ブログの下書きとなっている当時のメモ

2016/10/17 | trackback [ 0 ] | comment [ 5 ] | がん告知まで


よくコメントをいただくYUZUさんからこんな質問がありました。

2年前の闘病ブログですよね?
闘病日記みたいなのをつけてたんですか?
私も、術後の痛み、 先生や看護士さんと会話…いろんな事を思い出しますが…2年近く経つと忘れている事も、いっぱいあって…特に痛みは記憶の中で薄らいでいますね!
今、思えば簡単に記録すれば良かったなって思います。

いい機会なので今日はこの質問についてのお話を。


このブログは、2012年11月30日の朝に起きた異変から始まり、いまは入院9日目、2012年12月9日の話を書いています。
2年どころか、今から4年近く前の話です。

最近になってようやく、まあまあコンスタントに書けるようになったので、私が卵巣がんを患ったことを知っている女友達数人に、「卵巣がんブログを書いている」と話して読んでもらいました。
彼女たちから真っ先に言われたのも、「日記つけてたの?」でした。

結論から言えば、日記をつけてました。

最初は携帯電話にメモをするかたちで、母に筆記用具を持ってきてもらってからは罫線の入ったA6サイズのメモ帳に手書きで、日記のようなものをつけていました。
いまそれを読み返してみると〝日記のようなもの〟でしかないのですが、書こうと思った本来の目的は違いました。
私が書きたかったのは、〝エンディングノート〟です。
母の様子から察するまでもなく、最初から、「これは死ぬ系の病気だな」と自覚していたので、遺言ではなく、「エンディングノートを書かなければ」と、入院初日から思っていました。



エンディングノートに一番書きたかったのは、契約しているたくさんのサービスと、そのパスワードです。
当時45歳。現在49歳。いまのところは暗証番号をメモしなくとも、頭の中で覚えていられますが、死んでしまえば私の頭の中にある全ての情報が消えてしまいます。
面倒なことはぜんぶ娘がやってくれる生活を長くしていた母が、私がいなくなった後、何の情報も持たず、相続を含む、膨大な事務作業をこなせるとは到底思えませんでした。
父が亡くなった時、母はまだ50代で私は20代でしたが、母は放心して使いものにならなかったので、相続の手続きなどは、父の会社の人に手伝ってもらいながら私がやりました。
20数年前でそれなのに、70代になった母が出来るようになっているとは思えません。
それどころか、うちの母に限っては、私の葬式を出せない可能性までありますが。
だから、たとえば母が、信頼できる誰かの手を借りて私の死後の後始末をするにしても、私の頭の中にしかないものは書き起こしておく必要があると思ったのです。
最初は携帯電話にメモし始めましたが、携帯電話が壊れたら意味がないので、メモ帳&ペンというアナログに変えて、携帯電話にメモしたものも転記しました。
書いておきたかったのは、

・銀行口座などの金融資産
・クレジットカード
・Facebookをはじめとする無料サービスのアカウントやパスワード
・車の処分
・その他遺品の処分
・生命保険金の使い道の提案

など。
プロバイダやYahoo!プレミアムなど、有料サービスのほとんどは、クレジットカードが使えなくなればサービスが停止するので除外しました。
病床でもできるものは自分で解約しようと思いましたが、解約するタイミングの見極めが難しいし、少し調べてみると、PCでしか解約できないサービスとか、書類を送る必要があるとか、モバイルで完結するには限りがあったので、とりあえず、全て書き出しておきたかったのです。

そんな意図で始めたはずの〝エンディングノート〟が〝日記のようなもの〟に変わったのはわりと早かったです。
既に書いた通り、強い痛み止めを使っている間は、意識が急に飛んでしまい、エンディングノートどころではありませんでした。
眠っていない時でも頭の中は常に靄がかかっているみたいな状態で、パスワードはおろか、物事を順序立てて考えることすらできませんでした。
ただ、自分がおかしくなればなるほど、「早くエンディングノートを書かなくちゃ…」という焦りが増していきました。
そこで、携帯やメモ帳を手にするのですが、とにかく頭が回らない。
そんな状態で書けることといえば、〝いま目の前で起こっていること〟くらいだったのです。



つまり、〝エンディングノートが書けない焦りで書き始めた日記のようなもの〟が、このブログの下書きです。



本来書きたかったお金や契約に関することは入院10日目の夜から書き始めましたが、頭がクリアになれば、45歳の独身女のエンディングノートなど1日もかからずに書き終えてしまいます。
先に挙げた以外に書いたことは、〝延命措置〟と〝葬儀〟のみ。
それを書き終えるとエンディングノートとしては書くことがなくなったので、そこからは完全な〝ただの入院記録〟になりました。
ブログの下書きになることはもちろん想定していなかったし、とにかく毎日暇だったので、回診にきた医師の名前と主な会話、病室担当看護師の名前と主な会話、処置、検査、各種数値、自主的に行ったこと、腹の立ったこと、良かったこと…など、やたら長く、鬱陶しいほど細かく書いているのですが、改行すらも惜しんでページにみっしり詰めこんだその文字は、呪いの書かよ!と言いたくなる密度でだいぶ気持ち悪いので、書けるところはとっととブログに書いてしまってメモ帳を捨てたい、というのが正直なところです。



ちなみに、そのメモ帳は常にベッドの上に置いていて、近くに人がいない時は暇さえあれば気づいたことを書きまくり、人が来ると書くのをやめて閉じていたので、先生たちや看護師さんたちからは〝MYKさんの閻魔帳〟と呼ばれていました。



当たらずとも遠からず。



閻魔帳
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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

comment

: YUZU
私の質問をきっかけに、答えて頂く形になり感激です。
ありがとうございます。
でも、このブログを読んで初めて笑えませんでした。
いつも、ご本人はもちろん、お母さまも大変な思いをされたんだろうな…とは分かっているのに…ついつい笑ってしまいます!(闘病記を読んで笑うなんて不謹慎!?)
でも、数あるブログの中で、MYKさんの文章力、表現力は本当に素晴らしくて…引かれるものがありました。
やっぱり、同じ病気と言う事もあって勝手に親近感も覚えました。
けど…エンディングノートを書こうと思ったことは…今さらなが「死」を覚悟されたんだろうな…って。
残された、お母さまの事も心配だったんだろうな…って。
だから、今生きて、こうしてブログが書けるまでに心身ともに元気になられて良かった!!って心から思います。
私も、MYKさんと同じような体験もしましたが…どこか病気に対する気持ちが甘い?と言うか…自覚が足りないと言うか?
でも、きっとこのブログを読んで、闘病中の方が、頑張ろう!って希望を持つことができると思います。
これからも、更新ゆっくり楽しみに、待っています!
2016/10/18 Tue 13:03 URL
: みお
ご無沙汰しております。
更新、心待ちにして、今や就寝前の密かなお楽しみになっております。
更新されてる日は当たり!更新されてない日は明日が当たり!
…いつでも当たりですね。笑

他の方も書いていらっしゃいますが、初めて笑えないネタでした。壮絶な痛みを知らない私がコメントなんてしていいのだろうか…と思いましたが、書いてます、すみません。

でも、確かに必要なんですよね、エンディングノート。
私は突然死した母がエンディングノートまがいのものを用意しておいてくれたお陰で随分と助かりました。

そう思うと、今健康でも明日どうなるか?なんて誰にもわからないから残される人の為にアナログでわかりやすく準備しておく事の大切さを改めて感じました。

毎日毎日、更新を楽しみにしていますが、多分、このまま行けば…本になりそうなくらい、とにかく文章が素敵です。

相当辛かった思い出(闘病)で印税を稼げることを切に願います。

ご無理なさらずに最後まで書いてくださるのをのんびりと楽しみにさせて頂きます。
2016/10/19 Wed 00:18 URL
: MYK
YUZUさん
機会があったら書きたいなあと思っていたことだったので、話を振ってもらえた気がして飛びついてしまいました。
私の場合は、我慢できるとかできないとかいうレベルを超えて、気を失うほどの痛みと苦しさに襲われたので、入院初日から死ぬことを意識はしていました。
「死にたくないけど、死ぬかもしれないなあ…」とか「人ってこうやって死んでいくんだなあ」とかいう感じで。
いまは元気で生きてますけど、そういう意味では前科者なので、母が生きている限り、エンディングノートを常に更新しとかなきゃ!と思っています。

みおさん
お母様、それらしきものを用意していらしたんですね…。

そうなんです。私も、「アナログでわかりやすく」というのがポイントだと思いました。
デジタルは便利だけど、人より寿命短いですしー。
本…印税…。
いやいや、せっかく元気になったから、本業(非正規雇用だけど)でじゃんじゃん稼ぎます!
2016/10/20 Thu 19:19 URL
楽しんでます (?) : dianaru
こんにちは 楽しんでますっていうとちょっとちがーう!っていう感じなのですが
書き進められるのを待ってる自分がいます。
一年半前発病時 多くのブログにお世話になり、自分も始めましたが 最近どうしたらいいか悩んでました。FB もやってて こちらにリア充アピールしても違うかも いや 投薬中でもリア充って伝えるのは大事?なんてウロウロ。
今日の読んでちょっとスッキリ。私も入院の度メモやノートがあります。私の場合の実際を伝えるのがいいのかも って今日の日記で思えました。ありがとうございます😊
2016/10/23 Sun 10:55 URL
: MYK
dianaruさん
コメントありがとうございます。HNを見て、まさかコメントを頂けるとは!と浮かれています。
dianaruさんのブログ、治療のことは興味深く、それ以外の日常も楽しく拝見しています。
先月書いていらしたエントリーにコメントしようか長らく迷って、コメントせずにいまに至っている優柔不断なMYKです。

私は2回目の手術を終えたあたりに、「完全に仕事に復帰できたらブログをやろうかな」と思い始めたんですが、それでも、がんに限らず病気の人のブログはほとんど見られませんでした。怖くて。
治療の終わりが見えてきたころにようやくがんブログを見られるようになったんですが、卵巣がんブログが案外少ないことに気づき、心細く感じたのを覚えています。

自分のブログを見る人の多くがおそらく同じ病気の人かその家族だと考えると、どこまで書いていいのかはいまだに迷いますし、ブログの方向性に悩んで長らく書けなかった時もありますが、いまは、医学的なことや数値的なことは詳しい方に任せて、私は私が書けることを書いていこうと思うようになりました。

ところで!リア充アピール、私もしたいです!
〝相方〟とか書きたいです!
2016/10/24 Mon 15:12 URL

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