[ 入院13日目 ] 経過時間の意味するところ

2018/04/20 | trackback [ 0 ] | comment [ 5 ] | がん告知まで


通院日はいつも、一番早い時間を予約する。
そうすると、よほどの事がない限り、昼前に会計まで終わるからだ。
病院を出たら、その時に食べたいと思ったものを食べに行くことにしている。
ただし、どんなに食べたくてもマクドナルドには行かないし、車でしか行けないような場所にある店もだめ。
なぜなら、有給休暇を取った平日の昼間、昼ごはんと一緒に生ビールを飲むのが通院日の最大の楽しみだからだ。
マックにはビールがないし、車で行って飲んだなら社会人生命がなくなる。

さて、つい先日。前月に撮ったCTの結果を聞きに行った日のこと。
坂口先生に、検査結果に異常はなかったという説明を受け、更年期症状の改善について話し合ったあと、「で、今日はなに食べるの?」と訊かれた。

「餃子です」
「いいねー!お店は?」
「○○(店名)っていうところ。でも焼き餃子か水餃子かで迷ってる」
「両方食べればいいじゃない。両方プラス中ジョッキ一杯くらいなら全然いけるでしょ」
「いけるけど、今日の夜は会社の飲み会だから、昼は腹六分目くらいにしようと思ってて」
「新しいね!」
「え?」
「仕事して夜にビールを飲むか、仕事を休んで昼からビールを飲むか、休日に昼からビールを飲むか、だけだと思ってたMYKさんの生活には」
「……飲まない日もあります」
「(無視して)仕事を休んで昼からビールを飲んで、夜に会社の人たちと合流してまたビールを飲むっていうパターンもあるんだね」
「はぁ」
カルテに書いておくね
消化器の日野先生(仮名)に叱られるから書かないでください」
「大丈夫。〝「飲まない日もあります!」と言ってキレた〟って書いとくから」(電子カルテに書き込みながら)
「話を盛るな」

と、相変わらずな日々を送っているMYKです。


==========


(前回の話はコチラ


ストレッチャーにのせられて手術室から病棟に戻ると、ナースステーションにいる看護師さんたちが、「おつかれさま」とか「おかえり」とか「がんばったね」とか、優しく明るく声をかけてくれた。
手術室を出てから、喋っていいのかどうかわからなくて黙っていたけれど、看護師さんたちの言葉には応えたくて、酸素マスクの下で声を出してみた。

「(タダイマモドリマシター)」

自分では喋ったつもりだったけれど、声が嗄れて音になっていない。
声帯がポンコツすぎて普段から声が嗄れやすいので、手術の時は気管挿管をすると説明された時から〝声がでなくなるかもな〟と思ってはいた。
案の定だった。
ただ、看護師さんたちにとってもそれは想定内というか、起こってもおかしくない症状だったわけで、「無理して喋らなくてもいいからね」と言われただけで、ナースステーション前の個室に運ばれた。

やったーーーーー。個室だーーーーー。

声が出なくたって必要以上に心配されないし、干渉も詮索もされない。
誰かのクソつまらない話を聞かされることもないし、何より、無闇に悪意を投げつけられることがない。
この空間こそが、ほんの2日で相部屋に疲れてしまったあたしが求めていたものだった。

手術室から病室に戻るにあたり、もうひとつ心待ちにしていたことがある。
ドラマでよく見る、「いち、に、さん」だ。
ストレッチャーからベッドにヒョイと移されるアレである。
わくわくしていると、ストレッチャーがベッドの脇にぴったりとつけられた。
そして、手術室から付き添ってくれていた看護師ふたりがストレッチャーの左側に立ち、ナースステーションにいた看護師のうちのふたりがストレッチャーの右側にあるベッドの向こう側に立った。
ストレッチャー側のひとりが、「ベッドに移りますけど、動かなくていいですよー」と言うと、ベッド側のふたりが、ベッドに片方の膝をついてストレッチャーに手を伸ばした。
自然と身体が硬くなった時、ついに始まった。

「いち、にっ、さん」

その声は思っていたよりも静かで、ゆっくりと、ふわっと身体が浮いたと思ったらもうベッドに移っていた。
すてき。
二の腕が、あたしの手首ぐらいの細さしかない女性4人でこんなことができるなんて、看護師さんってやっぱりすごい。
でもきっと、これで腰や背筋を痛める人、いるんだろうなあ。

ベッドに移ると、看護師さんに指示されるがまま、少し身体を傾けたり浮かしたりするだけで、移乗用に身体の下に敷かれていたシーツが抜かれたり、身体から出ている何本もの管の絡まりがほどけたり、酸素マスクの管を繋ぎ直されたり、足元に血栓予防のフットポンプを置いたりと、どんどん環境が整っていく。
何度でも言うが、R病院の女性病棟にいる看護師さんたちはみんな本当に素晴らしくて、〝よっ!プロフェッショナル!〟と拍手したくなる。
声出ないけど。
〝どうしたらこんな優秀な人たちばかりが集まるんだろう。うちの会社の男どもに爪の垢でも……(略)〟と、胸の内で術後初悪態をついていたら、病室に母がやってきた。
その顔を見てわかった。



お母さん、寝てたんだね。



休日に家でよく見る半開きの瞼、ゆるんだ顔。そして何より、右頬にクッキリついたタオルの痕
見まごうことなき〝寝起きの顔〟だった。
それなのに母は、テキパキと動く看護師さんに触発されてしまい、小走りに病室の奥に入ってくると、あたしの顔の横に立って、無駄にシーツや掛け布団を直したりし始めた。
う、鬱陶しい……。
プロがプロらしく動いてる横で、よくもまあ、いけしゃあしゃあと……。
母のこの、〝かいがいしく世話をしてる真っ当な母親のフリ〟は、入院してからずっと煩わしいと思っていたのだけれど、いつものそれに〝寝起き〟というマイナス要因が加わったせいで、この時の鬱陶しさは相当のものだった。
〝煩わしい〟〝鬱陶しい〟〝なにもするな〟〝プロに任せろ〟と言おうにも、如何せん声が出ないし、それ以前に、看護師さんがたくさんいるところで母を貶めることを言いたくもない。
どうしたものかと思っていたら、看護師さんが言った。

「お母さん。タオルハンカチ、どこにありますか?」

入院してからずっとあたしがタオルハンカチを手元に置いていたことを知っていた看護師さんだった。
ああ、すてき。
その言葉に母は、〝任せとけ!〟とばかりにロッカーに駆け寄り、タオルハンカチだけでなく、読みかけの本やイヤホンやティッシュペーパーなど、脈絡もなくどんどん出しては、それをあたしの枕元に置いていく。
その様子を見ているうち、いま一番欲しいものを思い出したあたしは、それが入っている引き出しを指さした。
すると母は、〝ガッテンだ!〟とばかりに引き出しを開け、携帯電話を取り出してあたしに差し出した。

あたしが欲しかったのはメガネだった。
壁にかかっている時計で時間を確かめたかったからなのだけれど、携帯電話でも用が足りるので結果オーライである。
麻酔の影響か、泥酔した時ぐらいにピントが合い難いことに戸惑いながら、それでもじっと携帯の画面を見続けていると、ようやく 18:11 という文字が浮かび上がった。



15時に病室を出て手術をし、18時過ぎに病室に戻ってきたらしい。
それはつまり、〝破裂した左卵巣の残骸の回収〟という、最小限のミッションしか実行できなかったことを意味していた。



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漢方(桂枝茯苓丸)は1年続けたものの効果が実感できず、かといって、女性ホルモン補充療法(メノエイドコンビパッチ)はやめ時がわからないし血栓などのリスクもあるわけで。あと、おそらくあたしは、1枚のパッチを3日も4日も貼り続けていることに耐えられないので、エクエルになりました。更年期症状の改善だけでなく、美肌やダイエットなど、ありとあらゆる効果を期待しています。つまり、過度な期待をしています。




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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。