[ 入院12日目 ] 初めてその言葉を口にする

2017/03/27 | trackback [ 0 ] | comment [ 6 ] | がん告知まで


〝邪魔してごめんなさい〟と、胸の内で謝りながら風呂場に入ったものの、気持ちは、12日ぶりのお風呂よりも、泣いている女性に向いていた。
狭い世界で生きてきたあたしは、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けていく過程を実際に見たことがなかった。
考えたくない自分の未来をまざまざと見せつけられている気がして少しひるんだけれど、それよりも、女性が泣いていることのほうが気になる。
そっとしておいたほうがいいのか、何か言葉をかけたほうがいいのか。



腹水で大きく膨らんだお腹を抱えるように左手を添えながら、あちこちにある手すりを右手で掴んでなんとか椅子に腰をかけた。
あたしが座ったのは女性の右側で、隣の隣にある水栓の前。
排水口は女性の左側にあり、あたしがそちら側に座ったら、抜け落ちた髪の毛はあたしのほうに流れてくるわけで。
あたしが気にしなくても、女性は気にしてしまうだろうから、気を遣わずにガンガン洗ってくださいねーという意味で右側に座った。
だけど、その思いは伝わっていなかった。

「ごめんなさいね。気持ち悪いでしょう」

女性は涙声でそう言った。
あたしはお腹が邪魔で前方やや上にあるシャワーに手が届かず、手すりを掴んで椅子から少しお尻を浮かせて、ようやくシャワーヘッドを手にしたところだった。
バルブをひねると、シャワーではなくカランからお湯が出た。

「全然です。気にしないでじゃんじゃん洗ってください」

……と言いながら、マズイことに気づいてしまった。

「あの、髪の毛は全然平気なので、そちら側に移動してもいいでしょうか」

お湯を止めてあたしがそう言うと、女性は顔の前で手を振りながら、「いいのいいの。却って気をつかわせてごめんなさいね」と答える。
女性は、〝抜け毛なんて気にしませんアピール〟で、あたしが左側に移ると言い出したと思ったようだった。
違う。違うんです。

「実は私、12日ぶりのお風呂で。お湯をかけたそばから、ものすっごく汚いものが流れ落ちると思うんです」

抜け毛と12日分の老廃物ではどちらが汚いか。
話し合うまでもない。
あたしは、シャワーヘッドを掴んだ要領で立ち上がり、女性の左側に移動して、シャワーヘッドを手にとってから椅子に腰をおろした。

水栓のハンドルを動かしてからバルブをひねると、シャワーが出た。
早速お湯を頭にかけようとして、またマズイことに気づいた。

「あの、お湯をかけたらムワーっとニオイがすると思うので、ヤバそうだったら息止めてください」

あたしがそう言うと、目を真っ赤にして泣いていた女性が破顔した。

「私こそ平気。気にしないで洗ってー」
「ちょっとした異臭騒ぎになると思うので」
「12日間、一度も洗えなかったの?」
「いえ、髪は一度だけ洗面台のところで看護師さんに洗ってもらったんですけど、それから5日は経ってるんです」
「私くらいの歳になると5日くらいじゃ〝ものすごく汚れてるー〟って感じじゃないんだけど、お若いから新陳代謝も活発だものね」
「それが、もうお若くないんです」
「おいくつなの?」
「45です」
「あら。うちの娘くらいかと思ってた」
「というわけで今から、お嬢さんより歳くった女の老廃物が流れるので、見て見ぬふりしてください」
「あははは。気にせずどうぞー」

女性の優しい言葉に甘えて、シャワーのお湯を頭にかけた。
「くーーー」
看護師の福田さんに洗ってもらった時とはまた違う気持ちよさに声が出た。
その声を聞いて笑った女性の方にニオイが流れていきませんように、と祈りながら、手のひらに取ったシャンプーを髪に撫でつけ、頭を洗い始めた。

「くーーーーーーーっ」
随分多めにつけたシャンプーが泡立つかと思ったが、やはり、5日も洗ってないとそうはいかない。
洗っては流しを繰り返し、3回目、ようやく普通に泡立つようになった頭を本格的にガシガシ洗った。
それはまるで、頭の中までマッサージしているような、意識が遠のくような気持ちよさだった。
3回目のシャンプーをシャワーで流すと、それを待っていたかのように、隣の女性が話しかけてきた。
最初は、「気持ちいいに決まってるわよねー」とか「ニオイ、ぜんぜんしないわよ」とかいう話だったのに、突如、不思議なことを訊かれた。



「失礼だけど旦那様はおいくつ?」



未婚か既婚かを訊かれたことは何度もあるけれど、結婚している前提で相手の年齢を訊かれたのは初めてだ。

「結婚してないんです」
「えっ!」
「え?」
「あ、ああ!入籍してないっていうこと?」
「え?」
「夫婦別姓とかそういう理由で」
「いえ。そういう相手はいません。独身です」
「そうなの…」



頭の泡を洗い流し、今度は身体だ。

美容系のサイトには、顔だけじゃなく身体の汚れもタオルで擦らなくても落ちるだとか、むしろタオルで擦ったら摩擦で色素沈着するとか書いてあるけれど、あたしは、ゴシゴシ擦らないと気が済まない。
家では、ナイロンタオルとボディブラシを使ってゴシゴシ洗い、月に何回かは、ミトンの垢すり手袋でさらにゴシゴシやっている。
このときも、家から持ってきてもらった愛用のナイロンタオルにボディーソープをつけて泡立て、いつものように左腕から洗い始めた。

「くーーーーーーーっ」

ああ、ゴシゴシ洗ってザーっと流せる快感たるや。
ただ、上半身の前面、胸の下から足の付け根あたりまでは、少し押しただけで痛いので、そこは泡だらけのタオルでそっと撫でるだけにした。
するとまた、隣の女性が話しかけてきた。
ここでようやく、女性があたしに何を訊きたいのかがわかる。



「しつこくてごめんなさいね」
「いえいえ」
「気になって気になって」
「はい?」
「うちの娘、40歳なんだけど、まだ子どもができなくてね」
「ええ」
「失礼だけどあなた、お子さんはいらっしゃるの?」
「いません」
「え!」
「え?」
「じゃあ45歳で初産ってこと!?」



妊婦と間違われてんな。




そう気づいたら可笑しくて可笑しくて、このお腹はどう見ても妊婦だよなと思ったり、これまでどんなにデブでも妊婦に間違われたことだけはなかったのに、この状況で間違われるなんて皮肉だなあと思ったり。
複雑な想いもゼロではなかったけど、でも可笑しかった。

「こんなお腹なんですが、妊婦じゃないんです」
「……あっ!ごめんなさい!」
「いえいえ。お腹に水が溜まっちゃって」
「どうして?」
「卵巣が破裂してて腹水が溜まってるらしいです」
「えっ?破裂?破裂する病気なの?」
「たぶん私、卵巣がんです」



〝卵巣がん〟という言葉を、初めて声に出した瞬間だった。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

comment

ガンを受け入れるまで :
告知されてから受け入れるまで時間がかかりますよね⁉
ましてや人に話したときに現実を再確認する。そんな感じでした。
何度かめのコメントになります
再発の検査しましたが明らかなガンはなく一安心してます
ただ。MRIでリンパが何ヵ所も腫れてたらしく心配です。
看護師の仕事に限界を感じ退職しました
しかたがないです。大好きな仕事だけど体調不良の私には命を扱う仕事はきついです。
しばらくはゆっくり休んでみます。
お仕事は頑張ってされているんですよね?
きっとバリバリのキャリアウーマンなんだろうな。
そして、文章からお茶目な部分ももつあわせてるんだろうな。笑笑🎵
妄想をふくらませてます
2017/03/31 Fri 09:55 URL
: はる
更新、楽しみにしていました。
私は、全然違う病気ですが、MUkさんに、勇気を頂いてます。
お風呂、気持ち良かったでしょ。
今度は、加藤さんの闇に迫るのを、待ってます。
2017/04/01 Sat 12:00 URL
: はる
初コメントなのに、お名前の入力間違い申し訳ありませんでした。
MYKさんと、打ったつもりなのに、、、
こんなところが、還暦なんだ❗涙
2017/04/03 Mon 17:30 URL
こんにちは : リリカ
初めてコメントいたします。
MYKさんのリアル生々しい体験が
私の経験と重なり、引き込まれるように
読まさせて頂きました。文章がとてもきれい!

卵巣癌(ステージ4) 手術から3年。
今も日帰りで抗がん剤治療を受けております。

2017/04/06 Thu 11:52 URL
MYKさんの人柄と文章、魅力的です。 : ポテチ
読書好きなだけあって、テンポ良く読みやすい文章ですね。一気に読んでしまいました。
生死をさまよい、壮絶な身体の痛みと精神的苦痛を味わったのに、冷静にメモ(閻魔帳)を書いていたこと、すごいです。
MYKさんが大変な時に母の行動に翻弄されたエピソード、私ならパンティーライナーのくだりは笑えません。呆れるか怒ってしまいそうです。
私にも似たような母が居るので、もしもの時を想像しておこうと思いました。
加藤さんのような人、たまに居ますよね。健康であっても攻撃をかわすのにエネルギーが要るのに…。MYKさんの対応、素敵です!
これからもブログを楽しみにしています。長文すみませんでした。
2017/04/08 Sat 17:52 URL
: MYK
光さん
2014年4月から仕事に完全復帰し、いまも入院前と同じ会社で同じように仕事をしています。(ただの、事務のおばちゃんです!)
周りの誰からも無闇に心配されたり、いたわられたりしない、元通りの暮らしになりました。
ただ、私が復職できたのは、
・パソコンでカタカタやっているだけの完全デスクワーク
・他者とのコミュニケーションが少なくて済む立場
というふたつの理由が大きかったです。

看護師という職業、患者側から見ても本当に大変な仕事だと思っています。
体力的にもそうですが、精神的な負担が特に。
命を扱う仕事という点はもちろん、私はたぶん、痛い辛い苦しいという誰かの愁訴に耳を傾け続けることが出来ません。
きっと自分まで辛くなる。
自分がそうだから、看護師さんに自分の不調や不安を伝えることも出来なくて、そのことで却って心配されたりしてました。

光さん、お休みのあいだ、身体だけじゃなく、頭と心もゆっくりできるといいですね。


はるさん
初コメントありがとうございます。
どうか、名前の打ち間違いなんて気にしないでください!
還暦の方まで見てくださってるんだ……!と一瞬、年齢だけで感激しそうになりましたが、10歳くらいしか違わないとなると、ほぼ同世代感覚です。

お風呂、本当に気持ちよかったです。
いまでも湯船につかると時々、あの時の気持ちよさとかホンワカした気持ちとかを思い出します。

病気になるとどうしても不調や不安な部分を憂いてしまいがちですが、入院してから治療を終えるまでの間には、楽しいこともたくさんあったので、そういう部分も含めて、これからもありのままを書いていきたいと思っています。
自分が還暦になるまでに書き終えられるか不安ですが。

リリカさん
初コメントありがとうございます。

ステージ4の手術から3年…!(感涙)
リリカさんのこれまでのご苦労は私の想像を遥かに超えるものだと思いますが、最初の方はおんなじ感じだったんですねー。
文章、褒めていただいて嬉しいです。
だけど本当は、もっとサラリとした、大人のブログが書きたかったんです…!

ポテチさん
エンディングノートのつもりで始めたのに、早々に閻魔帳と化してしまったメモは、いまになって読み返してみると負の感情のカタマリでだいぶ気持ちが悪いです。
なので、それを元にしつつも、ブログは負の感情だけにならないようにと意識して書いているんですが、ちょっと気を抜くと、〝嫌い〟〝大嫌い〟を連発する自分に呆れてます。

うちの母の場合、パンティーライナーで怒っていたらキリがないのです。
たまにマジ切れしたくなることもありますが、何しろ感情的な人で、逆切れされると本当に面倒くさいので、スルーしています。

ところでポテチ、品薄ですよね!(関係ない)
2017/04/18 Tue 14:08 URL

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