[ 入院11日目 ] 目覚めてすぐキレる

2016/11/29 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


真横になると呼吸が苦しくなり痛みが増すので、入院してからずっと、70度に立てたベッドに寄りかかって寝ていたのだが、自分で体勢を変えることもままならない状態で10日も経ち、当然、腰やお尻は限界だった。
そこで入院10日目の夜、看護師さんたちと話して、試しにベッドを倒して寝てみようということになったのだが、その結論に至る前、衝撃的なことを言われた。



「ちょっとお尻を見せてもらってもいいですか?」



そう言ったのは、真面目で堅そうで凛々しい看護師、佐々木さん。
あたしには、いくらババアでも会って数日しか経っていない人にお尻を見せるなんて……!という恥じらいはないようで、一切躊躇せずに入院着の裾を捲りあげ下着をおろして尻を見せると、佐々木さんは、「擦り剥ける一歩手前です。真っ赤です。軟膏を塗っておきましょう。いま持ってきますね」と言った。
お尻に軟膏を塗られるなんて45年ぶりじゃないだろうか。
自分で塗れたら良かったのだけれど、身体を反らすのも腰を屈めるのもまだ辛く、ベッドに両手をついた状態で佐々木さんに軟膏を塗ってもらう羽目になった。

不思議だった。
相手が若かろうが年配だろうが、男だろうが女だろうが、医師や看護師や看護助手という肩書があると、尻を出すのも恥ずかしくない。
〝申し訳ない〟とか〝不甲斐ない〟とか〝面目ない〟とかいう気持ちはあるのだけれど、恥ずかしくはない。
そんな自分がなんとも不思議だった。



薬を塗ってもらい、柔らかめのクッションも敷いて、お尻のガードは万全だ。
満を持してリモコンを持ち、ベッドを少しずつ倒していく。

60度。もうちょっといけるか…?
55度。うっ、内臓が痛い。でも、腰がラク。ちょーラク。
50度。うーーー。いや、もうひと声!
45度。う゛ーーーーーーーー。

……というのをひとりでやっていたのだが、ふと横を見ると、佐々木さんが笑っていた。

「笑ってる……」
「ごめんなさい。なんだか楽しそうで、つい……」
「もう、ケツと腰を守るためなら他の痛みなんて平気な気がしてきた」
「45度でいってみますか?」
「ダメだったら上げればいいんですもんね」
「そうですね。ただ、ナースコールは絶対手元に置いて寝てください」
「はい」
「胃にやさしい痛み止めも睡眠導入剤も処方されてます。ナースステーションで保管してるので、飲んでみようかなあと思ったら呼んでくださいね」

この10日間、痛み止めを使っていた2日間以外の睡眠は浅くて細切れで、だから、起きてる間は徹夜明けみたいにすべてが眩しく、目を細めさえすればいつでも睡魔がやってきていた。
細切れを繋げれば、1日の睡眠時間は5時間程度になったが、浅くて質の悪い睡眠をたとえ10時間続けたところで睡魔は去ってくれないものだ。



45度より先は無理だった。
でも、45度で十分だった。
眠りにおちたのは日付が変わってすぐのことで、柔らかくてあたたかいところに沈みながら身体が溶けていくように深く深く眠った。



3時に一度目が覚めたけれど、ほんの数分でまた眠くなった。
次に目が覚めたのは午前5時。
あたりはまだ真っ暗だったし、廊下を人が行き交う気配もない。
あー、よく寝た。爆睡した。
5時間ちゃんと寝られるのってこんなに気持ちよかったんだなあ。
でも、こんなに早く起きてもやることないや。
そういえば、今日は午前中から術前検査だから朝ごはんはナシって言われたし。
お昼ごはんは食べるのかなあ。
いらないんだけどな。
ああ、また眠くなってきた。
あたりが騒々しくなるまでもうちょっと寝よう。



いつも通り、病室には看護師さんが何度も見回りに来ていたらしい。
前日までは、夜中に看護師さんがやってくると必ず目を覚ましていたから、この日、懐中電灯の灯りにも足音にも気づかずに眠りこけているあたしを見た看護師さんたちは、10日ぶりにぐっすり眠っているのだからと、自然に目が覚めるまで起こさないでいてくれたようだった。



そのおかげで、次に目が覚めたのは午前8時過ぎ。
しかも、回診にきた坂口先生にほっぺをペシペシ叩かれてようやく目が覚めた。



親にもぶたれたことないのに何すんの。 (答え:起こしたの)



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院10日目 ] 母が買ってきてくれたもの

2016/11/24 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


先日、会社の健康診断があった。
体重は59.5キロだったが、ここ2年、家で真っ裸で量っても60キロを下回ったことはないので、今回の数値は健診センターのお情けによるものだ。
検査着の重さを1キロと見積ってくれる健診センターよ、ありがとう。
来年は50キロになってやるぜ、コノヤロー。(3年連続7回目)



そんなお情けをうける数日前のこと、会社のボスが、昔一緒に働いていた人(男性)と街でばったり出くわしたという話を始めた。

ボス「名乗られるまで誰だかわかんなくって」
MYK「ハゲてた?太ってた?」
ボス「ハゲてたし、とにかくすげー太ってた。あいつ、俺らと一緒に働いてた頃は60キロくらいって言ってたんだよ。それがドーンといっちゃってた。多分いまは、90超えてんじゃないかなあ」
MYK「推定30キロ増か」
ボス「あいつが辞めてから何年経つ?」
MYK「8年」
ボス「1年で4キロ弱ずつ増えてった計算か……」
MYK「そう考えると余裕だね」
ボス「いやいやいや、それを8年続けるんだぞ?」
MYK「余裕。何なら5キロずつでもいける」
ボス「まさかお前、この1年で4キロ太った!?」
MYK「この1年じゃないけど、1年で4キロ以上太ったことはあるよ。そっからたいして減ってない」
ボス「マジか。じゃあもしかして大台に乗っちゃった?」



さてここで問題です。ボスの言う〝大台〟とは何キロのことだったでしょう。
答えは改行含め7行後。



MYK「100キロにはなってないよ」
ボス「でも、それ÷2にはなっちゃった?」
MYK「50キロ?ああ、とっくに」
ボス「マジで!ついに大台いっちゃったのかー」



お前の目は節穴だな。



ボスは身長185cm体重72キロという、標準かちょい痩せ型かという体型だが、この20年で4キロ増えたことをいたく気にしている。



4キロごときで何をクヨクヨと。(※個人の感想です)



ただこれは、ボスに限ったことでなく、男性が女性の外見から想定する体重や3サイズは、概ね大きく外れている。
そして、ここからが本題だが、たとえ同性でも、デブになったことがない人は、デブのリアルな体重やサイズがわからない。
だって、ボスがギリ40キロ台だ思っていたあたしの体重は実際は60キロだし、きっと、ボスが会った元同僚は100キロ近くあるに違いない。
そして、入院10日目、病室にやってきたお母さん。
74年間ずっと痩せているあなたが娘のためにと買ってきたパンツのサイズはMですが、あなたの娘はLです。



「でも見て。これ、普通のMよりずっと大きいんじゃない?これなら入るで……」



もう一度言います。Lです。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院10日目 ] 全粥を食べる

2016/11/22 | trackback [ 0 ] | comment [ 2 ] | がん告知まで


坂口先生が長く居(座っ)たせいで、さっき朝食を食べたばかりなのにもう昼食の時間だ。
トレーをもって病室にやってきたベテラン看護師の堺さんは、「無理しなくていいけど、食べられそうなものは食べてみて」と言った。
とはいえ、昼食は、朝食の五分粥から全粥にジャンプアップしていて、しかも、味噌汁や焼き魚や副菜までがついている。
献立票には〝ブリの照り焼き〟〝小松菜と根菜の煮びたし〟〝味噌汁〟とあり、どれも嫌いじゃないけれど、どれにも食指が動かない。

とりあえず、味噌汁をすすってみると、どう考えても薄味なはずの病院食が塩辛く感じる。
お粥のお供には、うめびしおと同じメーカーのたいみそがついていて、封を切って舐めてみると、こっちは甘味を強く感じる。
どちらも〝これじゃない感〟が半端ない。
かといって、これだ!というものも思い浮かばないから、たいみそと味噌汁の汁とでおかゆを食べることにした。

全粥は、思いのほか胃にズシンときて、3分の1くらい食べただけで満たされてしまった。
卵巣破裂したんだし、胃潰瘍だし、十二指腸には穴開いてたんだし。食欲が湧かないのも当たり前だ。
ああでも、食べきらないとまたS先生に何か言われんのかなー。
面倒くさいわー。鬱陶しいわー。



配膳されてから30分経ったころ、堺さんが下膳にやってきた。
そして、3分の2が残ったお粥や手つかずのおかず、具が全部残った味噌汁をじっと見て言った。



「いっぱい食べられるようになったわねー」



何度でも言うけれど、あたしが欲しいのはこういう言葉だ。
心身共に元気ならどんな言葉も聞き流せるけれど、どっちも弱っているときは、医師や看護師の何気ない一言で深い谷底に突き落とされもするし、天にも昇る気持ちにだってなれる。

「全粥、胃にズシっときました」
「そうでしょう。三分粥や五分粥とは全然違うもんね」
「おかず、食べられなかった」
「いいのいいの。そのうち食べられるようになっちゃうんだから」
「なっちゃいますか」
「なるわよ。しかもね、急にくるから」
「そうなんだ」
「もちろん、徐々に徐々に…っていう人もいるけど、MYKさんみたいに急激に具合が悪くなった人って、あるときから急に食べられるようになってる気がするのよねー」
「へー」
「だから、S先生が言ったこと、気にしなくていいからね」

その場にいなかった堺さんがS先生のあの発言を知っているということは、牧さんがそっと話してくれたんだろうか。
幸い、S先生が言ったことを真に受けてはいなかったし、食事を平らげられないこと自体は全く気にしていなかった。
S先生に付け入る隙を与えるのが不本意なだけで。

「大丈夫。いちいち真に受けてないから平気です」
「え?気にしてなかったの?」
「凹んだりはしてないけど、たくさん食べられないと、 『 ああ、またS先生に叱るネタを与えてしまったなあ 』 って思っちゃうから、そういう意味では気にしてます」

堺さんはそれまで笑顔で話していたのに、急に真顔になって、「先生でも看護師でも、嫌なものは嫌だって言っていいんだからね。怒ってもいいんだからね。我慢しないで。無理もしないで」と言った。
「はい」と頷きはしたけれど、S先生の言動にいちいち苦言を呈していたらキリがない。
何を言われても聞き流すんだろうなあ、あたしは。と、この時は思っていた。



堺さんに付き添って貰って、初めて自分で下膳した。
全然軽くなっていないトレーを持って廊下に出ると、病室の少し先にある配膳車までの距離が長く思えたけれど、点滴スタンドを持って横にいてくれた堺さんが励ましてくれたから、なんとか辿りつけた。
それを見た看護師さんたちは、今朝ガスが出た時みたいに、誉めたり、まるで自分のことのように喜んだりしてくれた。

なんて温かいんだろう。
なんて穏やかなんだろう。
病室のベッドに戻り、またひとつ出来ることが増えた喜びを噛みしめていると、そんなあたしの安らぎを邪魔する人がやってきた。
母である。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
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2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
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