「救急車を呼ぶ」というハードル

2015/03/27 | trackback [ 0 ] | comment [ 0 ] | ニュースレビュー


「自分史上最悪の体調と精神状態で見ず知らずの相手に助けを求める」という行為は、医療従事者が思っているよりもずっとずっとずーっと勇気がいることだ。
迷いに迷ってようやく勇気を振り絞り助けを求めたにも関わらず、相手に冷たくされてしまったら、見放されたら……、いや、そこまでいかなくとも、〝 貴方の助けを求めています 〟 という意思が伝わらないだけで絶望を覚えることだってある。
あたしの場合、友人を夜間救急に連れて行った時の体験から、もしも最初にかけた病院に診療を断られていたらおそらく朝まで待ってしまっていただろう。

ただしあたしには強みもあった。
それは、ひとりじゃなかったことだ。
うちの親は大人の看病や介護をしたことがないので、入院中も、病人のニーズとは違う手出しばかりして大いに笑わせてくれたのだが、それでも、「どうしよう…」と言える相手がいるのといないのとでは全く違う。
娘(と言っても当時45歳)の異常を目の当たりにして動転しまくってはいたが、病院の夜間救急専用の電話番号を調べてくれたり、カバンを持ってくれたり、吐くとき用のビニール袋をスタンバってくれたりと、存在が本当に有り難かった。

にも関わらず、「救急車を呼びますか?」と訊かれて口ごもったのには理由がある。


2012年の夏、まだ健康だと思い込んでいた当時のこと。
前年の秋、山形大学に通っていたひとり暮らしの19歳の学生が下宿先で具合が悪くなり119番通報をした。
しかしなぜか救急車は出動せず、それから9日後、学生の家族から依頼を受けた大家が部屋を訪ねて死亡している学生を発見した、という事件をテレビで知った。


救急車が来ない?119番通報した大学生の重い死 / 産経ニュース
 ※上記リンクが見られない場合 → Web魚拓: 1 2 3 4 5 6 7 8



学生は119番通報の翌日に死亡したとみられ、死因は不明とされていたが、遺族は、「ウイルス性心筋炎で死亡した可能性が高い」と主張。
「救急車で運ばれていれば助かったはず」として、母親が山形市を相手取り損害賠償を求める民事訴訟を起こしたことから、事態が明るみになり、遺族側弁護士は、119番通報した際の学生と消防職員の会話の音声ファイルを入手し公開した。







冒頭はこの会話から始まる。

消防「119番山形消防です。火事ですか?救急ですか?」
学生「あー、ちょっと体調悪くて」
消防「救急車の要請ですか?
学生「はい


普通の感覚では、このあとに住所や症状などを訊かれて答えれば救急車が来てくれると思うのではないだろうか。
あたしもそう思った。
しかも、通報者は明らかに様子がおかしいのだ。

消防「救急車の向かう住所を教えてください」
学生「えーと、山形市小白川…(略)」
消防「小白川、はい」
学生「○○(番地)です」
消防「○○ですね」
学生「はい」
消防「えーと、一般住宅ですかね?アパートですか?」
学生「はい、そうです」
消防「アパートです?アパート?」
学生「はい」
消防「何号室ですか?
学生「えーと、○○(アパート名)です


その後も、名前を訊かれているのに年齢を答えたりなどして会話がスムーズに進まない。

学生「ずっと体調が悪くて……えーと、ふぅ……」
消防「歩けるの?」
学生「あー、動けると思います」
消防「自分で動けるの?」
学生「はい」
消防「あの、救急車じゃなくてタクシーとかで行きますか?
学生「あー、えーと、タクシーの番号が分かれば自分で行けると思います


このあと消防は、診てくれる病院の電話番号を教えるからとメモを取らせるも、タクシー会社の電話番号は教えることができないから104に電話して訊いて、タクシーで病院に行くように伝えた。
通話は消防の、「お大事にー」という言葉で終わっている。
しかし、学生がその後104や病院に電話をかけた形跡は、ない。



どうしようもなくなって119番通報をした。
呼吸は苦しいし、呂律が回らないせいで何度も相手に聞き返されて辛いけれど、頑張って答えた。
しかし、救急車を寄越してくれるはずの相手はなぜか、「タクシーで行きますか?」と訊いてきた。
どんな状態かと訊かれたので、呼吸が続かないなか必死で答えるが、それはあくまで相手が診療科を特定するためで、「大変そうだからやはり救急車を向かわせましょう」ということにはならなかった。
メモできるものを探してようやく病院の電話番号を書き留めるも、病院へ行くためのタクシーの電話番号は自分で調べて自分でまた電話をしなければならないのだ。
小さい子どもだって知っている119番に勇気を出して助けを求め、見知らぬ相手と6分半も会話を続けたが、「お大事にー」と電話を切られた。


学生はどれだけ疲弊しただろう。
どれだけ落胆しただろう。



「119番に電話しても絶対来てくれない」とは思っていない。
ただそれは、「瀕死の状態で119番しても、必ず救急車が来てくれるわけではない」と思うには十分なニュースで、幸か不幸か当時のあたしには、「救急車を呼ぶ」という高い高いハードルを越えるには気力も体力もなかったし、心のどこかに、命の危険にさらされていたひとり暮らしの19歳が呼んでも来てくれなかったくらいだ、実家暮らしの45歳が呼んだってますます来てくれないだろうという程度の諦めがあったことは否めない。
つまり、あたしが2012年11月30日の深夜に救急車を呼ばなかったのは、数ヶ月前に見たこのショッキングなニュースが記憶に深く深く刻まれていたからだった。



この訴訟が近々和解するとニュースで知った。


山形大生救急車訴訟、事実上の和解成立 山形市と遺族、解決金1500万円 / 山形新聞
 ※上記リンクが見られない場合 → Web魚拓



和解案に「謝罪」という言葉が入っていないことに敢えて言及している市長には何の期待もしない。
だが、せめて消防職員だけは、謝罪無き和解案を遺族が受け入れた意味を、19歳の学生の死や遺族の無念を、全身で受けとめて欲しい。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

普通はタクシーだろ

2015/03/10 | trackback [ 0 ] | comment [ 0 ] | がん告知まで


友人を夜間救急病院に連れて行った時のことが頭をよぎり気が遠くなったが、かろうじて、「吐いたものが何なのか知りたい」という欲求だけが、萎える気持ちをなんとか奮い立たせてくれた。
とにかく、動けるうちに動かなくては。
動けなくなったら選択肢が〝救急車を呼ぶ〟しかなくなってしまう。



早速、数か月前に友人を診てくれた病院に電話をかけることにした。
丈夫だけが取り柄の娘(と言っても当時45歳)が真夜中に病院に行くと言い出したことにパニくった親が、「電話かけてあげようか?」と言ってくれたが、パニくった年寄りの要領の得ない喋りに自分の運命を賭ける気は更々なかった。←ヒドイ
それ以前に、幸か不幸か、友人のように小走りしなくても息はハァハァしているので、電話をかけて説明さえすれば、大変な状態であることがわかって貰えると確信していた。

電話に出た男性に、朝から症状が出ていること、日中内科に行き胃腸炎だと言われたこと、薬を飲んでも症状が改善されないどころか酷くなっていること、そして、何かわからない液体を大量に吐いたことを伝えた。
すると、意外な言葉が返ってきた。



「救急車を呼びますか?」



朝まで待てとか、すごく混んでるとか、診て貰えそうにないところを何とか説得する気でいたのでその言葉に驚いた。
と同時に、やはり電話の向こうの人はプロなのだと痛感した。

「救急車…」
「救急車でいらっしゃいますか?」
「あ、いや……」
「タクシーで?」
「あの、車で……」
「どなたかの車でいらっしゃるんですね」
「あ……」
「病院の場所はお分かりになりますか?」
「はい」
「それでは気をつけてお越しください」
「……はい」



うちの親は免許を持っていないし、親以外に家族はいない。
深夜に連絡して来てくれる友達がいないこともないが、それならタクシーを呼んだほうが早い。
でも、やたら急ブレーキを踏む運転手にあたったらどうしよう……。

そう。
会社に行った時と同じネガティブな考えから、この期に及んであたしはまた、自分で車を運転するのである。
助手席に、吐く時用に空のビニール袋を持った親を乗せて。









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■ 経緯

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2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

夜間救急病院の思い出

2015/03/06 | trackback [ 0 ] | comment [ 0 ] | がん告知まで


吐いてみてわかったことは、丸1日以上何も食べていないにも関わらずなぜか胃には茶褐色の液体が大量にあったということ。
わからなかったことは、その液体がいったい何なのか、だった。
いずれにせよ、異常事態であることに変わりはない。
たくさん吐いたことで少し呼吸が楽になったこともあり、ようやく夜間救急病院に行こうという気になったのだが、ある出来事を思い出してすぐに気持ちが萎えた。

というのも、数か月前の深夜、「脇腹が痛くて呼吸ができない」と連絡をしてきた友人を夜間救急病院に連れて行ったことがあったのだが、診てくれる病院を探すのにずいぶん難儀したのがきっかけで、救急医療について随分考えたからだった。



その時はまず、苦しむ友人を助手席に乗せると、深く考えずに最寄りの救急病院に駆け込んだ。
ところが、受付にいた看護師に、「外科の医師しかいないので診られませんよ!」とキツい口調で言われてしまった。
幸い親切な警備員さんが、「○○病院に電話して訊いてみたら?」と声をかけてくれたのでそこに電話をかけてみたのだが、今度は、「救急が混んでいるので何時に診られるかわからない。待合室で長時間いるよりも自宅で朝まで待って日中の診療時間内に受診したほうが良いと思う」と、断られてしまった。
次に電話をかけた病院でも同じように、「喋ったり歩けたりするなら緊急性が低いと思われるので、朝になってもまだ同じ症状が続いていたら最寄りの病院を受診してください」と言われたが、ここで引き下がっていては本当に朝になってしまうので、「本人が随分苦しそうなんです!」と食い下がってみた。
すると、本人と電話を代わるよう言われた。
具体的な症状を本人に確認するのかと思いきや、説得する相手があたしから友人に変わっただけのことで、だから、「わかりました……」としょぼくれた声で言い電話を切った友人は今にも泣き出しそうだった。



元はといえば、夜間は外科しか診ていない病院に行ったあたしが悪いのだ。門前払いされて当然だ。看護師さんのキツさには少し凹んだけれど、そのぶん警備員さんの心遣いがとても嬉しかったし。
「混んでいるから」と断った病院も、患者のことを思って正直に話してくれたのだろうし、具合が悪いのに長時間待たされるのは確かにツライ。
「緊急性が低いと思われるので」と断った病院だって、付き添いのあたしが語ったわずかな情報からそう判断できるだけの経験値を身につけているということだろう。さすが!プロだね!!!



なんて思えるはずもなく。



みんな、普通の仕事をしているだけなのだろう。
彼女たちからすれば、夜間救急病院に行くなら前もって診療科を確認するのは当然のことだし、そんなことも調べずに来た人には、「外科以外は診られません」と断るまでが仕事であり、警備員さんがしたような、別の病院を教えてあげることは仕事ではないのだろう。
命に関わる症状の人を優先するのは当然だろうし、電話だけの少ない情報から緊急性の有無を完璧に把握することは不可能だろうが、かといって診られる人数には限りがあるのもわかる。
ニュースやワイドショーで取り上げられるように、「昼間は仕事で行けないから」とか「薬局が閉まって買いそびれたので風邪薬を処方してもらいに」とか「指先にトゲが刺さっちゃって」とか、緊急性がないのに救急病院を受診する人の増加が救急医療現場の負担となっていることも十分に承知している。
それでも、彼女たちが拒否する権利だけを行使しているように思えてしまうのは、こちらの痛みや苦しさを知ろうとかいう姿勢が全く見えない応対に理由があると思う。

深夜、耐えられないほどの痛みと苦しさに襲われた友人が、119番ではなくあたしに電話をかけてきたのは、救急車を呼ぶ勇気がなかったことと心細さからであって、決して、「救急車に乗るほど酷くないから」という理由ではないのだ!



……と、医療従事者の仕事ぶりに腹を立てるのは、友人を診てくれる病院を見つけてからでも遅くはない。
だがここまでで、病院に慣れていない人が症状や痛さの度合いや怖さを電話で病院関係者に伝えて診療までこぎつけるということが、思いのほか大変だということを知ってしまった。



結局友人が診て貰えたのは次に電話をかけた病院だった。
しかしそこで診てくれることになった経緯も微妙で、その病院に電話をかけてあたしが状況を説明した後、「ご本人、電話に出られますか?」と訊かれたのだが、そのとき友人はトイレから戻ってくるところで、電話に出ようと慌ててつい小走りになったあげく脇腹を庇い忘れて悶絶し、ようやく電話に出られたときには、息が上がってゼィゼィしていてほとんど声が出せなかったためである。
つまり、ミラクルというかまぐれというか、偶然の産物みたいな展開からだった。
実際、ようやく病院に着いて診察の手続きをしているとき、電話を受けたと思われる受付の男性が、「あ……お話しできるようになったんですね……」と言ったのだが、それが笑顔ではなく少し不満げな表情だったことをあたしは見逃さなかった。
痛いって言ってるのに!苦しがってるのに……!



しかし手続きを終えればこっちのもの。
それから1時間以上かけてたくさんの検査をした友人は、医師からも納得の診断をされたようで、はにかんで診察室から出てきた。



「で、なんだって?」
「痛み止め飲んで湿布貼って様子みてって」
「湿布?」
「うん。1週間ぐらいで痛みはなくなるでしょうって」
「どんな診断だったの?」
「……ろ……ぅ……(小声で聞き取れず)」
「え?」
「ろ、ろ、肋間神経痛じゃないかって!」
「………………………へ?」


肋間神経痛 - Wikipedia


「救急医療の現場の皆様、このたびは、ご助言に全く従わないどころか、心の中で悪態をつきまくってしまい申し訳ありませんでした。
今後は不測の事態が起こっても、皆様のご迷惑にならないよう、客観的に冷静に立ち振る舞う所存でございます。
まずは、「今じゃないとダメなのか、朝では遅いのか」をしっかりと見極めますっ。」

そう言って土下座したい気分だった。



当時は、それから数か月後に今度は自分が夜間救急の世話になるなどとは微塵も思っていなかったが、いざ自分の番になってみると、奔走し考えて反省したこの時の経験が大いに影響したのだった。
良くも悪くも。








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2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
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2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
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