[ 入院13日目 ] 狭い幅にビビる

2017/10/31 | trackback [ 0 ] | comment [ 6 ] | がん告知まで


手術室に向かうエレベーターがきた。
母は病棟にある家族控室に残るというので、看護師の佐々木さんと福田さんと三人でエレベーターに乗りこむ。
エレベーターの外に向かってあたしが「じゃあね」と言うと、母は手を振りながら顔をクシャクシャにして泣いた。
いちいち泣きすぎです。
エレベーターの中で佐々木さんが、「病棟に戻ったらお母さんに声かけてみますから」と言ってくれたけれど、「たぶんキリがないのでほっといていいです。ああ見えて、頼る人がいなければわりと一人でなんでもできるので」と言うと、福田さんが「シビアですねー」と言ったので、なんとなく3人で笑った。

エレベーターを降りると、手術室に続く廊下は病棟より暗くて静かだった。
天井に視線を移すと、照明器具には3本入るべき蛍光管が2本しかついていない。
節電かー。
東日本大震災から1年8ヶ月経っていたけれど、患者がひとりで歩かない場所に限っては、蛍光管を外したり、まめに照明を消したりして節電しているのだと、佐々木さんが教えてくれた。
組織のこういう取り組み、大好きだ。
いい病院だなあ。

手術室の前に着くと、ドアには、街のいたるところで見かける〝押して下さい〟と書かれたタッチ式自動ドアスイッチがあった。
えーーー、あれじゃないのーーー?
ほら、よく医療ドラマで見る、つま先でトンとして開ける自動ドア。
あれが見たかったなー。
できれば、つま先でトンってやってみたかったなー。
…と、どうでもいいところに不満を抱きつつ看護師さんが開けた自動ドアを抜けると、広いとは言えないスペースに看護師と麻酔医が十数名いて、〝コードブルーみたい!〟とテンションが上がった。
が、看護師の佐々木さんと福田さんが手術室の看護師への引き渡しを終え、「終わったら病棟の看護師が迎えに来ますからね」と言って出ていくと、途端に心細くなった。
手術室の看護師さんに連れられてさらに奥へ進むと、細長い台の周りで男女5人が待ち受けていた。
あたりの設備を見て、どうやらここで手術するらしいことがわかった。



知らない人ばかりでなんか緊張するー。
あれ。慣れない場所で、大勢の知らない人に囲まれた時に落ち着く方法、むかしなにかで読んだな。
なんだっけ。古いマンガだった気がするけど……。



記憶の糸を手繰り寄せながらぼんやりしていたけれど、「じゃあここに乗ってください」という麻酔科医の声で我に返った。
え?ここに?乗れ…と…?
いや、目の前にある、やたら幅の狭い台に乗ってと言われているのは分かるんだ。
だけど、こんな狭い場所に乗るって何。
乗って何すんの。(麻酔です。そして手術です)
台の長さから、乗っての次は寝ろと言われそうな気はするし、おそらくこれが手術台なのだろうけれど、こんな狭い幅のとこに寝たって安定しないでしょう。
理解できないことだらけだが、とりあえず、狭い台の横にあるステップに上がり台に座ってみた。
「じゃあ上に着てるもの脱いでください」
下着はつけないよう言われていたから1枚脱いだらポロリだけど、不思議と恥ずかしさはない。
あたしが胸をはだけるのと同時に、年配の女性麻酔科医がタオルで胸を隠してくれ、別の、明らかに年下の女性麻酔科医が、点滴のラインが袖に引っかからないよう、脱ぐのを手伝ってくれた。
そして、「それじゃ、ゆっくり仰向けになってください」と言う。
こんな狭い幅のところに仰向けになれ…だと…?
横から見ている時は身体の幅ギリギリくらいに見えたそこは、上から見てみると、思ってたより少しは広い。けどヨガマットくらいじゃないの?この幅。
次から次へと浮かぶ疑問を口にすることもできないまま、恐る恐る仰向けになると、身体は余裕でその幅におさまった。
けれど、緊張で身体はガチガチだった。
ほんの少し動いただけで、ベッドから落ちる夢を見る時の、あの〝グラッ!〟という感覚に襲われそうな狭さでリラックスできるわけがない。
思いがけない自分の緊張ぶりに自分で驚いてしまい、黙っていられなくなって年配の女性麻酔科医に向かって言ってみた。

「この狭さ、落ちそうで緊張するんですが、みんな平気なんでしょうか」

すると、年配の女性麻酔科医が目尻を下げて笑いながら訊いてきた。

「手術とか麻酔とかじゃなくて狭くて緊張してるの?」
「たぶん。この、勢いよく寝返りをうったら100パー転げ落ちるみたいな狭さがもう、なんというか、もう」
「じゃあ転げ落ちないように気をつけながら横向きになってみましょう」
「え?」
「大丈夫。落ちないように支えますから」

ちなみにあたしは、狭所恐怖症とか閉所恐怖症ではないし、高所恐怖症でもない。
だけどたとえるなら、高層ビルの屋上の縁に寝ろと言われているようなゾワゾワ感がおさまらない。
「はい、左側を向きますよー」と言われて恐る恐る右肩を台から離すと、ベッドから落ちる夢を見る時のような〝グラッ〟がくる気がして、すぐに右肩を台に戻した。

「どうしました?」
「ふっ…」
「え?」
「ふふふっ」

自分のビビリ具合がおかしくて吹きだしてしまい、いったん笑い始めると止まらなくなった。
ちなみに普段のあたしは、笑い上戸でもない。
怖がっていると思ったら急に笑い出す、精神面に問題ありそうなあたしに、それでも年配の女性麻酔科医は困った顔をすることなく言った。

「じゃあ少しお喋りしましょうか」
「すみません。ふざけてるわけじゃなくて」
「うんうん。何か不安なことがあるのよね?」
「不安というか疑問が…」

幅の狭い台が怖かったのは、その上で眠ることを想像していたからだ。
初めての全身麻酔は、痛みを感じずただ眠っているというイメージで、だったら寝返りうつだろ、寝返りうったら落ちるだろ、と考えてビビっていた。
それを口にすると年配の女性麻酔科医は、笑い飛ばすことなく教えてくれた。

「普通の睡眠とは違って、もっと深く眠っているから寝返りうったりはしないの。万が一動くようなことがあっても、すぐに麻酔でコントロールするし、そんな時のために身体を固定もするの。だから安心して」
「ベッドから落ちる夢を見た時みたいに、〝グラッ!〟ともなりませんか?」
「ならないならない」

「へー」と納得したふりをしてみたが、寝返りもうたず夢も見ずに深く眠る自分がイメージできなさすぎて、どうにも解せない。
ただ、しょーもない躊躇でその場にいるみんなに迷惑をかけていることがいたたまれず、意を決して「横を向きます!」と宣言し、二人の麻酔科医の手を借りてなんとか真横を向いた。

「膝を折り曲げて抱えるようにできるかな」
「はい!」
「おへそを見るようにしてもうちょっと背中を丸くしてみて」
「はい!」

元気よく返事をしていると徐々に怖さが遠のきはじめた。

硬膜外麻酔のカテーテルを入れる前に、背中に局所麻酔をするという。
「ちょっと痛いかもしれないけどすぐに済むから動かないで我慢してね」
背中に注射するのも初めての経験だけど、普通の注射針の痛みには滅法強い。
実際、チクっとはしたが、痛いというほどでは全くなかった。
針を刺すのにも上手い下手はあるのだろうけれど、だとすればあたしは、上手い人ばかりに出会っているのかもしれないなあ。
そんなことを思っているうちにまた、古いマンガで読んだ、〝慣れない場所で、大勢の知らない人に囲まれた時に落ち着く方法〟が何だったのか?を思い出したくて仕方なくなった。

そうだ、ピアノだ。ピアノの発表会だ。
大事な発表会であがってしまって、気持ちを落ち着けるために…ために…あ!思い出した!
落ち着く方法は、〝大勢の中から知ってる人を見つける〟んだ!
『いつもポケットにショパン』に書いてあったんだ!


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「季晋ちゃんがタイプ」と思っていた可愛い時代もありました。



それを思い出したところで、手術室に知ってる人はいない。
けれど、懐かしいマンガの印象的なシーンを思い出せたことで、なんとか気持ちが落ち着いた。

局所麻酔が効いたところで、硬膜外麻酔のカテーテルの挿入が始まった。
背中で見えないぶん、麻酔科医が、いま何をしているのかを話してくれるから怖さはなかった。
挿入時、違和感はあるけれど痛みはなく、「はい、ちゃんと入りましたよー」という麻酔科医の声に安堵していると、カテーテルの挿入箇所をテープで留められた。



「じゃあ麻酔始めますね」
「はい」
「そうだ。訊きたかったことがあったの。坂口先生から、『MYKさんにはくれぐれも音楽聴かせないで』って言われたんだけど、どうして?



さーかーぐーちーーーー。



頭の中でブチ切れたところで意識が途切れた。
瞬殺だった。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

歩いて泣いて踊って飲んで、歩いてまた歩く

2017/10/14 | trackback [ 0 ] | comment [ 10 ] | 今日のできごと


バスで目の前に座っていたメタボなオジサン(おそらく年下)が素手で鼻をほじりまくるのを目撃し、不愉快MAXで出社したら、会社で斜め前に座っているオッサン(年下)までもが素手で鼻をほじりやがったので、〝お前らみんな鼻もげろ。もげてまえ〟と強く念じたりしている今日この頃ですが、皆さまにおかれましてはいかがお過ごしですか?



もうすっかり秋なので、短かったこの夏を振り返り、順不同でつらつらと。



体重が地味に減った
ここ1ヶ月くらいは58キロをキープ。
毎日なんとなく歩いているだけで他に運動はせず、食事制限もせず。もちろん酒も飲む。
食事制限するとか酒を止めればもっと一気に減るんじゃないか…?と思ったけど、反動でドカ食いする未来の自分が見えたので、制限せず。
休日にひとりで出かける時も、4~5キロくらいなら電車やバスや車じゃなく歩いて行くようになった。
ただ、靴の減りが極端に早いので、いつも靴底のことを考えている。
CROCSのパンプス用にSHOE GOOを買った。






友人を見送る
8月の暑い日だった。
可愛い娘と息子を、優しい旦那さんに託してこの世を去った彼女の闘病生活は、10年に及んでいた。
旦那さんは、「〝ママは十分がんばったから、もう痛みや苦しみから解放させてあげたい〟という自分の想いが本心かどうか、最後まで確信がもてなかった」と言った。
「〝ママを看ている自分を、苦しみから解放して欲しい〟と思ってしまったことがなかったか、自信がないんだ」と言って泣いた。
あたしたち友人は、旦那さんが吐き出す苦しさを、黙って聞いて涙することしかできなかった。
あたしたちは、どんな言葉も無力だということを知ってしまったくらいには大人だ。

彼女が逝く2か月ほど前、小林麻央さんが亡くなった。
その訃報とともに、麻央さんが生前BBCに寄稿した文章が再び注目された。
聡明で、やわらかいのに力強い麻央さんの文章に胸を打たれた人は多いはずだ。
なのにまるで〝それとこれとは別の話〟と言わんばかりに、高みから雑な物言いをする人の多さに、呆れを通り越して怒りすら覚えていた。

「人はいつか必ず死ぬ」
「そういう運命だった」
「寿命だったと思うしかない」
「親より先に逝くのは親不孝」
「かわいそう」
「ステージ○でここまで生きられたのが奇跡」
「民間療法になんて頼らなければ」

励ますとか慰めるとか悲しみを伝えるためとかにこういう言葉を発する人がいるけれど、どれをとっても本人か家族が発する言葉であって、赤の他人が言っていいことじゃない。
喪失感とか絶望とか、耐えがたい悲しみが癒えていない家族が素直に頷けない類の言葉をかけたところで、それは自己満足に過ぎない。
本当に悼む気持ちがあるのなら、遺された者の想いを理解しようとする気持ちがあるなら、こんな三文芝居の台詞みたいな言葉がなんの役にも立たないことに気づくはずだ。
あたしと同世代の女性のブログに、「なんて言ったらいいのかわからないけど、人間の死亡率って100%なんですよね。。。」と書いてあるのを見た時も、怒りで血が湧きそうになった。
なんて言ったらいいのかわからないなら黙ってろ。
なんて書いたらいいのかわからないなら書くな。

そんなふうに荒ぶっていた矢先の友人の訃報だったけれど、厳かな葬儀に参列して、旦那さんやお母さんの話を聞いてみんなで泣いたら、帰る頃には怒りは消えていて、悲しさと寂しさと悔しさだけが残った。



星野源のライブに行った
『逃げ恥』の余韻から星野源のライブに行きたい欲……というより、星野源のライブで大勢と恋ダンスを踊りたい欲が高まっていた。
そこで、星野源を好きそうな友人に探りをいれ、「歌も容姿もドストライク」という言質が取れたので、満を持してライブに誘う。
星野源の歌を生で聴くことと恋ダンスを踊ることに重点を置いて行ったライブだったけれど、Elevenplayの女の子たちが可愛くて可愛くて、キレッキレのダンスがとにかく素敵で、虜になった。
肝心の恋ダンスは、Elevenplayに見惚れながら雰囲気だけで踊ったが、友人には、「練習してきたの?」と言われた。
してないよ。していけばよかったよ。



場末の居酒屋で坂口先生に遭遇する
先生は先生なんだからもっと高級なお店に行ってください。



寂れた焼肉屋で坂口先生に遭遇する
もう一回言いますよ。
先生は先生なんだからもっと高級なお店に行ってください。



値段は安くおひとり様率の高いモツ焼き屋で坂口先生に遭遇する
3度目ともなると諦めて、モツ焼きをつまみにビールを飲みながら、貸した本の感想などを語り合う。



「入らないのは、サイズとか角度とかの問題なんだろうね」と坂口先生。
「ですよね」
「ただ、まあ、不妊治療が世間的に認知されてきたから、子どもが欲しかったら病院に行けって思う人も多いんだろうけど」
「ええ」
「でも、〝物理的に入らないけれど子どもは欲しい〟というのは、〝入るけどなかなか授からないから不妊治療する〟っていうのとは全然別の話だってとらえるのが、当事者の思考だと思うんだよね」
「あたしもそう思う」
「だから婦人科医としては、病院に来てみてっていう気持ちはもちろんあるけど、同じくらい、病院に行こうとしなかった気持ちもわかるんだよ」
「〝なんで病院に来ないのか意味がわからない〟っていう婦人科医もいそうだけど」
「まあねえ」
「▓▓とか▒▒とか」
「……MYKさん、ほんとその先生たち嫌いだよね」
「ええ」(笑顔で)
「そもそも、病院に来るのが正解かどうかは誰にもわかんないんだよね」
「そうなの」
「入るのと、授かるのはまた別の話だし」
「病院に行くのは選択肢のひとつっていうだけですよね。〝一度もいたしてないから子を生(な)せない〟っていうのも選択肢のひとつだから他人が否定することはできない。否定する根拠がない」
「本に書いてある限られた情報だけで、人の選択に良いの悪いの言えないし」
「▓▓とか▒▒とかは言いそう」
「……ほんとに嫌いなんだね」
「ええ」(笑顔で)


裸足のおじさんに遭遇する
つい先日のこと。会社からの帰り、交通量の多い幹線道路を歩いていると、向こうから、上下白っぽい服装のおじさんがやってきた。
広い歩道があるというのに、おじさんはなぜか車道を歩いていた。
危ないなあと思いながらまじまじと見て気がついた。
おじさん裸足だ……。しかもパジャマだ……。
おじさんが来た方向には特養老人ホームが、向かう先には入院設備のある精神病院がある。
どっちだ……?
どうすればいいのか考えながらすれ違うおじさんのほうを振り返り、あたしがいま来た方向に歩いていくおじさんの後をついて歩くと、背後から男性の話し声が聞こえてきた。

「はい、裸足なんです。車道をペタペタ歩いてて。声をかけたんですけど立ち止まってくれなくて。んー、ちょっとこのへんの地理に疎いので住所がわからないんですよね。あ、スポーツクラブの看板があります」

男性は電話で誰かと話しているようだった。
おじさんを見ながら歩く速度を緩めて、背後の男性に「警察ですか?」と声をかけると、男性はスマホを耳に当てたまま何度も大きく頷いた。
そこで電話を替わり、場所を説明しながら、男性と一緒におじさんの後を追った。
おじさんが道を曲がるたび、警察に場所を伝え続けること15分、パトカーが到着した。
おじさんは、あたしが思っていたよりもずっと遠い福祉施設から抜け出してきたらしく、捜索願いが出ているという。
男性はおじさん発見時の状況を、あたしはおじさんが通った道順を説明し、おじさんはパトカーに乗せられた。
お役御免、お疲れさまでしたーという段になって、男性が不安げに呟いた。

「ところで、ここってどこですか…」

聞けば、出張で北陸から来ていて、宿泊しているホテルに戻る途中でおじさんに遭遇したという。
男性は適当な場所までパトカーで送ってもらえることになった。
あたしは、「歩いて帰れますから」と言って走り去るパトカーを見送った。



で、あたしが道に迷う
直線距離で1.5キロの道のりを1時間かけて帰宅した。
方向音痴、治んねーな。



というわけで、とても元気に生きているので心配ご無用ですが、次回の更新は今月中に!と告知しておきます。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。