5年前の今日

2017/12/01 | trackback [ - ] | comment [ 5 ] | 今日のできごと


10月末、リビングでドラマ『コウノドリ』を観ていた時のこと。
ドラマの中では、〝お腹を痛めて産まないと母親としての愛情が不足する〟という迷信を信じ、なんとか無痛分娩を回避しようとがんばる妊婦が鴻鳥先生に優しく諭されていた。
それを見た母が、「都市伝説なのにねえ…」と呆れたように呟いた。
50年前、今で言うところの無痛分娩であたしを産んだ母は、お腹を痛めて産まなかったことについていろんな人にかなりえげつなく責められたようで、未だにそれを恨めしげに語って聞かせる。
ただ、50年も一緒に住んでいると、昔話をされたところでそれが初耳なはずもない。
母の出産エピソードにしても耳にタコができるほどに聞き飽きているし、無痛分娩を責められたところに行く着くまでが長いので、『コウノドリ』に夢中だったあたしは適当に相槌をうちながら聞き流していた。

母のこの話は、悪阻が酷くて、食べることはもちろん料理することも台所に立つことすらできない時期、酔った父が寿司折りを持って帰ってきて「旨いから食べろ」としつこく勧めてくるので仕方なくかんぴょう巻きをつまんでみたものの、飲み込む前に吐いた、という話から始まる。
その後は、悪阻に苦しむ母に対する父のずれまくった「食べろ」エピソードが延々続き、出産したその日、二日酔いで病院にきた父があまりに酒臭くて産後なのにまた吐いた…と、吐いた話ばかりが続く。

「産んだの、確か土曜日だったんだよね。昔は土曜も半ドン(死語)だったから、お父さん、午前中は仕事して午後に病院に来たんだけど…。ん?あれ?でも来たの夕方だったかなあ?」



知らんがな。



そう胸の内でツッコミながらふと思った。
長い人生の中で、〝年月日だけじゃなく曜日までセットで覚えているエピソードってなかなか無くない?〟と。
そこで、『コウノドリ』そっちのけで考えてみたら、あたしにはそういうエピソードが2つあった。



2011年3月11日が金曜日だったことと、2012年11月30日が金曜日だったことは、たぶん一生忘れない。
前者は東日本大震災、後者は、卵巣がんだと判明するに至った、いまにも死にそうなほどの腹痛に襲われた日である。
つまり、今日で発症から丸5年が経った。



2012年11月30日、金曜日。
あの日のことは5年経った今でも、鳥肌が立つほど鮮明に覚えている。
意識が飛びそうになるほどの痛みや苦しさ、手足がどんどん冷たくなっていく恐怖、身体の異変に気づかないふりをしていたことへの後悔。
月末で忙しいのに仕事ができない焦り、会社の人に迷惑をかけることへの不甲斐なさ。
5年も経ったとは思えないほど、あの日のすべてを思い出せる。

5年前の今日の夕食は、お母さんが一生懸命作ってくれたクリームシチュー
でも食べられなかったんだよね。
あーあ。
お母さんがあたしを産んだ50年前の日のことを曜日までちゃんと覚えているみたいに、あたしも2012年11月30日のことは死ぬまで覚えているんだろうなあ。



……と、つい感傷に浸ってしまう11月30日。
感傷ついでにネットで検索したら衝撃的な事実が判明した。



お母さん。
あたしが産まれたの、月曜日だったよ。



ああヤバイ。
あたしも記憶が薄れる前に、金曜日が火曜日に変わったりしちゃう前にブログを書き進めなければ…と焦っているうち日付が変わり、今日から6年目が始まった。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

歩いて泣いて踊って飲んで、歩いてまた歩く

2017/10/14 | trackback [ 0 ] | comment [ 10 ] | 今日のできごと


バスで目の前に座っていたメタボなオジサン(おそらく年下)が素手で鼻をほじりまくるのを目撃し、不愉快MAXで出社したら、会社で斜め前に座っているオッサン(年下)までもが素手で鼻をほじりやがったので、〝お前らみんな鼻もげろ。もげてまえ〟と強く念じたりしている今日この頃ですが、皆さまにおかれましてはいかがお過ごしですか?



もうすっかり秋なので、短かったこの夏を振り返り、順不同でつらつらと。



体重が地味に減った
ここ1ヶ月くらいは58キロをキープ。
毎日なんとなく歩いているだけで他に運動はせず、食事制限もせず。もちろん酒も飲む。
食事制限するとか酒を止めればもっと一気に減るんじゃないか…?と思ったけど、反動でドカ食いする未来の自分が見えたので、制限せず。
休日にひとりで出かける時も、4~5キロくらいなら電車やバスや車じゃなく歩いて行くようになった。
ただ、靴の減りが極端に早いので、いつも靴底のことを考えている。
CROCSのパンプス用にSHOE GOOを買った。






友人を見送る
8月の暑い日だった。
可愛い娘と息子を、優しい旦那さんに託してこの世を去った彼女の闘病生活は、10年に及んでいた。
旦那さんは、「〝ママは十分がんばったから、もう痛みや苦しみから解放させてあげたい〟という自分の想いが本心かどうか、最後まで確信がもてなかった」と言った。
「〝ママを看ている自分を、苦しみから解放して欲しい〟と思ってしまったことがなかったか、自信がないんだ」と言って泣いた。
あたしたち友人は、旦那さんが吐き出す苦しさを、黙って聞いて涙することしかできなかった。
あたしたちは、どんな言葉も無力だということを知ってしまったくらいには大人だ。

彼女が逝く2か月ほど前、小林麻央さんが亡くなった。
その訃報とともに、麻央さんが生前BBCに寄稿した文章が再び注目された。
聡明で、やわらかいのに力強い麻央さんの文章に胸を打たれた人は多いはずだ。
なのにまるで〝それとこれとは別の話〟と言わんばかりに、高みから雑な物言いをする人の多さに、呆れを通り越して怒りすら覚えていた。

「人はいつか必ず死ぬ」
「そういう運命だった」
「寿命だったと思うしかない」
「親より先に逝くのは親不孝」
「かわいそう」
「ステージ○でここまで生きられたのが奇跡」
「民間療法になんて頼らなければ」

励ますとか慰めるとか悲しみを伝えるためとかにこういう言葉を発する人がいるけれど、どれをとっても本人か家族が発する言葉であって、赤の他人が言っていいことじゃない。
喪失感とか絶望とか、耐えがたい悲しみが癒えていない家族が素直に頷けない類の言葉をかけたところで、それは自己満足に過ぎない。
本当に悼む気持ちがあるのなら、遺された者の想いを理解しようとする気持ちがあるなら、こんな三文芝居の台詞みたいな言葉がなんの役にも立たないことに気づくはずだ。
あたしと同世代の女性のブログに、「なんて言ったらいいのかわからないけど、人間の死亡率って100%なんですよね。。。」と書いてあるのを見た時も、怒りで血が湧きそうになった。
なんて言ったらいいのかわからないなら黙ってろ。
なんて書いたらいいのかわからないなら書くな。

そんなふうに荒ぶっていた矢先の友人の訃報だったけれど、厳かな葬儀に参列して、旦那さんやお母さんの話を聞いてみんなで泣いたら、帰る頃には怒りは消えていて、悲しさと寂しさと悔しさだけが残った。



星野源のライブに行った
『逃げ恥』の余韻から星野源のライブに行きたい欲……というより、星野源のライブで大勢と恋ダンスを踊りたい欲が高まっていた。
そこで、星野源を好きそうな友人に探りをいれ、「歌も容姿もドストライク」という言質が取れたので、満を持してライブに誘う。
星野源の歌を生で聴くことと恋ダンスを踊ることに重点を置いて行ったライブだったけれど、Elevenplayの女の子たちが可愛くて可愛くて、キレッキレのダンスがとにかく素敵で、虜になった。
肝心の恋ダンスは、Elevenplayに見惚れながら雰囲気だけで踊ったが、友人には、「練習してきたの?」と言われた。
してないよ。していけばよかったよ。



場末の居酒屋で坂口先生に遭遇する
先生は先生なんだからもっと高級なお店に行ってください。



寂れた焼肉屋で坂口先生に遭遇する
もう一回言いますよ。
先生は先生なんだからもっと高級なお店に行ってください。



値段は安くおひとり様率の高いモツ焼き屋で坂口先生に遭遇する
3度目ともなると諦めて、モツ焼きをつまみにビールを飲みながら、貸した本の感想などを語り合う。



「入らないのは、サイズとか角度とかの問題なんだろうね」と坂口先生。
「ですよね」
「ただ、まあ、不妊治療が世間的に認知されてきたから、子どもが欲しかったら病院に行けって思う人も多いんだろうけど」
「ええ」
「でも、〝物理的に入らないけれど子どもは欲しい〟というのは、〝入るけどなかなか授からないから不妊治療する〟っていうのとは全然別の話だってとらえるのが、当事者の思考だと思うんだよね」
「あたしもそう思う」
「だから婦人科医としては、病院に来てみてっていう気持ちはもちろんあるけど、同じくらい、病院に行こうとしなかった気持ちもわかるんだよ」
「〝なんで病院に来ないのか意味がわからない〟っていう婦人科医もいそうだけど」
「まあねえ」
「▓▓とか▒▒とか」
「……MYKさん、ほんとその先生たち嫌いだよね」
「ええ」(笑顔で)
「そもそも、病院に来るのが正解かどうかは誰にもわかんないんだよね」
「そうなの」
「入るのと、授かるのはまた別の話だし」
「病院に行くのは選択肢のひとつっていうだけですよね。〝一度もいたしてないから子を生(な)せない〟っていうのも選択肢のひとつだから他人が否定することはできない。否定する根拠がない」
「本に書いてある限られた情報だけで、人の選択に良いの悪いの言えないし」
「▓▓とか▒▒とかは言いそう」
「……ほんとに嫌いなんだね」
「ええ」(笑顔で)


裸足のおじさんに遭遇する
つい先日のこと。会社からの帰り、交通量の多い幹線道路を歩いていると、向こうから、上下白っぽい服装のおじさんがやってきた。
広い歩道があるというのに、おじさんはなぜか車道を歩いていた。
危ないなあと思いながらまじまじと見て気がついた。
おじさん裸足だ……。しかもパジャマだ……。
おじさんが来た方向には特養老人ホームが、向かう先には入院設備のある精神病院がある。
どっちだ……?
どうすればいいのか考えながらすれ違うおじさんのほうを振り返り、あたしがいま来た方向に歩いていくおじさんの後をついて歩くと、背後から男性の話し声が聞こえてきた。

「はい、裸足なんです。車道をペタペタ歩いてて。声をかけたんですけど立ち止まってくれなくて。んー、ちょっとこのへんの地理に疎いので住所がわからないんですよね。あ、スポーツクラブの看板があります」

男性は電話で誰かと話しているようだった。
おじさんを見ながら歩く速度を緩めて、背後の男性に「警察ですか?」と声をかけると、男性はスマホを耳に当てたまま何度も大きく頷いた。
そこで電話を替わり、場所を説明しながら、男性と一緒におじさんの後を追った。
おじさんが道を曲がるたび、警察に場所を伝え続けること15分、パトカーが到着した。
おじさんは、あたしが思っていたよりもずっと遠い福祉施設から抜け出してきたらしく、捜索願いが出ているという。
男性はおじさん発見時の状況を、あたしはおじさんが通った道順を説明し、おじさんはパトカーに乗せられた。
お役御免、お疲れさまでしたーという段になって、男性が不安げに呟いた。

「ところで、ここってどこですか…」

聞けば、出張で北陸から来ていて、宿泊しているホテルに戻る途中でおじさんに遭遇したという。
男性は適当な場所までパトカーで送ってもらえることになった。
あたしは、「歩いて帰れますから」と言って走り去るパトカーを見送った。



で、あたしが道に迷う
直線距離で1.5キロの道のりを1時間かけて帰宅した。
方向音痴、治んねーな。



というわけで、とても元気に生きているので心配ご無用ですが、次回の更新は今月中に!と告知しておきます。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

まずは薬をください

2017/06/22 | trackback [ 0 ] | comment [ 10 ] | 今日のできごと


入院当初、胃潰瘍になったり、十二指腸に穴が開いたり、2回目の術前検査で胃にピロリ菌が見つかったこともあって、R病院では婦人科だけでなく消化器内科でも定期的に検査を受けている。
胃カメラは年に1度、大腸内視鏡は2年連続でやった後、3年に1度することになっていて、今年は大腸内視鏡の年。
そこで先日、胃カメラと大腸内視鏡検査の予約をするため、R病院の消化器内科に行ってきたのだけれど、医長の日野先生(仮名)は、婦人科の定期検査で撮ったCT画像を見ながら、あたしが地味に怖れていたことをサラリと言った。



「脂肪肝気味だねぇ」



あたしの肝臓がフォアグラになりかけているらしい。
優しい日野先生は、「閉経前に子宮や卵巣を摘出した人は、急激なホルモンバランスの崩れからか太りやすくなる人が多くて、脂肪肝になって相談に来る人も結構いるんだよね」と言ってくれた。
お気遣いありがとうございます。
でも私、卵巣がんになるずっとずっと前からデブなんです。

「さて、いよいよ体重減らしてみましょうか」
「はぁ」
「脂肪肝から肝炎になったら、腫瘍マーカーが反応しちゃって面倒くさいでしょう」
「うー」
「まず、朝と昼はこれまで通り食べていいから夜は腹八分目。カロリーの高いものは朝か昼に食べる」
「はぁ」
「それから、週に2日の休肝日」
「うっ…」
「あとは適度な運動ね」
「ううっ…」
「ハードな運動じゃなくていいんだよ」
「たとえば」
「一番いいのはウォーキングだね」
「ああ」
「いま歩いてる?」
「会社から家まで。帰りだけ」
「どのくらい?」
「毎日、2キロ弱を30分くらい」
「もうちょっとかなー」
「長く?」
「そう。あとね、もうちょっと早く歩いたほうがいいかな。まずは2キロを25分で」
「はぁ」
「毎日遠回りして、4~50分歩くといいかもね」



実は1年前に消化器内科を受診した時も、別の医師に、「このままだと近い将来脂肪肝になるね」と言われていた。
ただ、その後で、あたしの顔から足までを眺め、「まあ、どぉー見ても、標準体重じゃないもんね」と吐き捨てた医師自身がどう見ても標準体重超えのメタボ体型だったので、いつものように胸の内で、〝お前もな!〟とつっこんだだけで聞き流していた。
デブにデブと言われたところで、全然胸に響かないのだ。
ところが日野先生は、長身で細身。
1年のうち300日はプールで泳いでいるそうだが、「太りはしないんだけど、甘いものに目がなくてね、去年の健康診断で糖尿予備軍って言われちゃったんだよ…」と嘆く。
そして、「何事もバランスなんだよね」と、あたしだけじゃなく自分にも言い聞かせているみたいに呟いた。

バランスか。なるほど。
脂肪肝だってそこそこ元気に生きている人はたくさんいるし、あたしだってそこそこ元気だ。
だけどこの先、肝炎にでもなって、ビールが、お酒が飲めなくなったら、美味しいものが食べられなくなったら、人生の愉しみの7割くらいが無くなってしまう。
生活習慣で自らの首を絞めるようなヘタだけは避けたい。どうしても。



「4、50分…」とあたしが呟くと、日野先生は、胃カメラの予約画面を見ながら、「いつから歩く?」と訊いてきた。

「来週月曜から…?」
「6月19日ね?」
「あ、やっぱり6月20日から…」
「あはは。いいんだよ、いつからでも。始めて、それを続けることが大事なんだから」
「続ける…」
「そう。じゃあ、1週間単位で帳尻合わせることにしようか」
「ん?」
「会社からの帰り道、いつもより遠回りして50分歩くのを週に5日間やるとしましょう」
「はい」
「でも祝日は仕事休みでしょ?その時は土日か祝日のうち、1日だけ平日と同じように50分歩く」
「なるほど」
「雨が降ったり台風がきたり雪が降ったり、仕事でクタクタに疲れてたりした時は、遠回りしないで帰っても良くて、そのかわり、その週の休日に50分歩く。無理しないことが続けるコツね。これならできそうじゃない?」



遠回りしなくたって25分は歩いて帰るわけだから休日は不足分の25分だけ歩けばいいんじゃないの?とか、雪?冬までやるんだ…とか、4~50分って言ったのに50分になっちゃってるとか、いろいろ思いはしたけれど、それ以上に、〝脂肪肝ってその程度で改善するの?〟という思いのほうが強かった。



「1週間で帳尻合わせ、やってみようかな…」
「よし。まずは3ヶ月。次の婦人科でのCTまでにどの程度改善されるかだね」
「はい」
「改善されなかったら食事を見直すとかカロリー計算するとか休肝日を3日に増やすとか、試せることはたくさんあるから」



最後の話は聞かなかったことにして(デブあるある)、まずは週に5日、会社帰りに遠回りして、4キロの道のりを50分で歩くってのを始めることにした。
アクティビティを記録できるよう、長らく使っていなかったアプリを最新版にアップデートして、日野先生との約束通り、6月20日の帰り道からスタートした。

初日。
歩き始めてすぐに本来の目的を忘れてしまい、普段行かないスーパーを見つけて立ち寄ったら、距離は稼げたけど時間がかかってしまった。







二日目。
本来の目的は忘れなかったが、速度が落ちないように意識するがあまり、スマホを見ずに信号のない道を選んで歩いたら、道に迷って遭難しかけた。






迷走の痕跡。


迷走の痕跡アゲイン。




日野先生。
脂肪肝を治したいので、まずは方向音痴につける薬をください。




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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。