[ 入院13日目 ] 手を貸せてないなんて言わせない

2017/08/07 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


看護師の佐々木さんから、術後はナースステーション前の個室に移動することを教えてもらうと、母と話して少し落ちていたテンションが一気にMAXまであがった。
あたしの相部屋生活に不足していたのは〝平穏〟だった。
〝誰もあたしに話しかけるな!〟と思っているわけではないし、おせっかいなおばさんの過干渉だって、ある程度は覚悟している。
ただ、何の理由かわからないけれど他人に悪意をばら撒き続ける加藤さんのサンドバッグになるのはとことん面倒くさかったから、その煩わしさから解放されるという朗報は、これからの入院生活や手術や治療がすべてうまくいき、未来が開ける予感すらもたらした。



手術まであと30分だというところで、母が、「お腹が痛い」と言いだした。

「どんな痛み?」
「うーん。なんっていうんだろ。お腹の表面を切ったみたいな…」
「ん?」
「鋭利な刃物で…」

うん、それあたしね。いまから手術して、あたしがそうなるのね。

母は昔から、たとえばあたしが風邪をひくと、「私もなんだか具合悪い」と言って寝込み、風邪をひいたあたしに風邪薬を買いに行かせるような人だった。
ネガティブな事への耐性が異常になくて、呆れるのを通り越してつい笑ってしまうくらい分かりやすく変調をきたす。
つまり、とても手がかかる。

「この期に及んで面倒なこと言い出したね」
「だって」
「手術のあいだ、看護師さんに迷惑かけないでね」
「ほんとに痛いんだって」
「そう」
「ほんとだってば!」

本当だとか嘘だとか気のせいだとか、そのあたりは心底どうでもいい。
30分後に手術室に入る暫定卵巣がん患者のあたしにそれを言うんだ…と辟易しただけである。
〝要介護になるまでは、自分の身体も自分の心も自分自身でケアしろ〟というのが娘の基本スタンスなのだけれど、そうする意欲がまったく見られない母なので、うんざりしながら言ってみた。

かまいたちだね
「え?」
「かまいたち以外考えられない」
「信じてないでしょ!ほんとうに痛いんだってば!」
「うん。だから、かまいたちの痛いバージョン」
「かまいたち…」
「そう、かまいたち」

しばらくすると母は、「どれだけザックリやられたか、トイレで見てくるよ」と笑いながら言って病室を出て行った。
念のため書いておくと、あたしも母も、かまいたちのせいだと本気で思い込むほどにはオツムがお花畑ではない。たぶん。
〝痛い〟〝だいじょうぶ?〟〝うん…〟みたいな会話をするのが煩わしいので、あたしが話を少しだけ面白い方向に逸らし、母がそれに乗っかってくれただけだ。
あたしと母は、小さいことで正面衝突しないよう、日々こうしてお互い身をかわしながら暮らしている。



かまいたちに斬られた傷を見るべくトイレに行った母と入れ替わるように、病室に坂口先生がやってきた。
寝坊したことをつっこまれるだろうなあ…と思ってはいたけれど、話は変化球から始まった。

「おはよう」 ←嫌味
「こんにちは」 ←せめてもの抵抗
「スガ先生がね」
「はい?」
スガ先生が、『手術延期したほうがいいんじゃないですか』って言ってきてさー」
「え」
A先生も『そうですね』って言ってて」
「えー」
「だから俺、二人に言ったんだよ。『延期なんかしたら俺がMYKさんに怒られるから、手術しましょうよー』ってね」
「………」
「ね?怒るでしょう?」
「いいえ」
「いや、スガ先生でもA先生でもなく、俺だけが怒られるんだよ、きっと」
「怒りません」
「まあ、いまの話は半分冗談だけど」



冗談かよ。しかも半分かよ。 ※1週間ぶり2回目。



「本当は、MYKさんが何時までなら眠ってても大丈夫か、何時までに起きなかったら手術を延期するかっていう話をしてた時、『勝手に睡眠導入剤処方して寝かせたくせに起きたら手術延期ってどういうことだ!って叱られたらどうしよう』って、三人で言って笑ってただけ」



明るい職場でなによりです。



どこから突っ込もうかと考えあぐねているあたしをよそに、坂口先生は、冗談の続きみたいなトーンで続けた。



「今日の日を迎えられたのはMYKさんががんばったからで、僕らはほとんど手を貸せていなかったけど、ここからは僕らが頑張る番だから」



意外な言葉だった。
あたしに限っていえば、発症から今日までの13日間、〝お医者さんの手を借りていない〟〝手をかけられていない〟と感じたことは一度もなかった。
顔を見なくても、朝夕の回診でさほど会話をしなくても、あたしの目に触れない場所でお医者さんたちは、治療方針を決めるのはもちろんのこと、薬を処方したり、腹水を抜くことや行動範囲を制限したり徐々に広げたりと様々な判断をしているわけで、看護師さんの仕事の何割かだってお医者さんの指示で行われているだろう。
なのに〝ほとんど手を貸せていない〟という、本心なのか謙遜なのかはわからないけれど、そういう言葉がするっと出てくるということは、目に触れない仕事が患者に評価されていないと実感した経験があるからに違いない。
大変な職業だなあ、お医者さんって。



「今日までも十分お世話になってますけど、これからもよろしくお願いします」
「はい。出来ることは全部します」
「じゃあ先生」
「ん?なになに?」
「手術のついでに腹の脂肪を取っていただ……」
「はーい、他の病院の先生に頼んでねー」



あわよくば…的お願いは瞬殺だったし、心底感謝してるんだという想いが伝わったかどうかはわからないけれど、これからは折々に想いを伝えなくては。
先生たちが、〝ほとんど手を貸せてない〟なんて言わなくていいように。
思わなくていいように。



話を終えた坂口先生は、「じゃあ後ほど」と言うと病室から出ていこうとした。
が、ドア付近でくるりと振り返って、それはそれは嬉しそうに言った。



「手術室で音楽流せるんだけど、B'z襟裳岬にしたかった?」
「……」
「いらないよねー。聞いたらヤバイもんねー。じゃ、後でねー」



坂口、しつこい。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院13日目 ] サヨウナラー

2017/07/31 | trackback [ 0 ] | comment [ 5 ] | がん告知まで


ズサーーーーーー! ※7月2度目の更新、滑り込みセーフの音。



シワやシミが消えにくくなったり、おかしなところについた脂肪がちっともおちなくなったり。年をとって身体的に厄介なことは増えたけれど、若い頃に比べると、精神的には断然生きやすくなった。
多くの経験から身についた知恵は、災いを予見したりそっと身をかわしたりと、様々な不測の事態から守ってくれるし、少々のことではうろたえない図太さや、負の感情を無駄に引きずらない切り替えの早さも身につけた。
困難に真正面から対峙する誠実さを失う代わりに生きやすさを手に入れたからこそ、人の好き嫌いが激しくて性格の悪いあたしでもまあまあ平穏に暮らせている。
ただしあたしの場合、ざわついた心をリセットするには、ひとりになる時間が必要だ。
ひとり静かにぼんやり考えているうちに平穏が戻ってくる。
いつも。必ず戻ってくる。



* * * * *



加藤さんが、「手術は中止」という、この時あたしが一番恐れていたことを絶妙なタイミングで言い放つと、同室のタケちゃんと瀬川さんはすかさずフォローし始めた。

「だいじょうぶよ!きっとだいじょうぶ!」
「スッキリ目が覚めたもんね!体調も良さそうだし!」

根拠はないけど元気はある二人に笑顔を返しながら、だけどあたしは加藤さんのことを考えていた。
どうして加藤さんは、今のあたしが番恐れている言葉がわかったんだろう。
手術ができる!って喜んだのは個室にいる時で、相部屋に移ってからは日々淡々と過ごしていたはずで。
ヒントは与えてないつもりなのにどうしてわかったんだろう。
手術する人はみんなそうだから?
いや、手術したくない人もいっぱいいるよねえ。
加藤さんもそうだったから?
加藤さんも、手術が待ち遠しかったことがあるとか。
それとも、実はものすごく観察眼に長けていて、あたしの声のトーンとかで分かっちゃうとか?
うーん。そんなタイプじゃなさそうなんだけどなあ。

これから先も同じ部屋で過ごすのだから、加藤さんの思考の癖を把握しておきたくて、どういうことなのかをずっと考えていたけど答えは出なかった。



看護師の佐々木さんが戻ってきた。
そして、親指と人さし指で丸をつくり、「朝の採血の結果もOKで血圧も体温も異常ナシなので手術、大丈夫だそうです」と笑顔で言った。
よっしゃー!



そこからは、寝坊の遅れを取り戻すのに大忙し。
まずは処置室に行き、佐々木さんにおへその掃除と剃毛をしてもらった。
(ボーボー過ぎてすみません)
次に、「シャワー軽く浴びておきますか?」と言ってもらえたのをいいことに、どさくさまぎれに髪まで洗った。
誰もいない脱衣所でドライヤー2台を使ってターボで髪を雑に乾かして病室に戻ると、佐々木さんに、「髪も洗ったんですね」と笑われた。
病室と処置室、病室と風呂場を行き来している間にも、加藤さんはあたしにアレコレ言い続けていた。
「剃毛なんてバタバタやるもんじゃないのよ。絶対ちゃんと剃れてなくて先生がお困りになるわよ」とか、「昨日洗ったのに今日もまた髪を洗うなんて、アレじゃない?なんだったかしら、あの、手を洗わずにはいられない心の病気(!)」とか、「精神病(!!)で卵巣がんだなんて踏んだり蹴ったりね、お気の毒に」とか、「ドライヤーがうるさくてゆっくり食事ができなかったわ」とか。
もはや名誉棄損で訴えられるレベルの物言いだけれど、「ドライヤーがうるさくてゆっくり食事ができなかった」だけは、あたしに非がある…かもしれない。
いや、病室と風呂場は随分離れているから、〝遠くからドライヤーの音が聞こえるな〟程度だったはずだけれど、それでも、これまでとは全然種類の違う苦言だったから、そこだけは反応することにした。



「うるさくしてしまってすみませんでした」



あたしが悪いだなんてぜんぜん思ってないけど。(性格悪いぞー)
だって、もしも本当に、遠くに聞こえるドライヤーの音のせいでゆっくり食事ができなかったとしても、それは加藤さんがあたしの行動を気にしすぎているからであって、この程度のことでいちいちクレームをつけてたら、相部屋での入院生活なんて無理だ。
そもそも加藤さんにだけはうるさいなんて言われたくない。
昨日のきつねそば事件は、〝ゆっくり食事ができなかった〟なんてレベルじゃなかったのだし。
でも、試しに謝ってみた。
すると加藤さんは、元々上がり過ぎてる眉毛を更に上げてあたしを見ると、何か言いたそうな素振りを見せただけでソッポを向いた。
なんにも言わないのかよー。



次は点滴のライン取り。
これはその後も、今現在に至るまでずっと看護師さんたちを苦労させ続けることになるのだけれど、少なくともあたしは、何度失敗されたところで全然平気で、1回で成功すれば素晴らしい!と思うけれど、2回目3回目でも素晴らしいことに変わりはないと思っている。
だって、素人のあたしの目には血管なんて見えないのだ。
見えないものが見えている看護師さんたちはほんとうに素晴らしい。
この日は2回目で成功した。



さて、あとは手術の順番がくるのを待つのみ。
14時半に母がやってきて、他愛ない話をして過ごした。

ただし母は、手術ができること自体は喜んでいたけれど、前日に聞いたA先生の話が尾を引いていて元気がなかった。
そのくせ、鬱陶しいくらいよく喋った。

「MYKちゃん。今日のところは左卵巣の回収だけにしてもらったら?」
「できることならいっぺんに取ってもらいたいんですがー」
「だって、なんともないのに子宮も右の卵巣も取るって、やっぱりなんかもったいない」

年をとるごとに母は、〝じっくり考える力〟が衰えてきているなあとつくづく思う。
頭に浮かんだことはすぐに口に出してしまうし、それであたしが〝傷ついた〟と言ったところで、自分がなぜそんなことを言ってしまったのかをあたしに理解させようと必死になるだけで、あたしの気持ちを慮ることは後回しだ。
あたしより自分のほうが…というか、子どもより親の考えが正しいという考えが根底にあるせいか、母はあたしに、心からの「ごめんね」が言えない。
いくつになっても子どもは子ども、いくつになろうが自分は親で大人だという考えは、ある面では正しいのだろうけれど、母の知らないうちにあたしはすっかり大人になっているし、大人だった母は老人になっている。
その現実に、感覚が、感情が追いついていない。
あーあ。いつになったらお母さんは、自分の老いを受け容れた可愛いおばあちゃんになってくれるのかなあ。

「もったいないんだ」
「もったいないよ!」
「あたしは子宮や卵巣より命が大事だけど」
「そうだけど!それはもちろんそうだけど!」

命も子宮も卵巣も全部が惜しい欲張りなお母さんは、きっと長生きするだろうな。

主体性が衰えた年寄りというのは、母みたいに謝らないか、とりあえず何でも謝るかの両極端だ。
加藤さんは明らかに前者で、でも、母より10歳近くも若いのに、〝じっくり考える力〟は母よりもっと衰えているように思えた。
だとすれば、あたしは加藤さんの扱い方に少しは長けているかもしれない。
ちなみに母は、あたしが先に謝ると、溜飲が下がるのか何なのか、とりあえず感情の高ぶりが鎮まる。
そしてそこからようやく、あたしの気持ちに考えが至るようになり、忘れたころに謝ってきたりする。
だから加藤さんにも試しに謝ってみたのだけれど、いまのところはノーリアクションだ。

母にも加藤さんにも他の誰にも、謝って欲しいとは思わない。
けれど、気づいて欲しい。考えて欲しい。
そして、自分の心と同じくらい、相手の心もヤワで厄介なものだということを思い出して欲しい。

「先生に任せることに決めたから」

言葉を尽くしたところで納得してもらえるとは思えなかったから、あっさり答えた。



看護師の佐々木さんが病室にやってきた。
30分後に手術室に移動すると言う。
ところが、〝あと30分!〟と肩に力が入った直後、全身の力が抜けることを告げられた。

「そうだ、MYKさん。携帯電話の充電ケーブルとか、私物は極力キャビネットにしまっておいてくださいね。手術中にお部屋移動しておきますから」
「へ?」
「今夜からまた、前にいた、ナースステーション前の個室に移りますよ



だそうです、加藤さん!
サヨウナラー、加藤さん!



胸の内で盛大に別れを告げながら、あたしは、笑みがこぼれてしまわないように唇をかみしめた。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院13日目 ] 派手に寝坊する

2017/07/11 | trackback [ 0 ] | comment [ 8 ] | がん告知まで


入院13日目。目が覚めたら午前11時半だった。
書き間違いじゃないよ。
昼ちょっと前の午前11時半に目が覚めた。
派手な寝坊の原因は、前夜に飲んだ睡眠導入剤。
手術前日は眠れなかろうと、主治医が良かれと思って処方し、看護師が良かれと思って薦めてくれ、あたしが興味本位で初めて飲んでみた薬が強烈に効いてしまったらしい。

人生初の睡眠導入剤からの覚醒は、徐々にではなく、やたらパキっと目が覚めた。
そしてその途端、音と匂いと陽射し、五感のうちの三感くらいで、〝やべ。寝過ごした〟と気づいた。
ベッド周りのカーテンは全開で、起き上がろうと動いたら、寝起きには辛い声が周囲からあがった。

「起きたーーーー!」
まずは加藤さんが叫び、続くタケちゃんは、「ナースコール!ナースコール!」と叫んでいる。
それに応えて瀬川さんが、「押した!」とまた叫ぶ。
あー、気が違えるほどうるさいわー。

ナースコールを受けて病室にやってきたのは、32歳の看護師佐々木さん
普段はクールで落ち着いている佐々木さんは、あたしの顔を見るなり柔らかく笑うと、「大丈夫ですか?」と言った。

「どうしよう。寝ちゃってました」
「MYKさん。夕べ、何時に寝たか覚えてますか?」
「薬を飲んで5分も経ってなかった気が」
「寝たのは覚えてるんですね?」
「なんとなく…」
「いま、具合悪くないですか?」
「ないです。スッキリしてます」
「よかったですー」

佐々木さんによれば、午前6時から、採血や検温や血圧を測るたびに何度も別の看護師さんが起こしてくれたらしいのだけれど、身体を叩きながら何度か声をかければ「はい」と返事はするものの、目は開けないし身体を起こす気配もない。
眠剤のせいだとわかってはいるけれど、夕方には手術するわけで。
このまま昼過ぎまで眠ったままだったら手術は中止する方向で話が進んでいたらしい。
あっぶねーーー。

「ギリギリセーフ?」
「……だと思いますが、一応いま先生に確認してきますね」

苦節13日。
待ちに待った治療の第一歩を、寝坊ごときでスッ飛ばすわけにはいかない。
口には出さなかったけれど、胸の内は慌てふためいていた。
それはもう、手術してもらうためなら土下座も辞さない覚悟を決めるほどに。



佐々木さんが病室を出て行くと、カーテンが開けっ放しなのをいいことに同室の三人が一気に話しかけてきた。

瀬川さん「ピクリとも動かないから、心配で心配で」
タケちゃん「眠剤1錠でこんなに寝たの?アタシなんて最近1錠じゃ全然寝れないのに。それで先生に増やしてくださいって言ってるん…」(長い長い自分語りなので省略)
加藤さん「手術は中止ね



話は直角に逸れるが、同僚のはなちゃんには年の近い妹がいる。
姉妹で一緒に暮らしたこともあったけれど、ここのところはずっと、自転車で行き来できる距離にそれぞれ一人で暮らしている。
はなちゃんは妹と一緒に住まない理由に、「妹は、あたしが一番言われたくないことをなぜか鋭く察知して絶妙なタイミングで言ってくるから、喧嘩した時の魂の削られ方が半端ない」ことを挙げる。
はなちゃん姉妹が一緒に暮らそうが暮らすまいがあたしにとってはどうでもいいことだけれど、この話を聞くたび、『なぜか鋭く察知して絶妙なタイミングで言ってくる』の『なぜか』が気になり、あれこれ考えてしまう。
そもそも、家族ほどそのあたりが分かりやすい関係もないと思うし、まして、はなちゃんくらいよく喋れば、何を考えて何を嫌がっているのかなんてのは手に取るようにわかるだろう。
他人のあたしが見る限り、そこに『なぜか』の要素はひとつもない。

自分の弱点を知られたくないならトコトン黙るに限るんだよ、はなちゃん。

……と、はなちゃんにはしたり顔で説いていたあたしにとって、だけど加藤さんだけは、〝一番言われたくないことを『なぜか』鋭く察知して絶妙なタイミングで言ってくる人〟そのものだった。
(続きます)



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。