[ 入院5日目 ] 転院し、被害妄想に取り憑かれる

2016/07/29 | trackback [ 0 ] | comment [ 0 ] | がん告知まで


ストレッチャーごと救急車に乗り、振動からくる激痛を、土下座改良バージョンスタイルで耐え忍ぶこと15分、救急車が自宅の近くにさしかかった。
見飽きた景色のはずだった。
けれどそれは、たった5日見なかっただけで、望郷にも似た気持ちを覚えるような、懐かしい景色となっていた。
家はすぐそこなのに。毎日ここを歩いてたのに。
あっという間に歩くことすらできなくなった自分が不甲斐なくて情けなくて、入院してから初めて、涙があふれそうになった。
が、止まった。


「先生、先生!見て!あそこのパーマ屋さんに私通ってるのー。パーマ屋さんの先生がね、あ、先生って美容師さんね。その先生が月一で近所の年寄りを集めて女子会やるの。ふふふ、老人だらけの女子会。それでね、あ!あそこのラーメン屋さん、あの赤い暖簾のところね、おいしいって近所じゃ評判なのよ。チャーシューメンとネギラーメンがオススメ。でも餃子はイマイチかなー」


初めて救急車に乗りテンションが上がりまくっている母は、なぜかYT先生に家の近所のお店を次々紹介し続けていた。
適当に聞き流してくれればいいものを、YT先生も、「女子会!いいですねー!」とか、「僕、ラーメン屋さんに行くと必ずチャーシューメン頼むんですよ!トロトロチャーシューが好きなんです!あそこ、大盛とか味玉トッピングとかできるのかなー」とか、いちいちリアクションしている。
社交的か!コミュニケーション能力高すぎか!

救急車の中で、死にそうだといわれた娘には目もくれずどうでもいい話をし続けている母もどうかと思うし、痛みを堪えて脂汗までかいている患者の脇でチャーシューメンへの愛を熱く語ったYT先生のことは、機会があったら殴りたい。もしくはつねりたい。



ほどなくして、救急車はR病院の救急外来に到着。
土下座改良バージョンスタイルのまま、ストレッチャーで処置室へと運ばれた。
そこで待っていたのは、R病院婦人科のA先生とS先生。
白髪頭のダンディーなA先生は、YT先生と書類を見ながら小声で何やら話しをしていた。
その脇であたしは、救急車のストレッチャーから病院のストレッチャーに乗り換えるという大仕事を成し遂げたせいで、痛みに悶絶していた。
S先生や看護師さんは、「痛いですよねー。でもちょっと我慢してねー」と、取り付く島もないことを言いながら、酸素マスクやパルスオキシメーターを黙々とあたしに付けていく。

A先生との話を終えたYT先生があたしの横に立った。

「じゃあがんばって。僕、来週ここに来る用事があるので、その時は様子見に寄りますから」

ああ、来週にはYT先生を殴れるくらい元気になってますように。



YT先生が処置室から出ていくと、険しい表情をしたA先生が書類を見ながら近づいてきた。

「MYKさん。えーとご家族は…ああ、お母さんとふたりなのね。お母さんおいくつ?」
「74です」
「そう…」

なに?なんなの?
74歳で娘に先立たれたらどうやって一人で暮らしていくんでしょうねえお気の毒に、とかそういう話?
もしかしてYT先生と、「もうダメですね」「ですよねー」みたいなこと喋ってたの?
でも、YT先生、来週来るって言ったし。
あ!もしかして!もうダメだって気づかせないためのウソ…!?

「それで今日はお母さんは?」
「救急車で一緒に来たんですけど」
「待合室にいるのかな。じゃあ私はお母さんとお話ししてくるので」

やっぱり!
お母さんに、「既に手遅れで」とか「最悪の事態を覚悟しておいてください」とか言うんだ!
そうなんだ!

疑心暗鬼というか誇大妄想というか。
何がきっかけで不安ボリュームがMAXになってしまったのかは自分でもわからないが、訊かずにはいられなかった。

「もしかして『死にますよ』とかいう話をするんですか?」

するとA先生は戸惑った表情を見せて口ごもり、微妙な間をおいて答えた。

「いま見たばかりで、そんなことわかりませんよ」

絶対嘘だ。(被害妄想)



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院5日目 ] 転院準備中に餞別をもらう

2016/07/27 | trackback [ 0 ] | comment [ 6 ] | がん告知まで


この日の朝のことはいつまで経っても忘れられない。

9時半に出発することになっていた。
病室からストレッチャーで移動して救急車に乗り、R病院まで片道20分。母とYT先生も同乗するという。

入院してから丸4日、会社のボスが来たときと検査のとき以外はずっとベッドの上にいた。
入院初日からずっと、ベッドのリクライニングはMAX70度のままで、上半身が少しでも水平方向に倒れると激痛が走るという状態は変わらず。
腰もお尻も痛かったけど、それ以上に、内臓全般の痛みが強すぎて、身体を横にする勇気はなかった。
そんなあたしが、

・どういう体勢でストレッチャーに乗ればいいか
・救急車の走行中はどんな体勢でいればいいか

ということを一生懸命考えてくれた看護師さんがいた。

その看護師さんは8時に病室にやってくると、「朝早くからごめんなさいね」と言って、あたしがどんな体勢になるとより辛いのかを細かく聞き始めた。
「自分の意志で動いても身体が揺れただけで内臓の痛みが増すくらいだから、20分は我慢するしかないと思ってました」と言ったら、「そうやってすぐに諦めないの」と叱られた。
真剣な思考錯誤は15分ほど続き、彼女はひとつの結論を口にした。



「ストレッチャーの上に正座していきましょう」



「正座…」
「そう。正座して、片手でストレッチャーの脇にあるベッドフェンスかどこかを掴めばいいんじゃないかしら。ストレッチャーに腰かけて足を床につけるっていうのも考えたんだけど、足で踏ん張るとお腹が痛むと思うのよ。だから、正座して、膝は少し開いて。足が痺れるようなら少し外側に崩してもいいわよね。それで両手を前につけば、あまり腹筋を使わなくて済むと思うの。それに、ふくらはぎや太ももがクッションがわりになるから、ストレッチャーに直に座るよりは車の振動が緩和されると思うの」
「はあ」
「ちょっと今やってみましょうか」



看護師さんが真剣に考えてくれたので、やってみる。
介助してもらいながらベッドの上に正座して、膝を開き、手を前について、と…。



「これ…、土下座みたいじゃない?」



そうあたしが呟くと、病室がどっと沸いた。
顔をあげてみると、土下座をさせた看護師さん本人が笑っていた。涙を浮かべてヒーヒー言いながら大笑いしていた。
自力で起き上がれないあたしは、土下座したまま笑いを堪え続けた。
騒動を聞きつけて、「どうしたの?」と言いながら部屋に入ってきた別の看護師さんも、あたしの格好を見るなり笑い出した。
おねがいー。
やめさせてー。
あたしのこの格好、すぐにやめさせてー。

ヒーヒー言っている看護師さんと後からきた看護師さん二人の手を借りて、身体を起こしてもらう。
改めて周りを見てみると、看護師さんだけじゃなく病室のみんなも、涙を流して笑っていた。

「どうしよう」
「どうしましょ…ヒーヒーヒー」(看護師さん)
「体勢はラクなのに笑えるからツライ…」
「MYKさんが『土下座』って言わなきゃみんな気づかなかったのに…プププププ」(隣のおばさん)
「笑わなければ大丈夫そうなんだけど」
「でも思い出すわよね、ふふふふふ」(おばあさん)
「確実に」
「でもほら!一緒に乗るYT先生もお母様も初めて見るわけだから!土下座って言わなきゃ気づかないわけだからつられて笑うこともないし」(後からきた看護師さん)
「思い出し笑いするもの」
「そこは我慢!…ヒーヒーヒー」(看護師さん)
「看護師さんだって、我慢できてないじゃないですかー」

看護師さんは笑いながらあたしを見て、なぜか視線をスっと上に向けると、ピタリと笑うのをやめた。
そして、「ちょっと待っててね」と言って病室を出ると、何やら黒いものを手に笑顔で戻ってきた。
彼女が手にしていたのは、折りたたみのヘアブラシだった。




丸4日、70度のベッドにもたれかかっていたせいで後頭部の髪の毛がぐしゃぐしゃになっていることに気づいてくれたのだ。

看護師さんは、「髪、とかしてから出発しましょうね」と言うと、丸5日洗っていないあたしの髪の毛に手を伸ばした。
「汚いからー」と断ったが、看護師さんは「いいからいいからー」と言うと、静かにブラシで髪をとかしはじめた。



感動した。ちょっと泣きそうだった。
あと1時間もすればこの病院の患者じゃなくなるのに、どうしてここまでしてくれるのか。
看護師さんってすごい。ほんとにすごい。
髪をとかしながら看護師さんが言う。

「リップクリーム持ってます?」
「はい」
「じゃあリップも塗りましょう。病室から出るからね。外来の人に会うかもしれないしね」

看護師さんたちのこういう心配りにはその後、何度も感服することになる。
なんなんだろう。
元々そういう心配りができる人が看護師という職業を選ぶんだろうか。
それとも、鍛えられて身につくのだろうか。
どっちにしても、看護師さんすげえよ。

髪をまとめ終えると、看護師さんは丁寧に洗ったブラシをあたしに差し出して、「これどうぞ。ささやかなお餞別です」と言った。

ありがたく受け取ったそのブラシは、転院してからもずっと使い続けた。今も大事にとってある。
治療中、辛いことはたくさんあったけれど、このブラシを見ると、転院した日の病室の底抜けに明るい雰囲気と看護師さんの素敵な心配りが思い出されて気分が和らいだ。



9時少し前、母が病室にやってきた。
救急隊員の人を連れてYT先生もやってきた。

看護師さんたちに介助されながら、練習した通り、ストレッチャーの上に正座した。
「え?その格好で行っちゃいます?」と訊いてきたYT先生に看護師さんが、「このままです。この体勢が楽だってことがわかったんです」と答えた。

同室の愉快な3人に別れを告げ、ストレッチャーが動き出す。
ストレッチャーの向きが変わる時、無意識で、前に片手をついて、もう片方の手でサイドガードをつかんだ。
すると付き添っていた看護師さんが言った。



「土下座の改良バージョンね!」



うん、だから笑わせないで。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院4日目 ] エア乾杯

2016/07/26 | trackback [ 0 ] | comment [ 0 ] | がん告知まで


痛み止めをやめた3日目の夜は、上半身の激痛や呼吸の苦しさと共に、“普通の睡魔” もやってきた。
昼夜問わず薬で強制的にシャットダウンされる怖さがない、自然な睡魔が嬉しかった。
痛みと苦しさで眠れはしないものの、目を閉じていると少しはうつらうつらできたし、「昨日も一昨日もほとんど眠ってたんだから、1日や2日くらい眠れなくても平気」と開き直ってしまえば、眠れないことへの不安も焦りもなくなった。
「眠れない」んじゃなく、「眠らない」。
ネガティブに考えるとキリがないから、「自分の意志でそうしてるの」と思うことにした。

不安定な気持ちでいることに疲れて始めてもいた。

死ぬのかしら?生きるのかしら?
悪性なのかしら?良性なのかしら?
…ということを一切考えないのは無理だけど、いくら考えたところで結果はもう決まっているのだろうし、治療するもしないも、全ては医師に任せるしかないだろう。
全ての答えは医師が握っていて、いまのあたしは待つことしかできない。
だから、待っている間に自分ができることは何か?を考えたほうがよほどいい。

元々、結論が出ないことをグルグル考えるのが苦手だ。
死ぬのか生きるのかは、時が来れば誰かが教えてくれるだろう。
もしも死ぬのなら、「お母さん、ごめん」だけじゃなく、やるべきことはたくさんあるだろう。
そして、もしも生きられるのなら、やるべきことは更に増えそうな気がしていた。



目を閉じながらそんなことを考えているうち、入院4日目の朝がきた。



4日目は、栄養や抗生物質の点滴以外、治療らしい治療はない。
ただ、YT先生は朝から忙しそうだった。



「R病院、ベッドに空きがないって断られちゃいました。第2希望どこでしたっけ?」
「(第2希望は訊かれてないけど)Q病院で」
「わかりましたー」

~ 1時間後 ~

「Q病院もベッドに空きがないっていうんでP病院になりました」

~ 30分後 ~

「事情が変わりました。P病院に急患が入ったらしく受け入れできなくなったと連絡がありました。転院先はP病院が探してくれてます」

~ 10分後 ~

「結論でました。第1希望のR病院で決定です」
「おっ」
「僕が電話してもダメだったのに、P病院が言ったらOKだそうです。僕の力不足を見せつけられちゃいました」
「きっと、先生が打診してくれた後だったからP病院からの要請を受けてくれたんですよ」
「ホントにそう思ってます?」
いや、思ってませんけど
「…MYKさん、元気になってきましたね。憎まれ口を叩くようになるまで快復してるって、R病院に申し送りしますから」



転院先が決まった後は、同室のおばあさん達のお喋りを聞いて過ごした。
お昼前、病室に、占い師さんは胃がんではなく胃潰瘍でした。という吉報がもたらされ、それじゃお茶で乾杯しましょうということになった。
隣のおばさんが、「MYKさん、ごめんなさいねー」と言う。
あたしはこのとき初めて、自分が絶飲食だと知ったのだった。

「マジか…」
「YT先生にも看護師さんにも言われたの、覚えてないの?」(おばあさん)
「全く…」
「すごい!記憶喪失みたいね!」(占い師さん)
「そうだ!今日は昨日より元気そうだし、お水飲んでもいいかって先生に訊いてきてあげる!」

隣のおばさんはそう言うと、ナースステーションに走っていき、すぐに戻ってくると笑顔で言った。

「看護師さんに言ってみたんだけど、『 ダメに決まってるでしょ 』 って叱られちゃったぁ」



3人がマグカップを合わせて「かんぱーい」と言った。
あたしもエアマグカップを合わせるジェスチャーをしながら、「かんぱーい」と言った。
すると、全然おめでたくないトーンで言ったあたしの「かんぱーい」が可笑しいと、3人は笑い転げた。
その姿につられてあたしも吹き出してしまい、案の定、上半身に激痛が走った。
笑うのマジキツイ。


これを境に、それまで皆無だったあたしの「水が飲みたい欲求」が急速に高まり出すのだが、実際に水が飲めるのはこれから4日後のことになる。
ああ…。
今か今かとワクワクして待ち続けることになる当時の自分に、「先は長いよ」って耳打ちしてあげたい。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
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