[ 入院13日目 ] さすがなトリオ

2017/08/24 | trackback [ 0 ] | comment [ 10 ] | がん告知まで


坂口先生と入れ替わりに母が戻ってきた。
手に下げたコンビニのレジ袋からは、女性週刊誌がはみ出している。
手術中に読むのね。かまいたちに腹を斬られたことは忘れたのね。よかったよかった。

「もう30分経った?」と母が言うと、それに答えるみたいに看護師の佐々木さんがやってきた。

「MYKさん、ちょっと早いけどそろそろ行く準備を始めましょうか」

手術室に行く時用の前開きのパジャマには着替えたし、貴重品は母に預けたし、部屋の移動に備えて私物は全部キャビネットにしまっていた。
となると、準備することがない。
「もう行ける感じです」とあたしが答えると、佐々木さんはその場で手術室に電話を入れた。
その様子を見て母はにわかに慌てだしたけれど、逆にあたしは、寝坊したせいで急いていた気持ちがすぅっと落ち着いた。
いよいよあたしの、本当の治療が始まる。



佐々木さんは電話を切ると、「麻酔科の先生からOK出たので手術室に移動しましょう」と言った。
そして、廊下を通りかかった看護師の福田さんを呼び止めると、あたしを見て、「ストレッチャーじゃなく、車椅子でも大丈夫ですか?」と聞いてきた。

「歩いて行ってもいいんでしょうか?」
「ゆっくりならオッケーです。オペ室、結構遠いんですけど歩けますか?」
「歩けます」

「結構遠い」がどの程度なのかはわからなかったけれど、車椅子で運ばれるよりは自分で歩いたほうが身体の痛みが少ないことはわかっていた。

〝少しの段差でも痛むのでゆっくり越えてください〟とか〝腹筋が使えないのでもっと緩やかに止まって緩やかにスタートしてください〟とか、自分の状態を伝えて対応の仕方を変えて貰うようなことが、昔から出来ない。
痛みや苦しさや辛さや悲しみや怒り。そういう負の感情を率直に伝えるのはいつでもかなりの勇気が必要で、まして、自分の状態に合わせて相手の言動を変えさせることになるくらいなら言わないでおいたほうが精神的に楽だったりする。
他人はそれを〝我慢強い〟と評すけれど、本当はそんなんじゃない。
優柔不断なだけだ。

息をしてるだけで痛いのだから何をしてもしなくてもだいたい痛いわけで、〝車椅子の振動でお腹が痛むんです〟なんてことは、言い出すとキリがない。
少なくとも看護師さんは、腹が痛い人だとわかったうえで車椅子に乗せているわけで、移動することによって〝ある程度の痛み〟が生じることもわかっているだろう。
あたしが痛いと言えなくなる理由はここにある。
〝ある程度の痛み〟がどの程度なのかがわからないのだ。
自分がいま感じている痛みが、言うべきレベルの痛みなのかどうかが、まったくわからないのだ。

もちろん、入院から1週間近く続いていた命の危険を感じるレベルの痛みなら、〝痛い〟も〝苦しい〟も言えるし、実際に言った。
だけど、たとえば採血。
血管が見えないわ細いわなので、1回で済まないことも多々あるし、針で血管を探られたこともある。
〝さすがにこれは、「ちょっとチクっとしますよー」レベルじゃないよなあ〟まではわかるのだけれど、〝痛い(からもう探るな。諦めろ)〟と申し出るタイミングが全然わからない。
ものすごく痛いのか?というとそれほどではないし、けれどいつもの採血よりは痛い。
ただ、もう少しで血管を探り当てるかもしれないと考えると、もうちょっと待ってみようか…となって、結果的に、痛いと申し出るタイミングを逸してしまう。
これはもう、〝そういう性格なんです〟としか言いようがないのだけれど、それが原因で、手術翌日の真夜中にメンタルがどん底に落ちることを、この時のあたしはまだ知らない。



手術室に行こうと立ちあがって肩からパーカーを羽織ったとき、同室の3人が楽しげにお喋りをしながら戻ってきた。
3人が揃って不在だったのは、病院内でがん患者のためのメイクレッスンが行われたからで、3人全員ががん患者であることを、あたしはこの時はじめて知った。

いままさに部屋から出ようとしているあたしを見て、瀬川さんとタケちゃんは足を止めた。

瀬川「いよいよ手術なのね!」
タケちゃん「頑張って!」
瀬川「でもMYKさん、もうここには戻ってこないのね…。残念…」
タケちゃん「もっとお話ししたかったのにー」

がんばるって具体的にはどういう風に?とか、戻ってこれなくてよかったですとか、私は話したいことありませんがーとか、胸の内でいつも通り悪態をつきながら、「がんばります」とか「お世話になりました」とか、軽く返事をした。
一方、あたしには目もくれず窓側の自分のベッドまで戻った加藤さんは、ベッドに座ってこちらに背を向けたまま、なぜか、あたしと話している瀬川さんとタケちゃんに大声で話しかけていた。

「ねえ、瀬川さん。メイクの先生、100円ショップにもつけまつげ売ってるって言ってたわよねぇ。退院したら見に行かなくちゃねぇ」
「タケちゃん。ねえ、タケちゃんってばー。アイブロウって何だっけ?目張り?眉墨?」

目張りとか眉墨っていう単語、久しぶりに聞いたなー。
でもそういえば、アイブロウっていう単語、加藤さんくらいの年齢になると覚えにくいのかも。
うちのお母さんは、随分前から〝眉墨〟とは言わなくなったけど、それでも〝アイブロウ〟っていう単語がすぐに出てこないから結局、「眉毛描くやつ」って言っちゃって、だったら眉墨で良いのでは!みたいなことになってるもん。
ところで、どうして瀬川さんとタケちゃんは加藤さんに答えてあげないんだろう。
いまじゃなくてもいい話で無理やり割り込んできている加藤さんはどうかと思うけれど、あたしと違って瀬川さんとタケちゃんは、いつも加藤さんと仲良く話しているんだから、無視することないじゃないかー。
何か言ってあげないさいよー。

そんなことを思いながら加藤さんの背中を眺めていると、それに気づいたタケちゃんがあたしを小声で呼んだ。
視線を戻すとタケちゃんは、目を細め、顔をしかめて首を左右に振った。
〝ほっときましょう〟なのか〝気にしないで〟なのか、他の意味なのかは分からないけれど、とにかくその目配せが気に障った。カチンときた。短気なので。

こういう、八方美人で日和見主義な人が嫌いだ。
あっちにもこっちにもいい顔をして、その場の流れで立ち位置がコロコロ変わる。
あっちに行ってはこっちの悪口を言い、こっちに来ればあっちを悪く言うような、子どもじみた振る舞いを平気でする大人が本当に嫌いだ。
それにいまこの瞬間、加藤さんは明らかに弱者だ。
病室にいる全員が一箇所に集まり、加藤さんだけがポツンとひとりでいて、そこからいつもの仲間に声をかけて無視されている。
これは弱者を作る瞬間の、いじめの構図そのものだ。

もちろん、自業自得だとは思う。
加藤さんは孤立して当然の振る舞いをしてきた。
だけど、ついさっきまで和気あいあいと話していた二人に手のひらを返されるなんて思っていないだろう。

何よりも、自分ががいじめる側にいることが嫌だった。
3対1の1になるのは平気だ。むしろ1がいい。
だけど、3になるのはまっぴらごめんだった。
だから、この構図を崩すべく口を開こうとした、その時だった。



「アイブロウってどっちなんだっけ、MYKちゃん」



黙っていられない母が加藤さんの質問に食いついた。
お母さん、グッジョブでーす。

あたしは母に向かって、でも、少しだけ声を張って答えた。

「アイブロウは眉墨で、目張りがアイライナーです」
「あぁ……何回聞いても覚えられない。どうやって覚えればいいんだろう」
「どっちがどっちって覚えるより、〝目張り=アイライン〟って覚えれば、アイラインをひくのがアイライナーで、アイライナーじゃないほうが眉墨、ってことになりませんかね」
「えー、何回聞いても覚えられなーい」

母とこの話をするのは初めてじゃない。3回はした。いや、5回くらいしている。
あたしの真面目な提案をサラっと聞き流して「覚えられないわー」と繰り返す母は明らかに覚える気がないのだけれど、「覚える気がないなら聞かないで」と腹を立てる時期はとうの昔に終わっているので、「んー、あたしが一緒の時は教えられるけどねえ」と言うに留めた。
すると、予想していた方向から予想以上の言葉が聞こえた。



「覚えたわ、私」



ニヤついてしまうのをぐっと堪え、無表情を装って声の主を振り返ると、レッスンでメイクをしてきたいつもより顔色のいい加藤さんが、あたしを見ていた。
絵に描いたようなドヤ顔で。
その表情に、「さすが…」という言葉が口をついて出た。
もちろんこれは、〝ついさっきメイクレッスンでレクチャーされたばかりの〝アイブロウ〟が目張りか眉墨か忘れて、「どっちなんだっけ?」って訊いてたくせに、舌の根も乾かぬうちにこのドヤ顔。私なら恥ずかしくてできませんが、そこはさすが加藤さん〟という、嫌味100%の「さすが」である。(性格が悪いので)
すると、あたしの言葉に釣られた日和見コンビが加藤さんを持ち上げはじめた。

「ほんと、さすが加藤さん!覚えるのが早いわー!」
「やっぱり頭の出来が違うんだ!似たようなカタカナってなかなか覚えられないよー」

おふたりの変わり身の早さも〝さすが〟です。(嫌味100%)



3人がまた仲良さげに喋りはじめたのを見届けると、「じゃあいってきます。お世話になりました」とだけ言って、病室を出た。



看護師の佐々木さん、福田さんと母の4人で、〝医療業務用〟と書かれたエレベーターの前に立つ。
なかなかこないエレベーターを待ちながら、福田さんと、「緊張してますか?」「ちょっとだけ」みたいな当り障りのない会話をしていると、佐々木さんが言った。

「MYKさん。さっきの」
「ん?」
「さっきの加藤さん対応、〝さすが〟です」



佐々木さん……それはどっちの意味の〝さすが〟でしょうか……。



ブログ更新のモチベーションになっています。「読んだよ」とか「早く続きを書け!」とかの合図にクリックお願いします!
にほんブログ村 病気ブログ 卵巣がんへ  



Twitterやってます。ブログの更新情報(自動)に加え、かつて一世を風靡したレコーディング・ダイエット的効果を期待しつつ、その日の体重をつぶやいたりつぶやかなかったりします。現在59キロで停滞中。




スポンサーサイト





■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院13日目 ] 手を貸せてないなんて言わせない

2017/08/07 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


看護師の佐々木さんから、術後はナースステーション前の個室に移動することを教えてもらうと、母と話して少し落ちていたテンションが一気にMAXまであがった。
あたしの相部屋生活に不足していたのは〝平穏〟だった。
〝誰もあたしに話しかけるな!〟と思っているわけではないし、おせっかいなおばさんの過干渉だって、ある程度は覚悟している。
ただ、何の理由かわからないけれど他人に悪意をばら撒き続ける加藤さんのサンドバッグになるのはとことん面倒くさかったから、その煩わしさから解放されるという朗報は、これからの入院生活や手術や治療がすべてうまくいき、未来が開ける予感すらもたらした。



手術まであと30分だというところで、母が、「お腹が痛い」と言いだした。

「どんな痛み?」
「うーん。なんっていうんだろ。お腹の表面を切ったみたいな…」
「ん?」
「鋭利な刃物で…」

うん、それあたしね。いまから手術して、あたしがそうなるのね。

母は昔から、たとえばあたしが風邪をひくと、「私もなんだか具合悪い」と言って寝込み、風邪をひいたあたしに風邪薬を買いに行かせるような人だった。
ネガティブな事への耐性が異常になくて、呆れるのを通り越してつい笑ってしまうくらい分かりやすく変調をきたす。
つまり、とても手がかかる。

「この期に及んで面倒なこと言い出したね」
「だって」
「手術のあいだ、看護師さんに迷惑かけないでね」
「ほんとに痛いんだって」
「そう」
「ほんとだってば!」

本当だとか嘘だとか気のせいだとか、そのあたりは心底どうでもいい。
30分後に手術室に入る暫定卵巣がん患者のあたしにそれを言うんだ…と辟易しただけである。
〝要介護になるまでは、自分の身体も自分の心も自分自身でケアしろ〟というのが娘の基本スタンスなのだけれど、そうする意欲がまったく見られない母なので、うんざりしながら言ってみた。

かまいたちだね
「え?」
「かまいたち以外考えられない」
「信じてないでしょ!ほんとうに痛いんだってば!」
「うん。だから、かまいたちの痛いバージョン」
「かまいたち…」
「そう、かまいたち」

しばらくすると母は、「どれだけザックリやられたか、トイレで見てくるよ」と笑いながら言って病室を出て行った。
念のため書いておくと、あたしも母も、かまいたちのせいだと本気で思い込むほどにはオツムがお花畑ではない。たぶん。
〝痛い〟〝だいじょうぶ?〟〝うん…〟みたいな会話をするのが煩わしいので、あたしが話を少しだけ面白い方向に逸らし、母がそれに乗っかってくれただけだ。
あたしと母は、小さいことで正面衝突しないよう、日々こうしてお互い身をかわしながら暮らしている。



かまいたちに斬られた傷を見るべくトイレに行った母と入れ替わるように、病室に坂口先生がやってきた。
寝坊したことをつっこまれるだろうなあ…と思ってはいたけれど、話は変化球から始まった。

「おはよう」 ←嫌味
「こんにちは」 ←せめてもの抵抗
「スガ先生がね」
「はい?」
スガ先生が、『手術延期したほうがいいんじゃないですか』って言ってきてさー」
「え」
A先生も『そうですね』って言ってて」
「えー」
「だから俺、二人に言ったんだよ。『延期なんかしたら俺がMYKさんに怒られるから、手術しましょうよー』ってね」
「………」
「ね?怒るでしょう?」
「いいえ」
「いや、スガ先生でもA先生でもなく、俺だけが怒られるんだよ、きっと」
「怒りません」
「まあ、いまの話は半分冗談だけど」



冗談かよ。しかも半分かよ。 ※1週間ぶり2回目。



「本当は、MYKさんが何時までなら眠ってても大丈夫か、何時までに起きなかったら手術を延期するかっていう話をしてた時、『勝手に睡眠導入剤処方して寝かせたくせに起きたら手術延期ってどういうことだ!って叱られたらどうしよう』って、三人で言って笑ってただけ」



明るい職場でなによりです。



どこから突っ込もうかと考えあぐねているあたしをよそに、坂口先生は、冗談の続きみたいなトーンで続けた。



「今日の日を迎えられたのはMYKさんががんばったからで、僕らはほとんど手を貸せていなかったけど、ここからは僕らが頑張る番だから」



意外な言葉だった。
あたしに限っていえば、発症から今日までの13日間、〝お医者さんの手を借りていない〟〝手をかけられていない〟と感じたことは一度もなかった。
顔を見なくても、朝夕の回診でさほど会話をしなくても、あたしの目に触れない場所でお医者さんたちは、治療方針を決めるのはもちろんのこと、薬を処方したり、腹水を抜くことや行動範囲を制限したり徐々に広げたりと様々な判断をしているわけで、看護師さんの仕事の何割かだってお医者さんの指示で行われているだろう。
なのに〝ほとんど手を貸せていない〟という、本心なのか謙遜なのかはわからないけれど、そういう言葉がするっと出てくるということは、目に触れない仕事が患者に評価されていないと実感した経験があるからに違いない。
大変な職業だなあ、お医者さんって。



「今日までも十分お世話になってますけど、これからもよろしくお願いします」
「はい。出来ることは全部します」
「じゃあ先生」
「ん?なになに?」
「手術のついでに腹の脂肪を取っていただ……」
「はーい、他の病院の先生に頼んでねー」



あわよくば…的お願いは瞬殺だったし、心底感謝してるんだという想いが伝わったかどうかはわからないけれど、これからは折々に想いを伝えなくては。
先生たちが、〝ほとんど手を貸せてない〟なんて言わなくていいように。
思わなくていいように。



話を終えた坂口先生は、「じゃあ後ほど」と言うと病室から出ていこうとした。
が、ドア付近でくるりと振り返って、それはそれは嬉しそうに言った。



「手術室で音楽流せるんだけど、B'z襟裳岬にしたかった?」
「……」
「いらないよねー。聞いたらヤバイもんねー。じゃ、後でねー」



坂口、しつこい。



ブログ更新のモチベーションになっています。「読んだよ」とか「早く続きを書け!」とかの合図にクリックお願いします!
にほんブログ村 病気ブログ 卵巣がんへ  



Twitterやってます。ブログの更新情報(自動)に加え、かつて一世を風靡したレコーディング・ダイエット的効果を期待しつつ、その日の体重をつぶやいたりつぶやかなかったりします。現在59キロ。ウォーキングの成果…なのか?






■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。