなが賢いわけではなかったです。(予告)
ああ…いつになったら入院12日目を書き終えるのか…。自分でも予想がつきません。

てんこさん
はじめまして。コメントありがとうございますー。
笑ってもらえて嬉しいですー。
この先どんな展開になろうとも、すべてがいま現在の元気な私に繋がるので、安心して笑ってください!

たろQさん
こういうダメな社会人、ウジャウジャいる気がします。
2017/04/20 Thu 23:18 URL
はかまいる : ちか
ハカマイル の最新記事がコメントできないようだったので、ひとつ前の記事より失礼します。
数ヶ月前に、ドラえもんにワープをお願いしたいと願ったちかです。
墓参りは、数年に1度無理やり連れて行かれないと行きません。そんな不信心者ですが、こちらのブログを発見した時は夜通しクスクスクスクス笑いながら見ていました。トイレに立った時も、夜中に笑いが止まらずに廊下で遭遇した旦那に、だいぶ気持ち悪がられました。
笑いが止まらないけど教えてあげたい!という、横隔膜が痙攣して笑いで言葉にならない言葉で教えましたが、旦那との温度差がすごく伝わりませんでした。
早く続きが見たいです!
2017/04/26 Wed 23:35 URL

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