[ 入院14日目 ] 予想外の訪問者、来たる

2018/08/30 | trackback [ 0 ] | comment [ 1 ] | がん告知まで


痛み止めの話を終えた看護師の佐藤さんに、フットポンプが暑くて仕方ないと話してみると、「脚を拭いてみましょうか」と言ってくれた。
やった……!やったーーー!
佐藤さんは、ナースステーションにタオルを取りに行ってすぐ戻ってくると、フットポンプを手際よく外し、絶妙な力加減で脚を拭いてくれた。
涼しいー!きもちいいー!
……が、その余韻に浸る隙もなく、またすぐにフットポンプを装着されてしまった。
でも平気!だってこの不快感も昼までの我慢!
午後イチに自立歩行ができるかどうか試してみて、歩けるようならフットポンプは外すって言ってたし!
歩けるようになったらトイレにも行けるから、導尿のカテーテルも抜いてもらえるはずだし!
あー、早く午後にならないかなー。
歩行訓練、午前中にしてくれないかなー。
ちゃんと歩けるといいなー。
入院以来初めて経験した〝心躍る朝〟だった。



朝の回診にやってきたのは、手術を執刀した坂口・スガペア。
笑顔のスガ先生を従えた坂口先生は、「本当は手術のあとで病室に来るつもりだったんだけど、急な手術が入っちゃって。来られなくてすみませんでした。ところで痛みはどう?」と訊いてきた。
手術した、おへその下あたりに手をあてながら、「痛みはさほど感じないです」と答えると、坂口先生は、「そこ以外は?」と言う。

「息を大きく吸うと肺のあたりが痛いのは昨日までと変わらないです」
「癒着してるのかもしれないなあ」
「癒着…」
「その痛み、なくなるまでちょっと時間かかるかもしれない」
「はあ」
「3ヶ月とか」
「ああ」
「半年とか」



ずいぶんざっくりした見立てだな。



だいぶ後になってわかったことだけれど、この痛みの原因は横隔膜の癒着によるもので、日が経つにつれて痛みは和らいだものの、くしゃみ・あくび・しゃっくりで横隔膜がキュっと動くと激痛が走るという状態は4ヶ月ほど続いた。
結果的に坂口先生の見立て通りだったのだけれど、このときはまだ、「経験上」という理由だけで悪性だと断言したA先生みたいに、唐突に癌治療の話をされそうで気が気じゃなかったから、閻魔帳を書いていなかったら見立て通りだったことすら忘れていたと思う。


その後、「本来ならば昨日のうちに説明したかったことなんだけど」と前置きした上で、昨日は開腹したものの、腹腔内の潰瘍と出血がひどくて破裂した左の卵巣の回収しかできなかったことを伝えられた。
やっぱりそうか。

「左の卵巣は、子宮と卵巣を繋いでる卵管に近いところに腫瘍ができてました。縁日で売ってる水の入ったヨーヨーあるでしょ。あれで言うと、水の入った風船の結び目のあたりに腫瘍ができてて、それが大きくなったから破裂した、と」
「なるほど」
「腫瘍自体は直径9センチぐらい。それが、風船を貫通するみたいに、卵巣の中だけじゃなく外にも突き出てる状態」
「はあ」
「昨日はその左の卵巣を腫瘍ごと取りました」
「はい」
「いまはそれがどういう種類の腫瘍なのかを検査をしているところ。結果が早く出るように急がせてるから」
「そうですか」
「左の卵巣を取ることしかできなかった理由は、さっきも言ったように、あちこちから出血してたから。手がつけられない。お腹の中は潰瘍と出血で真っ赤というよりは真っ黒で……」
「名実ともに腹黒だった、と」
「それ、オレが言いたかったのにー」



でしょうね。



「で、今後のことなんだけど。中長期的な話じゃなく今日からのこと」
「はい」
「まずは歩く」
「はい」
「それから食べる」
「はい」
「そして出す」
「ええ」
「以上です」
「以上……」
「大切なことなんだよ。検査結果が出るまでは、傷と体力の回復に努めてください」
「暇そう」
「そうでもない」
「はあ」
「明日図書館がくるよ」
「ん?」
「2週に1度、土曜日に移動図書館が来るんだよ。明日は来る日なの。だからまずは明日、1階に来る移動図書館まで歩いて行くことを目標にしようか」



なんていい提案!なんていい目標!(読書好きなので)
癌治療の話をされるんじゃないかと身構えて固くなっていた心が一気に緩み、モヤモヤした思いが吹き飛んだ。

あたしが「がんばります」と答えると、坂口先生とスガ先生はニッコリ笑い、ふたり揃って大きく頷いた。
コンビか。



お腹の手術痕を見せて回診が終わると、午後イチの歩行訓練までは自力で出来ることがない。
暇つぶしに閻魔帳を書いたり携帯をいじったり本をパラパラめくったりしていたけれど、どうにもこうにも落ち着かない。
そこでためしに目を瞑ってみたら急に眠気が襲ってきたので、点滴の交換で看護師さんが来た時以外はウトウトして過ごした。
そのうち母がやってきたので目が覚めたけれど、母から、いま一番ハマっている韓流ドラマのストーリーを延々聞かされているうちにまた猛烈な眠気に襲われて、〝ずっと喋ってていいからね。全然聞いてないけど。だって興味ないから〟と思いながら目を閉じた。
が、廊下から聞こえた足音が病室の入り口で止まったので、眠い目をこじ開けてみると、開けたままの扉とベッドの間にひかれたカーテンが揺れている。
誰?と思うより先に、病室にふわっと漂ったバラの香りでわかった。
ピンクのカーテンがさらに大きく揺れると、そこから、真っ赤な目をしたクマが顔を覗かせた。



(グスッ)……来ちゃった……(グスッ)



彼女の涙声を聞いて、眠気が一気に吹き飛んだ。



[ 次回更新は9/1の予定です ]



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院14日目 ] 完璧に始まる

2018/08/28 | trackback [ 0 ] | comment [ 2 ] | がん告知まで


一睡もできないまま迎えた入院14日目は、朝6時、いつも通りの採血・血圧測定・検温に加え、血栓予防の皮下注射をすることから始まった。
これから1週間、朝と夜の1日2回、二の腕のあたりに注射するらしい。
「さすがにこれは痛いと思うんです……」
看護師の佐藤さんが申し訳なさそうに言っているのを聞きながら、あたしは別のことを考えていた。

1週間後もあたしはここにいるんだ。

手術が終わったら退院できると思っていたわけじゃない。
実際、医師からも看護師からも退院の話をされたことはないし、こちらから訊いてみたこともない。
ただ、入院してからずっと、遠くても明後日ぐらいまでの予定しか立たない状態だったから、1週間後の自分を想像できたのは初めてだった。

「じゃあ今は右腕にしますね。今日の夜は左。同じところに注射し続けるとシコリになることがあるので、右と左、交互にしていきます」
「はい」

今日から1週間ってことは、この注射が終わるのは12/20。
手術で回収した破裂した卵巣の病理検査結果も1週間後くらいにわかるって言ってたから、12/20ががん告知日ってことか。

「消毒します。アルコール、大丈夫ですか?」
「はい」

12/20って、ほぼ年末じゃん。
やだ。もしかして、病院で年を越すの?
なにそれ。すごく嫌なんですけど。

「採血の時より痛いと思いますけどちょっとだけ我慢してくださいね」
「はい」

でも、病院で年を越すのは、治療ができる場合だよなあ。
もし手遅れだったら家に帰れるよね。
だって病院にいても治らないんだし。

「いきまーす」
「はーい」

よし。手遅れだって言われたらすぐに退院しよう。
で、家に帰って、身辺整理しよう。
その前に会社か。退職願い出して、仕事の引き継ぎして、私物まとめて。
あー、面倒くさいなー。

「はい、おつかれさまでした。終わりましたー」
「はーい」

でも、手遅れっていっても、いまいま死ぬわけじゃないよなあ。
3ヶ月とか?半年とか?

「痛かったでしょう?」

1年だったら、働けるうちは働いてお母さんにお金残すってのもアリか。
うーん。余命によりけりだなー。

「MYKさん?」

3ヶ月未満だったらすぐに退職願だすことにして、余命が半年以上だったら、告知されてから考えるか。
うわー、悩ましいわー。

「MYKさん?」
「え?はい?」
「注射終わりましたよ?」
「ああ、はい」
「大丈夫でした?」
「はい」
「痛かったですよねえ?」
「あ、ぜんぜん。刺したの気づきませんでした
「えっ!」
「え?」

命の危険を感じるレベルの痛みを経験したせいで痛覚がおかしくなったのかと焦ったけれど、佐藤さんがすぐに気づいた。

「ああ、痛み止めのお薬を入れてるからかもしれませんね」

そうだ。背中から痛み止めが入ってるんだった。

手術室で麻酔のため硬膜外に挿入されたカテーテルは、手術が終わっても抜かれることなくテープで固定されたままで、いまはそこから継続的に痛み止めが入れられていた。
痛み止めの薬が入った小さなボトルは、専用のネットに入れられて枕元に置いてある。
改めてよく見てみると、ボトルの中は、〝いつでも新鮮〟が売りのお醤油のボトルみたいな密閉構造になっているようだ。
なるほど。うまくできてるわ。
佐藤さんはそのボトルを手に取ると、「残量をはかりますね」と言って、持ってきていたデジタルスケールをテーブルの上に置き、ボトルの重さを量った。

「その痛み止め、いつまでもつんですか?」
「いまのペースでいくと、おそらく明後日までは」
「少ーしずつ入ってるんですね」
「そうなんです。お腹、痛みますか?」
「いえ、大丈夫です」
「痛くなったら量を増やせますからね。それから、このお薬が全部無くなったらカテーテルは抜きますけど、その後は痛み止めの注射もありますし、飲むお薬を出すこともできますから」
「痛みが続いても大丈夫、と」
「はい。痛かったら我慢しないですぐに言ってください」
「はーい」

痛み止めといえば、O病院で投与された時のことを思い出す。
あれで自分が、〝痛みには強いけど痛み止めには滅法弱い〟ことを自覚したのだけれど、いまのこの痛み止めならぜんぜん平気だ。
意識を保っていられて、かつ、痛みがない。
完璧。完璧だ。



こうして始まった入院14日目だったが、この日あたしは、痛み止めのせいで心身ともに追い詰められ、最悪の事態に陥ることになる。



[ 次回更新は8/30の予定です ]



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院13日目 ] ハナちゃんのこと

2018/08/25 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


夜も8時になろうかという頃、同僚のハナちゃんが病室にやってきた。
全身真っ黒のいつものスタイルで。
病室に入ってきたハナちゃんは、何度も会ったことのあるうちの母を見ると、拗ねて渋々頷くように、首を前につきだした。
それが挨拶、らしい。
思春期かよ。(いいえ、アラフォーです)
ハナちゃんは、あたしが勧めたパイプ椅子に腰をおろしながら、病棟がわかりにくくてずいぶん迷った話を笑い声をあげて語ると、ふと、あたしの脚につけられたフットポンプに目をやって、「なに?これ」と言った。

「血栓予防だって」
「へーーー。これやってないと血栓ができて血管詰まっちゃうの?」
「その可能性が高まるらしい」
「あははは!じゃあちょっと止めちゃおっかなー」

人さし指を伸ばし、いまにもOFFのボタンを押そうとするハナちゃんを見て、あたしは静かにため息をついた。
ハナちゃん。そういうとこだよ。

もちろんハナちゃんは、あたしがいま絶望していることなんか知らないし、30分前に、母とあたしの間にフットポンプがらみでひと悶着あったことなど知るはずもない。
そしてハナちゃんは、自分の冗談で、背後にいる母の表情がこわばったことも知らない。
付き合いが長いから、ハナちゃんに悪気がないのは十二分にわかっている。
でもね、悪気さえなければどんな振る舞いをしても許されるってわけじゃないんだよ。絶対に。
あたしか母が軽口を叩いたのに乗っかったのならいざ知らず、自らすすんで自分以外の誰もが笑えない冗談を言うハナちゃんの思考回路は、いつもよくわからない。
けれどもう、わかろうともわかりたいとも思わない。
〝ハナちゃんはそういう人〟と諦めたのは十年以上前のことだ。

「止めてみてもいいよ。すぐにナースコールするけど」

あたしがそう答えると、ハナちゃんの話はフットポンプからナースコールに移り、「押したら病室側でも音鳴るの?」とか「すぐ来る?」とか、質問を続ける。
その後もハナちゃんは、あたしにつけられている点滴や器具をいちいち指差しては、「これは何?」「これは?」「こっちは?」と訊き続けた。
答えるのが面倒になって「わかんない」と言うと、「ちゃんと訊かなきゃダメじゃん!」と叱られた。
ハナちゃんの話はいつも、前触れなしにコロコロ変わる。
こんどは、あたしが着ている入院着に話が移ったらしく、掛け布団で隠れてる部分を指さして、「上下分かれてるやつ?」と訊いてきた。
「ううん」と答えると、「ああ!寝返り打つと前がはだけちゃうやつだ!」と大きな声で言ったあとで、「あはははは!」と声高らかに笑った。手を叩きながら。
そんな調子で続く質問はいちいち大声で、喋る速度は加速し続けている。
手術時の挿管で喉が痛いなか返事を求められるのは、億劫で苦痛だった。
しかも、麻酔の影響なのか頭がぼんやりしていて、ハナちゃんの早口に理解力がついていかない。
〝もうそろそろ勘弁してくれないかなー〟
そう思い始めた頃、消灯15分前を告げる病棟のアナウンスが流れると、ハナちゃんは、「まっ、元気そうで安心したよ」と言ってバタバタと帰っていった。
元気…そう…だと?
お前の眼は節穴だな。



嵐の去った病室には、疲労困憊のあたしと、ずっと続けていた作り笑いをやめて憮然とした表情になった母が残った。

「ハナちゃん、何がおもしろくてあんなに笑ってたんだろう」

母が、堪えていた不満を語りだす。

「フットポンプ止めるとか、背筋凍ったわ……」

次々と不満がこぼれ出す。

「あれ、お見舞いに来たんじゃなくて冷やかしでしょう」

母がそう思うのも当然だ。
でも本人は、あれでも見舞ってるつもりなんです。
だから始末に負えないんです。

「MYKちゃんが怒んないから私もなんにも言えなかったけど、怒ってもよかったんじゃない?」と母は言った。

母に限ったことではなく、ハナちゃんの話をすると誰もがそう言う。
それでもあたしが怒らないのは、過去の経験からその先がわかってしまっているせいだ。

ちなみに、会社でボスとあたし以外の人がハナちゃんにダメ出しをすると、ハナちゃんはきまって、「でも!」か「だって!」と、猛烈に反論する。
その様子をあたしは、〝叱られないまま大人になった典型だなあ……〟と思いながら眺めている。
叱られるのがとことん下手だなあ……と。
ところが、ボスやあたしがダメ出しをすると、なぜかハナちゃんは泣く。100%泣く。
そして泣きながら謝る。
あたしが「わかったよ。もういいよ」と言うまで、〝本当に悪いと思ってるんです。反省してるんです。でも許してもらってないから……〟という雰囲気を全身にまとい、あからさまにオドオドした態度で接してきて、それでもあたしが冷やかでいると、背を向けて涙をぬぐったりする。
〝私なんかに話しかけられるのは嫌かなと思って〟とかいう幼稚な理由で、必要な連絡や報告をしなかったりもする。
思春期かよ。(2回目)
あたしが許せばその不自然な態度は元に戻るけれど、忘れたころにまた同じようなことをやらかす。
つまり、あたしがダメ出しをしても叱っても怒っても、なんにも変わらないのだ。

ハナちゃんがいつまで経っても変わらないのは、変わる気がないからだ。
だとしたら、いくらあたしが〝改めるべき〟と思ったところでどうしようもないし、ハナちゃん自身がいまの自分を良しとしているのなら、あたしに出来ることは〝気にしないこと〟ぐらいしかない。

これが友達なら全然違うんだけどなあ……といつも思う。
たとえばあたしは親友のユウコさんにダメ出しをするし、ダメ出しもされる。
けれど、それがきっかけで喧嘩になることはない。
ちなみに一番最近されたダメ出しは、あたしが、ゆるく続けているダイエットらしきものの効果で凹んできたお腹を見せた時のこと。
ユウコさんは、凹んだ箇所より上に目をやり、「この肉、なに?」と言った。

「え…。た、たぶん、むかしはバストだった…脂肪…」
「でしょ?それを元の場所に収めないと」
「ダメか…」
「うん、ダメ。むしろこっちを先になんとかしなきゃダメ」

凹んだ腹の感想はないのかよ!とも思うけれど、そんなダメ出しをしてくれるのはユウコさんぐらいしかいないわけで。
それからというもの、胸の下が定位置になってしまった肉の処遇を真面目に考えるようになり、Youtubeを見ながらバストアップのエクササイズをしてみている。
一方、あたしがユウコさんにした直近のダメ出しは、「夜に住宅街でハザードをつけて車を停めるならヘッドライトは消せ。バカ明るいライトで家を照らされる者の身になってみろ」というものである。
以来、「今日はライト消したよ!」と自己申告してくる素直さが、ユウコさんの素敵なところだ。

〝ハナちゃんに言って聞かせるのは無理〟
そう割り切ってからというもの、ハナちゃんの言動に辟易はしても、正そうという気は一切失せた。
仕事の結果に影響することならば、泣かれようがわめかれようが言うべきことを言う。
仕事の結果に影響しなければ、うるさかろうが醜かろうが、気にしない。どうでもいい。
ところが、〝どうでもいい〟と流せない人もいる。
ボスである。
ただし、流せないからといって、くだらない諍いをする気もないようで。
だからボスは、自分がハナちゃんと直接仕事で関わらなくて済むように、〝ハナちゃんに指示したいことはMYKに言う〟という裏技を使うようになった。
最初のうちこそ、てめえだけ随分ラクに仕事してやがるじゃねえか……と思ったけれど、しぶしぶ従ってみれば、ボスとハナちゃんが関わって小競り合いが起きるよりは、あたしが間に入るほうが仕事がスムーズに進んだ。



手術したばかりの身で、しかも、絶望のさなかにいるのにハナちゃんを迎え入れた理由は他でもない。
いつものように、ボスとハナちゃんの間のクッション役になるためだ。
それは入院中のあたしだけができる、あたしの唯一の仕事だった。
ミッションクリアしたよ、ボス。(給料をください)



疲れ切ったけれど、〝ハナちゃんの相手をする〟というミッションをクリアしてほっとしたあたしは、「怒ってよかったんじゃない?」という母の問いに、「元気になったらぜんぶまとめて怒ってみようかな」と答えた。
母は、「まとめられたらかえって怖いんだけど!」と言ったあと、いつものように明るく笑った。



消灯時間になって母が帰ると、ナースステーションの灯りが差し込む個室でひとり、病気のことを考えはじめた。
卵巣がん。
どのくらい進行してるんだろう。
この先も生きられるんだろうか。
また会社に行けるんだろうか。
またユウコさんと飲みに行けるんだろうか。
またクマと旅ができるんだろうか。
なによりも、またお母さんと、テレビを見ながらごはんを食べて笑い合えるんだろうか。

入院13日目、手術を終えた日の夜はなかなか眠れなかった。



[ 次回更新は8/28の予定です ]



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2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
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2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
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