[ 入院14日目 ] おい、お前ら

2018/09/01 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


ほのかな薔薇の香りとともにやってきた親友のクマを、あたしはこの時まで、〝お見舞いに来ないほうの人〟に振り分けていた。
入院したのが12月1日。
入院前に約束していたいくつかの忘年会の予定は、〝仕事がー〟とか〝親戚の法事がー〟とかいう雑な嘘でキャンセルし、入院中にきた誘いも同じように断っていた。
みんな、〝お見舞いに来てしまうほうの人〟だった。
そんななか、クマを〝来ないほうの人〟に振り分けていたのは他でもない。
彼女が、新幹線を使っても3時間はかかる遠い町に住んでいるからだ。
〝ちょっと入院はしたけど平気〟
〝ちょっと手術はしたけど平気〟
あたしはそういうメールを送り続け、クマも、〝じゃあ心配しない〟〝夏にはまた旅に行こうね〟と、遠方から駆けつける気配のないメールをくれていた。

「来ちゃったか」

カーテンから顔を覗かせてグスグスいっているクマに声をかけた。
するとクマは、声をかけたあたしのほうにではなく、自分を見て泣き出した母に近づくと、50cmほどの距離で止まった。
やけに近い距離で向かい合ったまま、ふたりは、ハグするでもなく握手するでもなく、さめざめと泣き始めた。



おーい。あたしもいるよー。



ふたりはずっと、それはもう唖然とするほどずっと泣き続けていたが、やがてクマが一気に語りだした。

「だってMYKちゃんが入院だなんて。心配で心配で、すぐに病院に来たかったけど迷惑かなーって思ってて。あたしが来たら、MYKちゃんは元気な顔するでしょ?平気だって言うでしょ?あたしを安心させようとするでしょ?MYKちゃんに無理させちゃうから行かないほうがいいって思ってたの。でも、考えれば考えるほど不安で。家でずっと泣いてて。そしたら夕べ旦那が、『行っておいでよ』って言ったの。『MYKちゃんの顔を見なきゃ安心できないんだから行ってきたほうがいいよ』って言ってくれてね、すごく迷ったけど来ちゃったの」



ありがとうありがとう。
クマも旦那もありがとう。
でもさ、クマ。
なんであたしじゃなくお母さんに向かって喋ってんの。



クマに限らず、あたしの友人はみんな、母に優しくしてくれる。
たとえば美味しいお店とか好きなアーティストのコンサートとか人気スポットとかに行くときに、「お母さんも一緒にどう?」と言ってくれる奇特な人たちばかりだ。
そして母は、遠慮というものを知らない。
娘の楽しそうな計画を知ると、隙あらば自分も一緒に、美味しいものを食べたり、コンサートで盛り上がったり、見たことがない景色を見ようとする、良く言えば好奇心が旺盛な、悪く言えば、それはそれは欲深い人だ。
ただ、その欲深さこそが母の元気の源でもあるので、あたしも友人の好意に甘えていて、たとえばクマとあたしは頻繁にふたり旅をしているのだけれど、5回に1回は母を加えた三人旅になる。
そんな間柄だから、あたし抜きで泣いててもいいんだけど。
うん、いいんだけどさ。


「クマちゃん、びっくりしたでしょう?(グスッグスッ)」
「びっくりしたよぉ。だってあのMYKちゃんが入院だよ?しかも手術だよ?(グスッグスッ)」
「ねー。私もびっくりしたもの。まさかMYKちゃんに限ってこんな……(グスッグスッグスッグスッ)」
「泣かないでぇ(グスッグスッ)」
「だってぇ……。丈夫に産んで丈夫に育てた自信があったのに(グスッグスッ)」
「丈夫だよお。ごはん食べたら元気になるもん(グスッグスッ)」
「(グスッグスッ)」
「(グスッグスッ)」
「クマちゃんも泣かないで(グスッグスッ)」
「だってぇ……(グスッグスッ)」


おい、お前らいい加減にしろ。


ちっとも泣き止む気配のないふたりを見て呆れていると、廊下から、昼食を運ぶ配膳車の音がしてきた。
今日いっぱい絶食のあたしには、歩行訓練までのあと1時間ちょっと、暇な時間が続く。
……っと、そこで思いついた。
そうだ。歩いてるのを見てもらえばいいんだ。
昨日の今日でもう歩けてる姿を見せたら、クマも少しは安心してくれるはず。
自力で体を起こすこともできない今の姿を見た後で歩けるようになったのを見たら、回復してると思ってくれるはず。
よーし。歩くぞー。


いまだグスグス言っているふたりだったが、あたしの決意をよそに、泣きやむより先に思いがけない行動に出る。


「もうお昼だね(グスッグスッ)」
「MYKちゃん、ごはん食べられるの?(グスッグスッ)」
「この人は明日からだって(グスッグスッ)」
「MYKちゃんがごはん抜きなんて……(グスッグスッ)」
「ねえクマちゃん、おなか空かない?(グスッグスッ)」
「空いたかも……(グスッグスッ)」
「泣いたらおなか空いたね(グスッグスッ)」
「うん。昨日まで食欲なかったのに(グスッグスッ)」
「ここね、地下にレストランあるよ(グスッグスッ)」


おい。


「行こうかな
(グスッグスッ)


おい。


「行く?
(グスッグスッ)
「うん、行く
(グスッグスッ)



おい、お前ら。何しにきた。




[ 次回更新は9/3~9/7のいつかです ] ←早くも怪しい



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院14日目 ] 予想外の訪問者、来たる

2018/08/30 | trackback [ 0 ] | comment [ 1 ] | がん告知まで


痛み止めの話を終えた看護師の佐藤さんに、フットポンプが暑くて仕方ないと話してみると、「脚を拭いてみましょうか」と言ってくれた。
やった……!やったーーー!
佐藤さんは、ナースステーションにタオルを取りに行ってすぐ戻ってくると、フットポンプを手際よく外し、絶妙な力加減で脚を拭いてくれた。
涼しいー!きもちいいー!
……が、その余韻に浸る隙もなく、またすぐにフットポンプを装着されてしまった。
でも平気!だってこの不快感も昼までの我慢!
午後イチに自立歩行ができるかどうか試してみて、歩けるようならフットポンプは外すって言ってたし!
歩けるようになったらトイレにも行けるから、導尿のカテーテルも抜いてもらえるはずだし!
あー、早く午後にならないかなー。
歩行訓練、午前中にしてくれないかなー。
ちゃんと歩けるといいなー。
入院以来初めて経験した〝心躍る朝〟だった。



朝の回診にやってきたのは、手術を執刀した坂口・スガペア。
笑顔のスガ先生を従えた坂口先生は、「本当は手術のあとで病室に来るつもりだったんだけど、急な手術が入っちゃって。来られなくてすみませんでした。ところで痛みはどう?」と訊いてきた。
手術した、おへその下あたりに手をあてながら、「痛みはさほど感じないです」と答えると、坂口先生は、「そこ以外は?」と言う。

「息を大きく吸うと肺のあたりが痛いのは昨日までと変わらないです」
「癒着してるのかもしれないなあ」
「癒着…」
「その痛み、なくなるまでちょっと時間かかるかもしれない」
「はあ」
「3ヶ月とか」
「ああ」
「半年とか」



ずいぶんざっくりした見立てだな。



だいぶ後になってわかったことだけれど、この痛みの原因は横隔膜の癒着によるもので、日が経つにつれて痛みは和らいだものの、くしゃみ・あくび・しゃっくりで横隔膜がキュっと動くと激痛が走るという状態は4ヶ月ほど続いた。
結果的に坂口先生の見立て通りだったのだけれど、このときはまだ、「経験上」という理由だけで悪性だと断言したA先生みたいに、唐突に癌治療の話をされそうで気が気じゃなかったから、閻魔帳を書いていなかったら見立て通りだったことすら忘れていたと思う。


その後、「本来ならば昨日のうちに説明したかったことなんだけど」と前置きした上で、昨日は開腹したものの、腹腔内の潰瘍と出血がひどくて破裂した左の卵巣の回収しかできなかったことを伝えられた。
やっぱりそうか。

「左の卵巣は、子宮と卵巣を繋いでる卵管に近いところに腫瘍ができてました。縁日で売ってる水の入ったヨーヨーあるでしょ。あれで言うと、水の入った風船の結び目のあたりに腫瘍ができてて、それが大きくなったから破裂した、と」
「なるほど」
「腫瘍自体は直径9センチぐらい。それが、風船を貫通するみたいに、卵巣の中だけじゃなく外にも突き出てる状態」
「はあ」
「昨日はその左の卵巣を腫瘍ごと取りました」
「はい」
「いまはそれがどういう種類の腫瘍なのかを検査をしているところ。結果が早く出るように急がせてるから」
「そうですか」
「左の卵巣を取ることしかできなかった理由は、さっきも言ったように、あちこちから出血してたから。手がつけられない。お腹の中は潰瘍と出血で真っ赤というよりは真っ黒で……」
「名実ともに腹黒だった、と」
「それ、オレが言いたかったのにー」



でしょうね。



「で、今後のことなんだけど。中長期的な話じゃなく今日からのこと」
「はい」
「まずは歩く」
「はい」
「それから食べる」
「はい」
「そして出す」
「ええ」
「以上です」
「以上……」
「大切なことなんだよ。検査結果が出るまでは、傷と体力の回復に努めてください」
「暇そう」
「そうでもない」
「はあ」
「明日図書館がくるよ」
「ん?」
「2週に1度、土曜日に移動図書館が来るんだよ。明日は来る日なの。だからまずは明日、1階に来る移動図書館まで歩いて行くことを目標にしようか」



なんていい提案!なんていい目標!(読書好きなので)
癌治療の話をされるんじゃないかと身構えて固くなっていた心が一気に緩み、モヤモヤした思いが吹き飛んだ。

あたしが「がんばります」と答えると、坂口先生とスガ先生はニッコリ笑い、ふたり揃って大きく頷いた。
コンビか。



お腹の手術痕を見せて回診が終わると、午後イチの歩行訓練までは自力で出来ることがない。
暇つぶしに閻魔帳を書いたり携帯をいじったり本をパラパラめくったりしていたけれど、どうにもこうにも落ち着かない。
そこでためしに目を瞑ってみたら急に眠気が襲ってきたので、点滴の交換で看護師さんが来た時以外はウトウトして過ごした。
そのうち母がやってきたので目が覚めたけれど、母から、いま一番ハマっている韓流ドラマのストーリーを延々聞かされているうちにまた猛烈な眠気に襲われて、〝ずっと喋ってていいからね。全然聞いてないけど。だって興味ないから〟と思いながら目を閉じた。
が、廊下から聞こえた足音が病室の入り口で止まったので、眠い目をこじ開けてみると、開けたままの扉とベッドの間にひかれたカーテンが揺れている。
誰?と思うより先に、病室にふわっと漂ったバラの香りでわかった。
ピンクのカーテンがさらに大きく揺れると、そこから、真っ赤な目をしたクマが顔を覗かせた。



(グスッ)……来ちゃった……(グスッ)



彼女の涙声を聞いて、眠気が一気に吹き飛んだ。



[ 次回更新は9/1の予定です ]



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院14日目 ] 完璧に始まる

2018/08/28 | trackback [ 0 ] | comment [ 2 ] | がん告知まで


一睡もできないまま迎えた入院14日目は、朝6時、いつも通りの採血・血圧測定・検温に加え、血栓予防の皮下注射をすることから始まった。
これから1週間、朝と夜の1日2回、二の腕のあたりに注射するらしい。
「さすがにこれは痛いと思うんです……」
看護師の佐藤さんが申し訳なさそうに言っているのを聞きながら、あたしは別のことを考えていた。

1週間後もあたしはここにいるんだ。

手術が終わったら退院できると思っていたわけじゃない。
実際、医師からも看護師からも退院の話をされたことはないし、こちらから訊いてみたこともない。
ただ、入院してからずっと、遠くても明後日ぐらいまでの予定しか立たない状態だったから、1週間後の自分を想像できたのは初めてだった。

「じゃあ今は右腕にしますね。今日の夜は左。同じところに注射し続けるとシコリになることがあるので、右と左、交互にしていきます」
「はい」

今日から1週間ってことは、この注射が終わるのは12/20。
手術で回収した破裂した卵巣の病理検査結果も1週間後くらいにわかるって言ってたから、12/20ががん告知日ってことか。

「消毒します。アルコール、大丈夫ですか?」
「はい」

12/20って、ほぼ年末じゃん。
やだ。もしかして、病院で年を越すの?
なにそれ。すごく嫌なんですけど。

「採血の時より痛いと思いますけどちょっとだけ我慢してくださいね」
「はい」

でも、病院で年を越すのは、治療ができる場合だよなあ。
もし手遅れだったら家に帰れるよね。
だって病院にいても治らないんだし。

「いきまーす」
「はーい」

よし。手遅れだって言われたらすぐに退院しよう。
で、家に帰って、身辺整理しよう。
その前に会社か。退職願い出して、仕事の引き継ぎして、私物まとめて。
あー、面倒くさいなー。

「はい、おつかれさまでした。終わりましたー」
「はーい」

でも、手遅れっていっても、いまいま死ぬわけじゃないよなあ。
3ヶ月とか?半年とか?

「痛かったでしょう?」

1年だったら、働けるうちは働いてお母さんにお金残すってのもアリか。
うーん。余命によりけりだなー。

「MYKさん?」

3ヶ月未満だったらすぐに退職願だすことにして、余命が半年以上だったら、告知されてから考えるか。
うわー、悩ましいわー。

「MYKさん?」
「え?はい?」
「注射終わりましたよ?」
「ああ、はい」
「大丈夫でした?」
「はい」
「痛かったですよねえ?」
「あ、ぜんぜん。刺したの気づきませんでした
「えっ!」
「え?」

命の危険を感じるレベルの痛みを経験したせいで痛覚がおかしくなったのかと焦ったけれど、佐藤さんがすぐに気づいた。

「ああ、痛み止めのお薬を入れてるからかもしれませんね」

そうだ。背中から痛み止めが入ってるんだった。

手術室で麻酔のため硬膜外に挿入されたカテーテルは、手術が終わっても抜かれることなくテープで固定されたままで、いまはそこから継続的に痛み止めが入れられていた。
痛み止めの薬が入った小さなボトルは、専用のネットに入れられて枕元に置いてある。
改めてよく見てみると、ボトルの中は、〝いつでも新鮮〟が売りのお醤油のボトルみたいな密閉構造になっているようだ。
なるほど。うまくできてるわ。
佐藤さんはそのボトルを手に取ると、「残量をはかりますね」と言って、持ってきていたデジタルスケールをテーブルの上に置き、ボトルの重さを量った。

「その痛み止め、いつまでもつんですか?」
「いまのペースでいくと、おそらく明後日までは」
「少ーしずつ入ってるんですね」
「そうなんです。お腹、痛みますか?」
「いえ、大丈夫です」
「痛くなったら量を増やせますからね。それから、このお薬が全部無くなったらカテーテルは抜きますけど、その後は痛み止めの注射もありますし、飲むお薬を出すこともできますから」
「痛みが続いても大丈夫、と」
「はい。痛かったら我慢しないですぐに言ってください」
「はーい」

痛み止めといえば、O病院で投与された時のことを思い出す。
あれで自分が、〝痛みには強いけど痛み止めには滅法弱い〟ことを自覚したのだけれど、いまのこの痛み止めならぜんぜん平気だ。
意識を保っていられて、かつ、痛みがない。
完璧。完璧だ。



こうして始まった入院14日目だったが、この日あたしは、痛み止めのせいで心身ともに追い詰められ、最悪の事態に陥ることになる。



[ 次回更新は8/30の予定です ]



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