埋まるか埋めるか

2022/02/07 | trackback [ - ] | comment [ 7 ] | 今日のできごと


新年あけましておめでとうございます(激遅)。
遅々として話が進まないこのブログですが、今年も、早く続きが読みたい……!という奇特な方々への配慮が一切ない遅さで続けていきたいと思っております(開き直り)。
また、コメントをくださった方々、ありがとうございます。
1ヶ月とか3年2ヶ月とか間が開くブログなので、今後もゆるい目で眺めていただけると幸いです。

さて。
入院15日目のうち、地獄時間のエントリーを書き終えたので、今年一発目のエントリは雑談を。



知らない人にお金を借りる
急な雨に降られタクシーに乗った。
目的地が近づき、スマホを手にして後部座席の窓ガラスに目をやると、そこにあるべきものがないことに気がついた。
EdyとかSuicaとかnanacoとかPayPayとかVISAとかのステッカーである。
目的地に到着し、後部座席のドアが薄く開いたところで運転手さんに訊いてみると、「現金のみ」とのこと。
個人タクシーだった。
日常生活は、電子マネーとQRコード決済とクレジットカードで用が足りるので、3ヶ月前に買った最高にカワイイ財布に入っているのは、現金数百円、クレジットカード、保険証だけ。
数百円では運賃に全く足りなかったので、LINEやEdyやPayPayで運転手さん個人に送金する方法を申し出てみたが、「どのアプリも使っていない」と仰る。
じゃあ今この場でネットバンキングで振り込みます!と言ってみるが、「どこの馬の骨とも知れない奴に口座番号を教えるバカがいるか」という意味の言葉が、遠回しに返ってきた。
これはもう、クレジットカードでキャッシングするしかないのか?キャッシングってどうやってするの?コンビニ?……と考えを巡らしていると、ドアの外から、「運転手さん、いくらですか?」と声がした。
驚いて声のほうを見ると、財布を手にした見知らぬ男性が立っていた。



誰。



あたしの疑問をよそに運転手さんは、乗客でもない、たまたまタクシーが停まったところにいたであろう人の問いかけに、「1,700円です」と答える。
すると男性は、腕をのばして運転手さんに2,000円を差し出し、あたしに、「降りていいですよ」と言う。
目の前で起きていることがわからないままとりあえずタクシーを降りると、入れ替わりに男性が乗り込んだ。
思いがけない展開に慌て、「すみません。いま手持ちがないので名刺をいただけますか?」と声をかけると、男性は少し首をかしげてから、「じゃ、覚えていられたらで構わないので」と言ったあと、早口で「090-xxxx-xxxx」と電話番号を唱えた。
そして男性が運転手に行き先を告げ、タクシーは走り去ってしまった。
こうしてあたしは、知らない人に1,700円借りた。



知らない人にお金を返す
男性がなぜ、どこの馬の骨とも知れない女に1,700円を貸してくれたのかはわからないけれど、こんなに解せないシチュエーションはなかなかない。
頭の中は疑問符がうごめいていたが、とりあえず忘れないうちに、おしえてもらった番号に宛ててSMSを送った。
立て替えて貰ったことへのお礼、帰宅が遅くなるので返済は明日になること、口座番号を教えて貰えれば振り込むこと、他の方法でも返済可能なことなど、返済の意思があることを精一杯伝える。
返信はすぐに来た。

では、次にお会いした時にでも。直近は金曜ですかね。またご連絡します。

やだなにこわい。

直近は金曜って何。
え?まさか知ってる人じゃないよね……?
男性はおそらく40代前半。水色の不織布マスクをつけ、チャコールグレーのスーツの上に黒いダウンジャケットを羽織り、黒いビジネスバッグを持っていた。
あんな人、うちの会社にいたっけ?
いやいやいや、いくらマスクしてたって知ってる人の顔はわかるわ!
でもなー、あたしの顔認知能力、超低レベルだからなー。
結局その日はそれっきり連絡がなかったので、夜になってからSMSに返信した。

承知いたしました。長々とお借りすることになって恐縮ですが、ご連絡をお待ちしております。

ぜんぜん承知していないけれど、そう送った。
承知しないまま過ごす日々は落ち着かなくて、よく眠れないし、変な夢を見たりした。
1,700円でこんな思いをするくらいなら、これからは、10,000円くらい財布に入れておくか、キャッシュカードを持ち歩こうと決めた。



金曜日の朝がやってきた。
どんな方法で返済することになるのか想像もできないが、何かしらの連絡がくるんだろう。
連絡がこなかったらまたSMSを送らなければ……。
でもなんて?口座番号教えろって?それとも、金曜日ですけどぉーって?
何日も続いていた1,700円の憂鬱がピークになった朝8時、男性からのSMSが届いた。

おはようございます。今日、だいじょうぶです。

やだなにこわい。(2回目)

こわがりながらも確信した。
あの男性はあたしのことを知っている。
そう考えれば、あたしが「名刺を……」と言った時の、男性の不思議そうな仕草も合点がいく。
問題は、あの男性が誰なのか、あたしには皆目見当がつかないことだ。
ビジュアル以外のヒントは〝金曜日〟というワードだけだけど、幸か不幸かあたしには、毎週金曜日に必ず会う人もいなければ、毎週金曜日に必ず行く場所もない。
SMSで〝どちらさまでしょう?〟と訊くのは憚られるが、訊かないと話は進まない。
ああ……失礼すぎる……。
1,700円に助けられたが、1,700円でこれほど苦しむなんて思ってもみなかった。

どう返信したらいいものかわからないまま、ヨレヨレの部屋着のうえにボアつきのコートを羽織り、ボサボサな髪を隠すためにキャップをかぶってマスクをして、鍵とスマホだけを持って家を出た。
どこの誰ともわからない男性を探しに出かけたわけではもちろんなく、家から200メートルのところにある、ポケモンGOのジムのフォトディスクをクルっと回すためである。
リモートワークなので、その気になれば何日でも家に篭っていられるけれど、ポケモンGOのおかげでかろうじて毎日外に出てはいる。
ただ、往復400メートル歩くだけでフォトディスクを回すという目的は果たせてしまうので、集積場にゴミを捨てに行くような格好で出かけている。



ジムの手前にある横断歩道では、小学生たちが、黄色い旗を持って横断を誘導する緑のおじさんと、元気よく挨拶を交わしている。
一方、1,700円の借金に苦しんでいるあたしは、いつも以上に覇気のない声で挨拶をしながら緑のおじさんの前を通り過ぎ、ジムのフォトディスクをクルっとすると、回れ右をして同じ道を戻り、さっき挨拶したばかりの緑のおじさんと会釈を交わし、家に戻った。

コートと帽子とマスクをとって部屋着に戻る。
仕事を始めるまでにはまだ時間があるので、男性からのSMSの文面を改めて見てみた。

おはようございます。今日、だいじょうぶです。

やだなにこわい。(3回目)

しかしこの数分後にあたしは、寝起きのボサボサ髪に寝癖直しのスプレーを吹きかけ、化粧水すらつけていない、なんなら起きてから洗ってもいない顔に無理やりファンデーションを塗り、3日は着っぱなしだった部屋着からまともな服に着替えると、対面で返済することになった時のために用意していた1,700円入りの封筒と小さな菓子折りを掴んで家を飛び出ることになる。
なぜなら、その日2通目のSMSで、男性の正体に気づいたから。



誘導中でも気をつかわずに声かけてもらって構いませんよ(笑)



恐縮しながら声をかけ、平身低頭で1,700円入りの封筒と菓子折りを手渡しても、しょっちゅう見ている緑のおじさんと1,700円の男性が同一人物だとは思えなかった。
ただ、改めて見てみるとその男性は、あたしがおじさん呼ばわりするには失礼極まりない程度には若かった。
なんか勝手に、とっくに定年退職したおじさんだと思ってました。すみません。



埋まるか埋めるか
たとえば近所のドラッグストアにいるレジの男性、たとえば近所のコンビニの店長。
頻繁に会ってはいるけれど、あたしはどちらの顔も知らない。
会社でも、一緒に働いている人たちの顔は知っているけれど、毎日挨拶をしている隣の会社の男性たちの顔はわからない。
わからない理由は、存在を見ているだけで顔を見ていないからで、相貌失認ではないのだけれど(たぶん)、至近距離で、目を合わせて挨拶を交わしている緑のおじさんの顔を知らない自分にはちょっと呆れた。

「もしかして、気づかなかったですか?」と男性が言った。

これはもう、白状するしかない。

「すみません。今のこの格好だったら気づいてたと思うんですけど」

家のそばの横断歩道で通学する小学生を誘導している人たちは、みんな同じウインドブレーカーを着ている。
1,700円を借りたとき、男性がこの蛍光緑のウインドブレーカーを着ていたなら、顔に見覚えはなくても、あれ?くらいは思ったかもしれない。

1,700円男性の、〝そうですよねー〟という言葉を期待していた。
が、返ってきたのは明らかな戸惑いの声だった。

「えっ?」
「え?」
「あれ?間違ってたらすみません。MYKさん、ですよね?

やだなにこわい。(4回目)

どうしてあたしの名前を知っている。
……あっ!そうかそうか!同じマンションの人なのか!
でも、マンションで話したこともない人の名前なんてわかるもんかなー。

「……はい、そうです」
「私のこと覚えてませんか?」
「あの、ほんとうに、スーツ姿だったので全然わからなくて」
「やっぱり覚えてないのかー」

話が噛み合っていないことに気づいたのは、1,700円男性が発した次の言葉だった。

「ずっと、私だとわかってて挨拶してくれてるもんだと思ってましたよ」



誰。(2回目)



「あれから何年ですか?」
「へ?」
「ああ、やっぱり覚えてないー」
「あの」
「私、隔週金曜日、ここで誘導してるんですよ」
「ああ」
「子どもが小学校にあがってからだから、もう4年か」
「はあ」
「初めてのときにMYKさんとお会いして、ご挨拶して」
「え」
「MYKさん、このあたりに住んでるんだーって」



誰。(3回目)



こんな調子で話をしたところで、敵(いつの間に?)の正体は掴めない。
あたしはいよいよ腹を括って訊いてみた。

「すみません。たいへん失礼ですが、私、どこでお会いしたんでしたっけ?」

すると敵(だからいつの間に?)は、背筋を伸ばしてこう言った。

「改めまして。私、R病院婦人科のスガと申します



穴があったら入りたい。
穴がなかったら掘りたい。そして埋まりたい。
もしくは、掘った穴にスガ先生を埋めたい(まて)。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院15日目 ] どん底から別世界へ飛ぶ

2021/12/21 | trackback [ - ] | comment [ 6 ] | がん告知まで


あたしが泣き始めたのを見た堺さんは、「どうしたの!」と言いながら近づいてきて、柔らかく肩を抱いてくれた。
上半身の角度を変えるたび、硬膜外に留置したカテーテルが神経に触れ、尾てい骨から脳天までをヤバい種類の痛みが走る。さらに、泣けば泣くほど横隔膜の痛みが激しくなる。
結果、身体をビクンビクンさせながら、泣きじゃっくりみたいな息遣いで声を出して泣き続けた。
堺さんは肩を抱いた手をポンポンしながら、「これまで泣けなかったもんね。MYKさんは我慢する人だから。不安があったら言っていいんだよ。言わないとどんどん溜まっちゃうから」と優しく諭す。
いや、ちょっと待った。
いま「不安」って言った?じゃあそのあとは、「痛み止めが苦手」みたいな話にされちゃう?田村さんがしたのと同じように、あたしの窮状がいつかの誰かの不安に置き換えられちゃう?
焦ったあたしは、堺さんに見捨てられないよう必死で喋った。泣きながら。

「ちが(ヒック)」
「ん?血が出てる?」
「違ぅ(ヒック)」
「うん。まずは息を整えてみようか」
「(ヒックヒック)」
「深呼吸……はできないから、静かに息を吐こう」
「ふぅぅぅ(ヒックヒック)」
「ゆっくりでいいからね」
「ふぅぅぅ(ヒックヒック)」
「そうそう」

やっと窮状を理解してくれる仏が現れたのに、泣いているから喋れない。
でも仏が現れて安堵したせいで涙が止まらない。

「痛み止めの(ヒック)管が(ヒックヒック)たぶん神経に(ヒックヒック)触ってて(ヒックヒック)」
「えっ!痛いの!?」
「痛い……うぇーーーーん(ヒックヒックヒック)」
「どうして我慢してるのっ!」
「言った……うぇーーーーん(ヒックヒックヒック)」
「言った?」
「何回も言ったのに……うゎーーーーん(ヒックヒックヒック)」
「わかった!どうして欲しい?」
「痛み止めの(ヒック)管を(ヒックヒック)抜いて欲しい……うぇーーーーん(ヒックヒックヒック)」

改めて文字にしてみると滑稽だ。
でも、田村さんに伝えたときよりもずっと不明瞭な言葉なのに正確に伝わっていることへの安堵や、ナースコールに呼ばれてきたのが田村さんでなかったら地獄を見ることもなかったかもしれないという悔しさがないまぜになって、話せば話すほど泣いてしまう。

「わかった。痛み止めの管はすぐに抜こう。でもこの管ね、先生じゃないと抜けないの。今日は8時くらいにA先生が病棟にくる予定なんだけど、もっと早く来られないか聞いてみるから」
「うゎーーーーん(ヒックヒックヒック)」
「ごめんね。ほんとにごめん」
「うゎーーーーーーーん(ヒックヒックヒック)」
「辛い思いさせてごめん。あー、坂口先生、さっきまで病棟にいたんだよなー」
「堺さん……(ヒックヒック)」
「うん?」
どうじでもっと早くぎでぐれなかったのぉぉ……うぇーーーーーん(ヒックヒックヒックヒック)」 ※雰囲気で読んでください。
「そうだね。早く来るべきだった。ほんとにごめん」
「うぇーーーーーーーん(ヒックヒックヒックヒック)」

そこからは早かった。
堺さんがあたしのベッドのナースコールを押して、「堺です。ちょっときてー」と言う。
あたしが押しても田村さんにしか繋がらなかったナースコールは、堺さんが押したら牧さんに繋がった。
安堵と悔しさでまた涙が出た。

病室にきた牧さんに堺さんは、「MYKさん、背中のカテーテルが悪さして歩けなくなってるっぽい。すぐにカテーテル抜きたいから、S先生に早く来られないか聞いて……いや、坂口先生だな。まだ帰ってないかもしれないから坂口先生呼んでみて」と言った。
牧さんは思いっきり舌打ちをして堺さんに「こら」と叱られたあと、電話をするために廊下に出た。

「MYKさんに『チッ』って言ったんじゃないからね」
「田村(呼び捨て)にだ……(ヒック)」
「ごめん。ちゃんと把握できていなかった」
「田村(呼び捨て)はなんて……(ヒック)」
「えっと、MYKさんは膀胱炎のせいでトイレに何回も行ってたんだよね?
「一回だけ(ヒック)」
「え?」
「トイレ、一回しか行けてない(ヒック)。痛くて歩けないから(ヒック)時間かかって……(ヒック)」
「えっ……」
「それで(ヒック)も(ヒック)、も(ヒック)、漏らしちゃって……うゎーーーーーーーん(ヒックヒック)」
「ああああ、もうっ。ほんとにごめん!私まで舌打ちしたくなる!
「うゎーーーーーん(ヒックヒック)」

堺さんはふんわりとハグしてくれたあと、あたしの呼吸が少し落ち着くのを待ってからティッシュペーパーを取り、泣きすぎてぐちゃぐちゃになった顔や、なんなら鼻水も出ていたので、それを拭いてくれた。
そこでようやく目を開けてみると、堺さんの目にいっぱいの涙がたまっていた。
それを見て、あたしの涙がピタっと止まった。

牧さんが戻ってきた。
「坂口先生、戻ってくるそうです。20分まではかからないで処置室に来れるって言ってました」
早速、堺さんと牧さんと三人で、どうやったら処置室に行けるかを話し合った。

MYK 「ここで抜いてもらうわけにはいかないんでしょうか?」
堺さん「何かあった時にすぐ対応できるから処置室がいいなあ」
牧さん「車いすはどうだろ」
MYK 「便座がヤバかったから怖くて座れない」
堺さん「ストレッチャーは乗れなさそう?」
MYK 「なんかもう、力を入れたり身体を捻ったりするのが怖くてできないから歩いて行きたいです」
堺さん「処置室って手術の前に剃毛した部屋。ナースステーションの隣の」
MYK 「ああ。トイレより向こうだ。20分じゃつかないかもしれません」
牧さん「時間は気にしなくていいです」
堺さん「そう。坂口先生が待つだけだから
MYK 「じゃあいっか
堺さん「いいよ
牧さん「うん。いいよ



坂口先生の扱いが軽い件について。



一旦病室を出た牧さんが、歩行器を持って戻ってきた。
ああ、こんな便利なものがあったのか……。トイレに行くときにこれがあったら幾分楽だっただろうに。
カテーテル抜去の準備をするという牧さんは先に病室を出て、あたしは歩行器に両手をかけ、堺さんは点滴スタンドに手をかけて廊下に出た。
相変わらず、身体をくの字にしないと歩けないし、カテーテルが神経に触れるたび痛みが走って呻き声も出てしまうけれど、それでも、片手で点滴スタンド、片手で廊下の手すりをつかんで歩くよりはだいぶマシだ。
なにより、ゴールが見えるなら頑張れる。
歩き始めるとまともな返事ができなくなることを悟った堺さんは、「ゆっくり」とか「はい、一回止まってみよう」とか、根気強く声をかけ続けてくれた。
しばらく歩くと、頭の先のほうから坂口先生の声がした。

「いま急にこの状態?」
「いえ。最初のナースコールが0時でしたから、遅くともその時から」
「なんで……」
「あとで聞き取りします」
「MYKさんはオレがみてるから、堺さん、いま確認してきて」



お前が確認しに行けよ、坂口(呼び捨て)



あたしの仏・堺さんがその場を去ってしまうと、替わりに坂口先生が付き添ってくれたところで、まったくもって頼りにならない。
というか、頼れない。
坂口先生はカテーテルを抜いてくれればいいのであって、優しく声をかけて付き添って欲しいのは断然、看護師さんだ。 ※ただし田村(呼び捨て)を除く。
医師としての坂口先生を信頼していないわけじゃない。
ただ、なんか、介助とか下手そう。
〝お前じゃねえよ。堺さんだよ〟と思いながら、歩を進める。

「急がなくていいからね」と坂口先生が言う。
返事はできないけれど、確かにちょっと気が急いていた。
〝早く抜いて欲しいんで〟と胸の内だけで返事をしながら、歩を緩める。
「処置室についたらすぐ抜くから」とまた声がした。
〝マジですぐだぞ?速攻だぞ?〟と思いながら、またゆっくり歩を進める。

自力でトイレから戻るのには40分もかかったけれど、歩行器を使ってトイレより遠い処置室に着くのは25分しかかからなかった。
やっぱり、歩行器すら用意してくれなかった田村さんはどうかしている。

処置室に入るとそこには牧さんがいて、あとから堺さんもやってきた。
坂口先生が「椅子に座れる?」とあたしに聞けば、牧さんが「痛いし怖いから無理です」と答え、「怖いって?」と聞けば、堺さんが「この状態でトイレに行って便座に腰かけたら激痛だったそうです」と答えてくれた。

「じゃあ、できる範囲でしゃがんでみて」
「しゃがむ……?」
「もとい。しゃがまなくてもいいけど、カテーテルは頭のほうに引き抜くから、できるだけ背中が低くなる体勢がいいんだけど」
すると牧さんが言った。
「MYKさん、ここに手をつけますか?」
それは、壁にピタっとつけて置いてある、手術前に剃毛やヘソの掃除をしてもらった診察台だった。
「できると思います」
あたしがそう答えると、牧さんは「よし」とだけ言って診察台に手をかけると、それを勢いよく手前に引き出した。
「先生はそっちから」
牧さんの言葉に坂口先生がキョトンとする。
「先生は壁のほうに回って引いて」
牧さんが咄嗟に口にする言葉はいつもぶっきらぼうだけど、頭の回転が速く、適応力が高い。
坂口先生は「なるほどねー」と言いながら牧さんが指示した場所に移動しようとしたが、牧さんが、「まだこっち」とそれを止めた。
開いたビニール袋をサージカルテープで診察台にぶらさげ、カテーテルの抜去に必要なものが牧さんの手によって診察台に並べられる。
堺さんはあたしの横に立って、「痛み止めの残量だけ計らせてね」と言うと、デジタルスケールに痛み止めが入ったボトルを乗せて重さを読み上げる。
牧さんがその数字を電子カルテに入力してから復唱すると、堺さんが「OK」と言った。
それは、あたしがこの2週間尊敬し続けた看護師さんたちの、滑らかで無駄のない仕事ぶりだった。

あたしがパジャマの上をはだけて診察台に手をつくと、「動かないようにがんばって」とだけ言われ、カテーテルがズレないように背骨に沿って首まで貼られていたテープが、坂口先生の手によって剝がされた。
そして、診察台を挟んで向かい側に移動した坂口先生の、「はい、抜きます」という声を合図に、尾てい骨の上に感じていた異常な痛みが消えた。

「あっ」
「痛くなくなった?」
「はい」
「やっぱりカテーテルだったのか……」
「そう言ったんですけど、まるで聞いて貰えなかったです」
「堺さん。どういうことだった?」
「先生、ちょっと待って」
「なに?」
トイレ



そう言って身体を起こし立ち上がると、さっきまでの強烈な痛みが、地獄が、絶望が、そのぜんぶがまるで別の世界のことだったみたいに、綺麗さっぱり消え去っていた。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院15日目 ] 朝まで泣き続ける

2021/12/20 | trackback [ - ] | comment [ 0 ] | がん告知まで


世の中には二種類の人間がいる。
泣いてスッキリする人と、泣いたらますますダメになる人。
あたしは後者の人間だ。
人のことで泣いてるうちはまだいい。
自分のことで泣くとダメになる。それはもう確実に。



扉を開けっぱなしにしたトイレの個室で手すりに掴まり、用を足したあと拭くこともできず、粗相して汚した下着やパジャマやスリッパを替えることもできず、冷えきったお尻を出したまま泣き続けていた。
ポロポロと涙が落ちるのを止められない。
惨めだった。
泣くほどに、生きる気力が流れ出ていくようだった。
だとしても、このままではいられない。
トイレットペーパーで拭くことから始めた。
でも、足元まで下がってしまった下着とパジャマをあげるのがどうしてもできなくて、またしばらく泣いた。
狂ったように大声をあげて泣きたかったけれど、痛みが激しすぎてそれも叶わない。
お尻を隠せるのもトイレから出るのもまだ随分時間がかかりそうだったから、次は扉を閉めよう。
痛みを堪えるためにギュっと閉じていた目を薄く開け、扉のあるほうに目をやる。
すると、その先の手洗い場に置かれた時計が目に入った。
午前2時半になっていた。
最初にナースコールをしてから2時間半経ったことになる。
朝はまだ遠い。
今日は土曜日だから、朝の回診は遅いんじゃないだろうか。下手すると、あと6時間近く先じゃないだろうか。
この2時間半の地獄を思うと、身体も心も、朝の回診まではもたない。
それなのに、ナースコールをしたところで、やってくるのはあの、〝人の話を聞かないサイコパス〟だけだ。
その絶望感にまたしばらく泣いた。

ようやく扉を閉めて鍵をかけた。
無様な姿を人に見られないことに少しだけ安堵しつつ、無様な姿でしかいられない自分が惨めでまた泣ける。
何を考えても泣けてくるし、何も考えなくてもとにかく泣けた。



呻き声をあげながら、粗相して汚れた下着とパジャマをなんとかあげ、個室を出るまでに30分かかった。
そこから更に40分かけて病室に戻った。
途中で病室を見回っていた田村さんに出くわしたけれど、無神経な言葉を浴びせられるのが嫌で、つい漏れてしまう呻き声をあげないように息を止めた。
ナースコールでやってくるのも見回りをするのも田村さんでは、他の看護師さんに気づいて貰える可能性はゼロだ。
泣いていることに気づかない田村さんは、「おトイレ大変ねえ。気をつけて」と言って、他の病室に入っていった。
サイコパス。節穴。ひとでなし。
いつもなら胸の内に蠢く悪態がぜんぶ涙に変わる。
そんな状態で静かな病室に入るのは気が引けたが、粗相した下着とパジャマでいるのが限界だったから、声が出そうになったら息を止めて、泣いていると気取られないように気をつけて、自分のベッドまで辿り着いた。

キャビネットから着替えを出すのも着替えるのも地獄だった。
同室の人たちを起こしたくないのに、いつまでも身体が痛みに慣れてくれず、脳天まで痛みが走ると3回に1回は「くっ」とか「うっ」とか、呻き声が出てしまう。
ああ、せめて泣いてることが同室の患者の方々にバレませんように。
みんながどんな病気で入院してるのかは知らないけれど、大なり小なりの不安を抱えた人たちに、余計な心配をかけずにいられますように。

ようやく着替えを終えたのは午前4時50分。
自力でベッドにあがるのはとっくに諦めていたので、ベッドに手をついて、上半身を折りたたむようにして立っていた。
こんな体勢で朝までもつだろうか。絶対無理だな。
夜勤と日勤の看護師さんが交代するのは何時だろう。
朝の回診に、夜勤明けの看護師さんがくることはほとんどなかったから、日勤は8時くらいからの勤務なのかな。
で、晩ご飯の時間にはもう夜勤の看護師さんがいるから、だとすると、8時~17時くらいなのかもなあ。
あっ、夕方にきて真夜中に帰る人もいるって聞いたな。だとすると三交代制?
いますぐ答え合わせができない問題を考えてみたところで、たいして時間はつぶせない。
見ても見なくても進みの変わらない時計に目をやる。
午前4時57分。

病棟の見回りに田村さんがやってきた。
これ以上、田村さんの思い込みで余計な動きをさせられないよう、〝たまたま起きてて、たまたま立っているだけ〟を装う。
カーテンを開けてあたしを見た田村さんは、まるで叱るように「まだ寝てていい時間」とだけ言い、戻っていった。
この節穴が。
それから1時間、地獄から這い出ることもできず、涙も止まらず、身体をUの字に曲げて過ごした。

午前6時。
人が動き始めた廊下から足音が近づいてきた。
また見回りか。また田村さんか。
近づくなよサイコパス。節穴。ひとでなし。
胸の内で悪態をつきながら、前回と同じく、〝たまたま起きてて、たまたま立っているだけ〟を装うべく、Uの字からくの字くらいまで上半身を起こすと、カーテンが開いた。

「おはよう、MYKさん。膀胱炎で夜通しトイレを往復してたって?眠れた?」

声の主は、あたしをこっぴどく叱った堺さんだった。
地獄にやってきた仏の声を聞いて、あたしは大泣きした。




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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。