I was finally throw up !

2015/02/26 | trackback [ 0 ] | comment [ 0 ] | がん告知まで


痛み止めを飲んで、それが効いた頃を見計らって思いっきりリバースする!
という名案(では無い)を思いついたあたしは、ほんの少しの水でイブを2錠飲むと、目を閉じて浅く呼吸をしながら、気が遠くなりそうな痛みが僅かに和らぐその時が来るのをじっと待った。

……待った。

……待った。
……ま、待った。

が、元の痛みが振り切れ過ぎていて、薬の効きが全くわからない。
加えて、薬と一緒に水を飲んだせいか、喉元まで何かがせり上がってきて、薬を飲む前よりも却って吐き気がひどくなってきた。



限界がくる前にトイレに移動していなければ大惨事になることはわかっていたが、何を吐くのかをしっかり見たいし、病院に行ったら、「こんなものを吐いたんですけどー」と見せたい。
そこで、ソファのすぐ横にあったレジ袋に手を伸ばした。
具体的には、前日ファミマで酒のつまみを買った時に入れてもらった真っ白なレジ袋に手を伸ばした。←すごくどうでもいい。

袋を広げて待つこと1時間。
時は満ちた。
……というか、胃が満ちちゃった。
少し体勢を変えたとたん、「鎮痛剤が効いた頃合い」とか「痛いから無理」とか「覚悟を決めてから」とかいう腹づもりを全部無視して、マーライオンよろしく、真っ白なレジ袋めがけて大量の液体をリバースしたのだった。



すぐさまレジ袋の中にあるものをじっと見た。
それは茶褐色の液体だった。
たとえるなら、コップに注いで一晩たって炭酸が抜けたコーラをちょっと薄めたような、濁りのない茶褐色の液体が推定500ml。
この時になってようやく、レジ袋に穴が開いていたらマズイと気づき、袋を二枚重ねにした。
そして気づいた。

痛みと呼吸が少しだけ楽になってる!

そこで、今がチャンス!と袋を持って立ち上がり、母親の寝室に入って電気をつけた。

「ねえ」
「(Zzzzzzzz)……ん?」
「見て」
「……ん?何?」
「これ。吐いた」
「……え゛!」(起き上がる)
「これなんだと思う?」
「ジュ、ジュ、ジュースとか……?」
「飲んでない。血かなあ」
「血っ!?」
「古い血っぽくない?」
「ギャーーーーーー!」

って、改めて書いていて思ったけど、こんな起こされ方、あたしは絶対に嫌だ。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

あたしは何を吐くのだろう

2015/02/25 | trackback [ 0 ] | comment [ 0 ] | がん告知まで


母親が作ってくれたクリームシチューを食べず自室にこもったものの、痛みは全くひかないし、呼吸が浅いから酸素が足りていないのか、いつもよりも厚着をして石油ファンヒーターをがんがんつけているのに寒くて寒くて仕方ない。
3歩で行けるベッドまで数分かけて動き、唸りながら分厚い毛布を引っ張って身体をくるんでみたが、全く暖まらない。



そんな時にふと、「死ぬのかなー」と思った。
「こんなふうに、痛みに耐えてるうちに息が苦しくなってどんどん身体が冷えて死んじゃうものなのかもなー」と思った。



がんと告知された時やストーマ(人工肛門)になるかもしれないと言われた時など、治療を終えるまで、精神的に辛いことはたくさんあったけれど、初めて死を意識したこの夜のことは、思い出すだけで泣きたくなる。

いまになってみると、たぶん、この時が精神的に限界だった。
痛みや苦しさや不安はもちろんだが、それ以上に、いい年をして上司や同僚や母親にまで迷惑をかける自分のふがいなさに耐えられなかったのだと思う。
決死の覚悟で病院(ただし内科)に行ったのに胃腸炎だと言われ、胃腸薬を処方されただけで帰されて。
それを飲んだところで回復の兆しすらない。
それに。
せっかく親が食事を作っていてくれたのに、それを食べて、「美味しい」とか「元気が出た」とか、安心させる言葉さえかけてあげられない。
そんな自分のふがいなさを感じ続けることが限界だったのだと思う。



しかし、死ぬには早い人間の身体というのは、生に執着するかのように必死だった。
それまでとは比べものにならないほどの猛烈な吐き気が襲ってきたのである。


時間は12/1の午前0時を少し過ぎた頃。
痛みが始まった11/30は朝食も摂っていないし、水もほとんど飲めていない。
つまり、最後に摂った食事は11/29の夜なのだ。
それから丸一日以上経ったいま、自分が何を吐くのかが気になって気になって仕方ない。
そんなに気になるのならさっさと吐いてみればいいわけだが、腹に少し力を入れただけで気が遠くなるような激痛が走るので、その痛みに耐えながら吐く勇気が出なかった。
そこから30分、どうしたら吐けるのかだけを考え続けたように思う。
で、ようやく思いついた。



痛み止めを飲んで、それが効いた頃を見計らって思いっきりリバースする!
そうだ!これしかない! ← そうか?



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

クリームシチュー

2015/02/18 | trackback [ 0 ] | comment [ 0 ] | がん告知まで


内科で、「レントゲンは脂肪が多すぎてよく写らなかったけど胃腸炎だね」と診断され、胃腸薬を処方されることになったのだが、自分では、「胃腸炎は胃腸炎なのだろうけれど、諸悪の根源は婦人科だ」と思っていたので、息も絶え絶えになりながらそう訴えてみたのだが、なにせ内科なので、「婦人科に異常がある自覚があるのなら婦人科に行ったほうがいいでしょうね」と言われる。
そりゃそうだ。

「痛み止めをください」
「ああ、家で何飲んだって言ったっけ?イブプロフェン?それで大丈夫!」
「効かないんです」
「でも胃腸が弱ってる時は強い薬はダメだからね!」
「はあ…」
「おだいじに」
「はあ…」

やっぱ内科じゃダメなんだな…とわかってはいるものの、病院で出された薬だから劇的に効くかもしれないというわずかな希望が捨てきれず、相変わらずの激痛に耐えながら調剤薬局へ行き、処方された胃腸薬を買って自宅に帰った。
自分で車を運転して。



家の玄関を開けると、ほわーんといい香りがした。
実は、この時のことを思い出すと今でもちょっと泣きたくなるのだが、腹が痛いと言いながら会社に行った娘(ただし当時45歳)のために、母親は食事を作って待っていてくれた。
クリームシチューだった。
玄関で美味しそうな匂いを嗅ぎながら、「材料買いに行ってくれたんだな……」とか「何がいいかなって一生懸命考えたんだろうな……」とか、母親の今日一日を想ったら鼻の奥がツーンとした。
でも。
ごめんね、おかあさん。
ごはん食べられるような質の痛みじゃないんだよう……。



母親には、「病院行ったら胃腸炎だって言われて、薬を処方されたからそれを飲んで様子みるよ。ごはん、食べられるようになったら食べるから。せっかく作ってくれたのにごめんね」と言った。
母親は当然、食欲旺盛な娘(ただし当時45歳)が食べられないなんて余程のことだと心配してくれたが、元来家事力が低い母親はクリームシチューを作って疲れたようで、いつもより随分早い時間に眠ってしまった。
3時間後、「これいま吐いたんだけど」と、なにやらよくわからない液体(嘔吐物)を見せられる羽目になるとは知らずに。



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2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。