[ 入院12日目 ] けしからん襟裳岬

2017/04/27 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


入院12日目の昼過ぎ。病院のコンビニ。
日用品コーナーから、お弁当やお惣菜が並ぶ棚に移動した。
さて、あたしは何が食べたいんだ?

かつ丼に親子丼、からあげ弁当に豚カルビ弁当に中華弁当。
いなり寿司、握り寿司、巻き寿司におにぎり。
パスタにグラタンにドリアにサンドウイッチ。
ひとつひとつをじっと見る。
どれも、一口なら食べられるような…。でもどれも、完食はできないような…。
空腹感はあるのに食欲がないなんて、だいぶひどい二日酔いの時くらいしか経験がないよ。

どれだけ眺めても、これだ!というものが見つけられないので、パンの棚に移動した。
でもなー、お母さんに鮭のおにぎり頼んじゃったからなー。
そこで、鮭のおにぎりに合う何かを探すべく、今度はカップ麺の棚へ。
あ、どん兵衛のスープだけ飲みたい気がする!
小さいどん兵衛、買ってみようかなー。
でも、病棟に熱湯ってあるのかなぁ。
それともここでお湯入れてく?
いや、ダメだ。お湯の入った小さいどん兵衛を持って、長い廊下を歩いてエレベーターに乗って病棟まで戻るなんて絶対に無理。
もしここでお湯入れたとして、どこか座って食べる場所あるのかな。
どうなんだろー。
どなたかご存じですかー?
どなたかー。っていうか、福岡。金おろすのに何分かかってんだよ。

ATM前で福岡さんと別れてから、既に25分経っていた。
たとえばこれが飲みに行く友達との待ち合わせなら、イライラする以上に心配しながら、30分でも1時間でも待つ。
けれど福岡さんの場合は、〝コンビニに行く患者の付き添い〟という仕事を25分放棄してるわけで、そんな人を気長に待ってあげるような優しさはあたしにはない。
だって25分だ。あたしが母とメールのやり取りをしたり、どんなものなら食べられるのかをアホほど迷っていなかったなら、とっくに病棟に戻っていておかしくないくらいの時間なのだ。
百歩譲って、ATMでお金をおろそうとしていた福岡さんに不測の事態が起きていたとしても、25分間も仕事に戻れないのは、福岡さん自身が一言も喋れないほどの体調不良に襲われたか、物騒な犯罪に巻き込まれた時くらいだろう。
福岡さんが戻ってこない理由は心底どうでもいいけれど、どん兵衛のお湯問題を解決したかったあたしは、ATM付近にいるであろう福岡さんに聞きに行くべく、一旦コンビニを出ることにした。

長い廊下に出て、今度は猛スピードで追い越していく人の波にビクビクしながらゆっくりATMまで歩いた。
久しぶりに立ちっぱなしでいたからか下半身がだるくて、足の裏は、何時間も歩いたかのようにぼんやり痛い。
小さいどん兵衛、やっぱりいらないかな。
お母さんが持ってきてくれるおにぎりとお茶で十分だよね。
でもなあ、せっかく完食できそうなものを見つけたのに、なんだかもったいない。
まったくもう、なんなんだよ、福岡ー。
万が一あたしが転んだり倒れたりしたら、あたしも叱られると思うけど、あなただって怒られると思うんだよね。
それなのによくもまあ、こんなところで呑気にサボっていられ……って、いねーし。
てっきり、ATMの前にあったベンチにでも座ってると思ってたのに、いねえ。
足元ばっか見て歩いてきたから、すれ違ったのに気づかなかったとか?
まあ、向こうが気づけって話だけどな!だってそれも福岡さんの仕事だからな!

そのまま病棟に戻ろうかとも思ったけれど、すれ違った可能性も捨てきれず、またコンビニに戻る。
つーかーれーたー。
足いたいー。
腹だってまだまだ痛いー。



コンビニは名案だと思ったのに、食べたいものがなかなか見つけられず、なんとか食べられそうだと思ったものも買うことができず、たった30分かそこらで身体は疲れ果て、なのにあたしは、病棟にお湯があるかないかを聞くためだけに福岡さんを探している。
そんな状況に、だんだん腹がたってきた。
どうしてあたしが付き添いを探さなければいけないのか。
どうして福岡さんは付き添わずにいられるのか。
そんなにサボりたければ一生サボっていればいい。
だけど、働きたいのに働けないあたしの前で、働けるのに働かない姿を見せるな。

胸の内でそんな悪態をつきながらコンビニに向かったが、ふと、受付フロアのベンチに座っているかも?と思いついた。
そこで、コンビニを通り過ぎ、エントランスを横切りながら何気なく左を向くと、そこに福岡さんを見つけた。
福岡さんは病院の外にいた。
外も外、正面にある駐車場を出た、病院の敷地の外に立ち、携帯で喋りながらタバコを吸っていた。
ああ、そういうことか。



あたしはコンビニに戻ると、病棟で食べられるかどうかわからない小さいどん兵衛を手に取ってレジに並んだ。
あたしの前の前に白衣を着た男性が立っている。
あ、坂口先生だ。
福岡さんよりずっと心強い付き添い見つけたー。坂口先生はあたしに気づいてないけど。
そうだ。坂口先生、病棟にお湯があるかどうか知ってるかな。訊いてみようかな。
もしお湯があったら、お母さんと一緒におにぎり食べて、どん兵衛も食べて。
たくさん食べて少しでも体力戻して明日手術して。
それで…、それで…、それで…。

レジはなかなか進まなかった。
ざわついてきた気持ちを落ち着けたくて静かに長く息を吐いた時、それまでもずっと店内で流れていたはずの音楽が、急にはっきりと耳に入ってきた。

寂しいのは生きていても ああ死んでいても同じことさ
その手貸して まだ歩けるか

そのフレーズが、ひとりで墓参りをした母や、手を貸してくれるはずの付き添いを探して疲れ切っている自分とシンクロした。
でもそれ以上に、綺麗なメロディーと、絶望することに疲れてふと笑ってしまったような歌声が、効いた。
これ、いま聴いちゃダメなやつだ。

急いでレジ待ちの列から外れて、小さいどん兵衛を棚に戻し、両手で耳を塞ぎながらコンビニを出てふぅと息をつくと、涙腺が弛んだ。
それと同時に横隔膜が動いて激痛が走り、涙より先に泣きじゃっくりが出始めた。
ひっくひっく言いながら歩くあたしを、周囲の人は明らかな好奇の目で見ている。
だけどこの状況を医師や看護師に見られたら好奇の目では済まず、MRIの二の舞になってしまう。
「どうしました?」「B'zのぉーALONEっていう歌がぁー」みたいな恥ずかしい会話は二度としたくない。

病棟に戻るべく長い廊下を歩き、エレベーターホール近くにあったトイレに逃げ込んだ。
個室に入り、息を吸うことより吐くことを意識して呼吸を整える。

あの声(ヒック)、星野源だったな(ヒック)。
なんなのあの歌は(ヒック)。
だいたいさー(ヒック)、いつも不意打ちなんだよ(ヒック)。
あたしの入院生活にはB'zも星野源もいらないんだってば。(ヒック)
テレビもラジオもコンビニの有線も、音楽なんて全然いらないんだってばー。(ヒック)

そんなことを思いながら息を吐くのに集中すること数分で泣きじゃっくりがおさまったので、何食わぬ顔でトイレから出てエレベーターの前に立った。
すると、コンビニの袋をぶらぶらさせて坂口先生がやってきた。

「なにも買わなかったの?」
コンビニにいたことに気づいていたらしい坂口先生は、そう言いながらあたしの両目をかわるがわる見た。
〝買わなかった〟という言葉の代わりに頷いてみたけれど、それでもまだ、じっと見ている。
そして、「またB'z?」と訊いてきた。
おいおい誰だよ。坂口先生に、あたしがB'zで泣いたってバラしたのは。
それより、泣きそうだったこと、どうしてわかった?
泣いてないのに。
あたし、泣きそうな顔してる?
目が赤いとか?それとも潤んでる?
坂口先生の胸倉を掴んで問い詰めたいのをぐっと堪え、答えた。

「今日は星野源」
「ああ」
「ご存じで」
「このあいだテレビで『襟裳岬』歌ってた。森進一の」
「『襟裳岬』…」
「けしからん」
「ん?」
「MYKさんを泣かせるなんて、B'zも襟裳岬もけしからんよ」


* * * * * * * *


先月のお彼岸、墓参りから戻る車でラジオから流れてきたのは、星野源の『知らない』。
病院のコンビニで初めて聴いて泣きそうになり、〝一切の音楽を聴かずに過ごす〟と、ますます固く決心するきっかけになった曲だ。
指でつついただけで弾け散ってしまいそうなほど心が脆くなっていたから、それを揺さぶるものは徹底的に排除して、平穏に暮らすことに腐心していた。
そうじゃなくても、深く考え過ぎたり落ち込んだり絶望する引き金となる音は病院の中にも外にも溢れていて、人の言葉は止められないから、せめて音楽は排除して過ごした。
そして、横隔膜の痛みが少しだけ和らいだ2013年の初夏、半年ぶりに音楽を聴きたくなったあたしが悩みに悩んで選んだのは、けしからん人が悲しげに歌う、けしからんこの曲だった。



今でも、あたしにとって『知らない』は、入院初期の精神的に不安定だった自分や、途方に暮れていた母や、「けしからん」と言った坂口先生の表情を思い出して胸が詰まってしまう曲で、だから、運転中に聴くにはふさわしくない。
この日もまた、イントロだけで胸がキュっとなった。
だけど、そんな娘の変調に気づくことなく、助手席の母は、肉だ寿司だ中華だやっぱイタリアンだ!と楽しそうだし、空はこれ以上ないほど晴れているし、あたしは元気に生きている。
あの日のコンビニで、不安に押しつぶされそうになっていたあたしには見えなかった未来で聴く『知らない』は、静かに強い希望の歌に聞こえた。



▶ 思い出の曲 [ その1 ]






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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院12日目 ] ハカマイル

2017/04/20 | trackback [ 0 ] | comment [ - ] | がん告知まで


先月のお彼岸、母とふたりで墓参りに行った。
その日は朝から快晴で車の中は暑いくらいだったけれど、高台の墓地に着いて車を降りると、春だと浮かれるあたし達を嗤うように、冷たい風が肌に突き刺さった。
我が家の墓参りはいつも呑気で陽気だ。
この日も、「赤いガーベラ買えばよかった」とか、「来年の春はチューリップオンリーにしてみようか」とか、「それ、去年も言ってなかった?」「そうだっけ?」とか、どうでもいい話をしながら雑草を抜いたり墓石を拭いたりして、それに飽きた母の、「このぐらいでいいね」を合図に墓石に向かい、ふたりで手を合わせた。
お彼岸やお盆や命日にはいつもそうしているわりに、あたしも母もいまだかつて、〝ここにお父さんの魂が眠ってる〟的なことを思ったことがないし、亡くなって20余年経っているせいか、〝故人の供養〟という意識もない。
信心深い人には叱られるかもしれないが、あたしと母にとって墓参りは年中行事の一環に過ぎない。
大みそかに年越しそばを食べるような、玄関に注連飾りを吊るすような。
念のため書くと、お墓にお父さんはいないし、かといって、千の風になってあの大きな空を吹きわたってもいない。
20余年、我が家にとっての墓参りとはそういうものだった、
なのに、あたしが入院した2012年12月、母はなぜかひとりでお墓にきて、「MYKちゃんを連れていかないで」と、泣きながら父にお願いしたという。



母は何年かに一度、こういう、ドラマや映画に出てくる〝母親らしい母親〟がやりそうなことをする。
だけどその後で、ボケたのか?!と思うくらい何度も、〝雪が降ってもおかしくないくらい寒い日に、バスと電車を乗り継いで長くて急な坂をのぼって、やっとのことでたどり着いたお墓で、お父さんに、「MYKちゃんを連れていかないで」って泣きながらお願いした私〟の話を涙ながらに語り散らすので、それはもう本当に、とてもとても鬱陶しい。
しかも話すたび、〝雪が降りそう〟が〝雪が降ってた〟や〝吹雪〟になったり、〝泣きながら〟が〝泣き崩れた〟とか〝墓にしがみついてオイオイ泣いた〟になったりという過剰演出が加わる。
だからあたしにとってこれは、〝韓流ドラマの見過ぎだな〟と突っ込みたくなる、ウザおもしろい話になっている。
でも、初めてこの話を知った時の印象は全く違う。
それは、入院12日目の午後、仕事ができるのに仕事をしない看護助手・福岡さんの、無責任な仕事ぶりを目の当たりにした直後のことだった。



無闇に頼ろうとするから失望するんだ。
福岡さんの言動には不安しかなかったじゃないか。
どれだけ弱っても、頼る相手を間違えるな。
横着して、これ以上自分の心を傷つけるな。
迂闊な自分を胸の内で戒めながら、猛スピードで向かってくる人波を慎重によけつつ、ひとり、コンビニへと歩き始めた。

そして、外来の喧噪の手前を左に曲がったとき、母からのメールを受信した。

お墓にいます。お父さんに、MYKちゃんを連れていかないでって一生懸命頼んできたよ。いまから病院にむかうね

過剰演出バージョンを散々聞かされた今では、その光景を思い浮かべるたびに笑ってしまうのだけれど、このメールを読んだ当時のあたしが感じたのは、母の精神状態の危うさだった。

やだ。なにこれこわい。
だって、そんな人じゃない。
どんなに大変な時だって、お墓に向かって何かをお願いしたことなんてないじゃない。
それとも、口に出さないだけでいつも何かを話しかけてたの?
いや、ないな。
お願いごとがあったら、手を合わせながら口に出して喋っちゃうタイプだもん。
だいたい、ひとりで墓参りに行くこと自体、普段ならあり得ない。
だってお母さん、お彼岸やお盆に最寄駅から出てくるお年寄りを見ては、「私、車じゃなかったら絶対来てないわ、こんな辺鄙なとこ」とか、バチあたりなことばっか言ってるじゃないかー。

母の突飛な行動に驚かされるのは初めてじゃないけれど、それにしても、毎日泣き続けてた母が思い立って行動したのが墓参りというのは、キャラになさすぎる。
だから、母を現実に引き戻すべく、すぐさま返信した。

帰り道、いつものお店でおにぎり買ってきて。鮭の。

墓地のすぐ近くにある個人商店で売っているおにぎりは母とあたしの大好物だ。
いつもなら迷わず山椒入り生唐辛子の具を選ぶけれど、弱った胃腸にはさすがに刺激が強すぎる。
ああでも、ふんわり握られたあのおにぎりなら食べられそうだ。

コンビニに入り、日用品コーナーの充実ぶりに感心していると返信がきた。

鮭4つ買った!

元気でも4つは食べませんがー。



話は先月のお彼岸に戻る。
墓参りを終え、どこかでお昼ご飯を食べようということになった。
「餃子無料券があるからラーメン屋」というあたしの案を無視した母は、とあるイタリアンレストランに行きたいと言った。
おいしいイタリアンを食べながらアルコールが飲めないなんて何の罰ゲームだよと運転手のあたしが抗議してこれも却下。
渋滞にハマりながら肉だ寿司だ中華だと言っているうち、始まりの時間になった。



三連休の最終日であるこの日、楽しみにしていたラジオ番組があった。
それは、NHK-FMの、『今日は一日“失恋ソング”三昧』
NHKアナウンサーの有働さんが企画し進行もして、失恋をテーマにゲストと語りつつ、ゲストやリスナーの思い出の失恋ソングも流す10時間の生放送……なんて、絶対おもしろいに決まってる。
墓参りからの帰り道、お昼に何を食べるかを話しているうちに番組が始まる時間になったので、スマホでradikoを起動した。

母とふたり、「懐かしー」「これ知らなーい」「サビ聴けばわかるよ」「あ、わかった!」などと喋りながら、ときどき歌ったりもした。
番組開始から約2時間のゲストは石田ゆり子さん。プライベートでも親交があるという有働さんとの会話は、年相応に落ち着いていながら楽しくて笑えて、何時間でも聴いていられる心地よさだった。
声質って大事。むやみに声を張らない大人って素敵。

NHKだけど、恋愛を語ればおのずと、TBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の話にもなるわけで、男性アナウンサーのやんわりとした静止を振り払って有働さんは『逃げ恥』を語り、石田ゆり子さんが演じた百合ちゃんの名言についても話題にのぼった。
そこからの星野源である。
リスナーからのリクエストで、〝それまでなんとも思っていなかったのに、この曲を聴いてから星野源さんが好きになった〟というエピソードを有働さんが読みながら、石田ゆり子さんとふたり、めずらしく声を張って、「〝それまでなんとも思っていなかったのに〟の部分は余計だ!」と猛抗議しているのを聴きながら、「確かに」と笑っているうち、その曲が始まった。
それはまさかの、入院12日目にコンビニで聴いた、おそらく生涯忘れることのない曲だった。


(続きます)


▶ 好きな本 [ その3 ]
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▶ 脇汗の話から始まるところが、有働さんらしいです。




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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院12日目 ] コンビニへ行く

2017/04/18 | trackback [ 0 ] | comment [ 5 ] | がん告知まで


入院12日目。
昼の病室では、きつねそばを食べるあたしに激高した加藤さんを、看護師の高橋さんがなだめている。
「だって!」「MYKさんが!」の後に、あたしでも理解できる激高の理由が続くことを期待してずっと耳をそばだてていたけれど、「もういやだ!」とか「なんにも教えてあげない!」とか、感情的な言葉しか聞こえてこない。
ちゃんと喋れ。
自分では、加藤さんを煽るかのごとくせっせと食べていたつもりだったけれど、如何せん、腹水に圧迫されて縮んだ肺の痛みで勢いよく啜ることができないから、結局のところきつねそばは少ししか減っていなかった。
食べなくては!という気持ちはあるのだけれど、箸を止めて、隣から聞こえてくる文句を聞き続けているうち、目の前にあるきつねそばが加藤さんの悪意を吸いこんで増殖していく気味の悪い食べ物に思えてきた。
うーん。この環境でも美味しく食べられるものなんてある?
思い浮かばないのを承知でそれを真剣に考え始めると、いつしか、止む気配のない加藤さんの声とそれをなだめる高橋さんの声が遠くに感じられ、名案を思いついてようやく我に返った時、あたりは随分静かになっていた。

ああ、お風呂に入ってよかった。
髪も身体もサラサラになったし、何より臭わない。
あたしは箸を置いてベッドから下りると、厚手のパーカーを羽織って、母が家から持ってきてくれた、あたしには可愛すぎるキャラクターが描かれた小さいトートバッグに携帯と財布を入れた。
すると、カーテンの向こうから高橋さんの声がした。

「MYKさん、カーテン開けますよ」

あたしが返事をするとカーテンを最小限に開けて高橋さんが入ってきた。
〝だいじょうぶ?〟と声に出さずに訊かれたので、二度頷いてから言った。

「コンビニ行ってもいいですか?」

高橋さんに声をかけられなかったら、許可を得ないで行っていた。
鬱々とした病室から出たかったし、いろんな食べ物を見てみれば食欲が湧いてくるかもしれない。
これが、あたしの思いついた、一石二鳥の名案だった。

「必要なものがある?それとも〝行きたい?〟」

高橋さんは本当に勘がいい。
あたしも声を出さずに〝行きたい〟と答えると、高橋さんは指でOKのサインを出し、「まだ配膳車が廊下にいるから、一緒にトレーを戻しに行きましょうか」と言って、病室の外に連れ出してくれた。



下膳した後、高橋さんに連れられてナースステーションの前に行くと、あたしの格好を見た看護師さんに、「MYKさん、お出かけ?」と訊かれた。
病室以外で医師や看護師さんや看護助手さんに名前を呼ばれるたび、〝あたしの名前、覚えてるんだ!〟といちいち驚いてしまう。ちっとも慣れない。
R病院の女性病棟には90人近い入院患者がいて、毎日誰かが退院し、毎日新たな入院患者がやってくるというのに、どうして覚えられるんだろう。
あたしが働いている部署にも同じくらいの人がいるけれど、顔と名前が一致しているのは、何年も一緒に働いている半数くらいの人だけだ。
何キロ先の人に話しかけてんじゃボケ!くらい声がデカイとか、塩素系漂白剤のプールに沈めんぞコラ!くらい臭いとか、悪いほうの特徴がある人ならすぐに覚えられるのだけれど、それ以外は覚えられる気がしない。
そんなあたしにとって、入院患者の顔を見て名前がわかる病院の人達は特殊能力の持ち主みたいに思えた。

「コンビニに行くんですよねー」

あたしの代わりに高橋さんが答えると、ナースステーションにいた別の看護師さんが、「じゃあ付き添い頼むから待ってて。MYKさん、マスクして行くのよ」と言って、誰かに電話をかけた。

「コンビニ行っていいんだ」とあたしが呟くと、高橋さんは、「もちろんいいです。行きましょう。でも万が一のことを考えて、看護助手さんに付き添って貰いますね」と言う。
やったー!
やったぞー!

病棟から出たのは術前検査の時だけ。
それだって車椅子に乗せられて検査室を回るだけだった。
自分の意志で行き先を決めたい。自分の足で歩きたい。
それまで普通に出来ていたことが出来なくなっていたのは短期間だったけれど、〝一生できなくなるかもしれない〟という恐怖を抱えた12日間は、絶望するほどに長かった。



病棟のエレベーターホールにあるソファに座っていたあたしと高橋さんのもとに、パタパタと騒々しい足音をたてて駆け寄ってきた看護助手の女性は、胸元のネームプレートによると、福岡さんというらしい。
歳は40をちょい超えたくらいだろうか。病棟にいる看護助手の中では若手だ。
福岡さんは、あたしの状態について説明を始めた高橋さんを、「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って」と言って制し、ウエストポーチをしばらく引っかき回した後、思い出したようにズボンのポケットからメモ帳とペンをひねり出すと、メモ帳にペン先を近づけて、「で?」と続きを促した。
福岡さんを見てから1分も経っていなかったけれど、それでも、彼女の性格が如実に表れている言動だった。

身のこなしを見ればその人の性格の大枠は想像がつくが、残念ながらあたしには、ほんの少しの情報で、〝おっちょこちょい〟だとか〝要領が悪い〟だとか、〝想像力がない〟とか〝集中力もない〟とか、〝マルチタスクにトライしてシングルタスクにも失敗するタイプ〟だとか〝有事には絶対パニくる〟とか、小枠まで決めつける悪癖がある。
それが合っているかどうかはさておき、少なくともあたしは、福岡さんのようなせわしない動きには、不安しか感じない。
福岡さんを見て、〝一生懸命やってるね〟と好印象を抱く人もいるとは思う。
だけど、職場で一生懸命さがプラスに評価されるのは、その仕事に就いてからせいぜい1年くらいで、そのあとは、〝一生懸命なのはわかるけど、でも〟という、厳しい指導の前の緩衝材に成り下がる。
もちろん、福岡さんが新人である可能性は大いにあるが、だとしても、年相応の落ち着きや気配りは求められて当然だろう。
同世代の社会人として見ているせいか、自分がメモを出すのに手間取って人を待たせてるところとか、待たせてるのに申し訳なさを微塵も表さないところとか、とにかく、福岡さんの何もかもが気に入らなかった。

その福岡さんと一緒にエレベーターに乗った。
コンビニがある1階のボタンはあたしが押した。
福岡さんは何も喋らず、あたしの半歩後ろに立って、手にしたメモ帳をパラパラとめくっている。
あたしのことを考えていないのは一目瞭然だった。
だって、説明する高橋さんを制して取り出したわりに、結局何もメモらなかったのだから。

風呂で上がった気持ちが、きつねそばで落ちて、コンビニに行けることになって再浮上したけれど、福岡さんの登場でまた落ちた。
些細なことで何をそんなに…と、今なら思える。
だけどこの時あたしは、ほんとうに福岡さんのことが嫌だった。



エレベーターが1階で停まると、あたし達の下の階から乗ってきていた男性の入院患者が、扉のすぐ横にある〝開〟のボタンを押してくれた。
「ありがとうございます」と言いながら軽く頭を下げて降りようとすると、男性は、「ゆっくりでいいからね」と優しく声をかけてくれた。
降りてから振り返ると、福岡さんはあたしに続き、男性の入院患者より先に、会釈もせずに降りてきた。
あー、気に入らねえ。



エレベーターを降り、病院の端から端まで一直線に続く長い廊下をゆっくり歩いた。
コンビニは病院のほぼ真ん中にあり、コンビニの先に病院のエントランス、そのまた先は受付や会計の窓口、外来と続く。
こちらに向かってくる人がみんな早足に見え、その勢いが少し怖かった。
もしもぶつかりそうになっても、まだあちこち痛くて踏ん張りがきかないあたしには、たぶんよけられない。
それに気づいたらますます怖くなった。
でもその弱気は、後ろから聞こえてきた福岡さんの声で吹き飛んだ。



「先に行っててくださーい。私、ATMでお金下ろしてから行きますからー」



ほんとうに福岡さんのことが嫌だった。
だって、働けるのに働いてないから。




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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。