まずは薬をください

2017/06/22 | trackback [ 0 ] | comment [ 5 ] | 今日のできごと


入院当初、胃潰瘍になったり、十二指腸に穴が開いたり、2回目の術前検査で胃にピロリ菌が見つかったこともあって、R病院では婦人科だけでなく消化器内科でも定期的に検査を受けている。
胃カメラは年に1度、大腸内視鏡は2年連続でやった後、3年に1度することになっていて、今年は大腸内視鏡の年。
そこで先日、胃カメラと大腸内視鏡検査の予約をするため、R病院の消化器内科に行ってきたのだけれど、医長の日野先生(仮名)は、婦人科の定期検査で撮ったCT画像を見ながら、あたしが地味に怖れていたことをサラリと言った。



「脂肪肝気味だねぇ」



あたしの肝臓がフォアグラになりかけているらしい。
優しい日野先生は、「閉経前に子宮や卵巣を摘出した人は、急激なホルモンバランスの崩れからか太りやすくなる人が多くて、脂肪肝になって相談に来る人も結構いるんだよね」と言ってくれた。
お気遣いありがとうございます。
でも私、卵巣がんになるずっとずっと前からデブなんです。

「さて、いよいよ体重減らしてみましょうか」
「はぁ」
「脂肪肝から肝炎になったら、腫瘍マーカーが反応しちゃって面倒くさいでしょう」
「うー」
「まず、朝と昼はこれまで通り食べていいから夜は腹八分目。カロリーの高いものは朝か昼に食べる」
「はぁ」
「それから、週に2日の休肝日」
「うっ…」
「あとは適度な運動ね」
「ううっ…」
「ハードな運動じゃなくていいんだよ」
「たとえば」
「一番いいのはウォーキングだね」
「ああ」
「いま歩いてる?」
「会社から家まで。帰りだけ」
「どのくらい?」
「毎日、2キロ弱を30分くらい」
「もうちょっとかなー」
「長く?」
「そう。あとね、もうちょっと早く歩いたほうがいいかな。まずは2キロを25分で」
「はぁ」
「毎日遠回りして、4~50分歩くといいかもね」



実は1年前に消化器内科を受診した時も、別の医師に、「このままだと近い将来脂肪肝になるね」と言われていた。
ただ、その後で、あたしの顔から足までを眺め、「まあ、どぉー見ても、標準体重じゃないもんね」と吐き捨てた医師自身がどう見ても標準体重超えのメタボ体型だったので、いつものように胸の内で、〝お前もな!〟とつっこんだだけで聞き流していた。
デブにデブと言われたところで、全然胸に響かないのだ。
ところが日野先生は、長身で細身。
1年のうち300日はプールで泳いでいるそうだが、「太りはしないんだけど、甘いものに目がなくてね、去年の健康診断で糖尿予備軍って言われちゃったんだよ…」と嘆く。
そして、「何事もバランスなんだよね」と、あたしだけじゃなく自分にも言い聞かせているみたいに呟いた。

バランスか。なるほど。
脂肪肝だってそこそこ元気に生きている人はたくさんいるし、あたしだってそこそこ元気だ。
だけどこの先、肝炎にでもなって、ビールが、お酒が飲めなくなったら、美味しいものが食べられなくなったら、人生の愉しみの7割くらいが無くなってしまう。
生活習慣で自らの首を絞めるようなヘタだけは避けたい。どうしても。



「4、50分…」とあたしが呟くと、日野先生は、胃カメラの予約画面を見ながら、「いつから歩く?」と訊いてきた。

「来週月曜から…?」
「6月19日ね?」
「あ、やっぱり6月20日から…」
「あはは。いいんだよ、いつからでも。始めて、それを続けることが大事なんだから」
「続ける…」
「そう。じゃあ、1週間単位で帳尻合わせることにしようか」
「ん?」
「会社からの帰り道、いつもより遠回りして50分歩くのを週に5日間やるとしましょう」
「はい」
「でも祝日は仕事休みでしょ?その時は土日か祝日のうち、1日だけ平日と同じように50分歩く」
「なるほど」
「雨が降ったり台風がきたり雪が降ったり、仕事でクタクタに疲れてたりした時は、遠回りしないで帰っても良くて、そのかわり、その週の休日に50分歩く。無理しないことが続けるコツね。これならできそうじゃない?」



遠回りしなくたって25分は歩いて帰るわけだから休日は不足分の25分だけ歩けばいいんじゃないの?とか、雪?冬までやるんだ…とか、4~50分って言ったのに50分になっちゃってるとか、いろいろ思いはしたけれど、それ以上に、〝脂肪肝ってその程度で改善するの?〟という思いのほうが強かった。



「1週間で帳尻合わせ、やってみようかな…」
「よし。まずは3ヶ月。次の婦人科でのCTまでにどの程度改善されるかだね」
「はい」
「改善されなかったら食事を見直すとかカロリー計算するとか休肝日を3日に増やすとか、試せることはたくさんあるから」



最後の話は聞かなかったことにして(デブあるある)、まずは週に5日、会社帰りに遠回りして、4キロの道のりを50分で歩くってのを始めることにした。
アクティビティを記録できるよう、長らく使っていなかったアプリを最新版にアップデートして、日野先生との約束通り、6月20日の帰り道からスタートした。

初日。
歩き始めてすぐに本来の目的を忘れてしまい、普段行かないスーパーを見つけて立ち寄ったら、距離は稼げたけど時間がかかってしまった。







二日目。
本来の目的は忘れなかったが、速度が落ちないように意識するがあまり、スマホを見ずに信号のない道を選んで歩いたら、道に迷って遭難しかけた。






迷走の痕跡。


迷走の痕跡アゲイン。




日野先生。
脂肪肝を治したいので、まずは方向音痴につける薬をください。




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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院12日目 ] A先生にキレる

2017/06/12 | trackback [ 0 ] | comment [ 12 ] | がん告知まで


こんにちは、月刊ブログです。(開き直るな)
長い長い入院12日目のエントリーは前回ので終わったつもりだったのに、閻魔帳をめくっていたら、加藤さんでも福岡さんでもない人に面と向かってキレていたことを思い出した。
被害者は、久々の登場、意味ありげにたっぷりタメをつくって話すA先生である。



手術前日の午後、病院にやってきた母と看護師の高橋さんと一緒にカンファレンスルームに入ると、あたしを見たA先生は開口一番、言った。

「元気そうですね」
「そうですか?」
「転院してきた日にお母さんにはお伝えしたんだけど、だいぶ危なかったんだよ」
「命が」
「まっ、そういうこと。この短期間でここまでこられるとは思えないくらい酷かったからねえ」

お前の見立てが悲観的すぎただけじゃねえか?と思ったけど言わないであげた。
大人なので。

この日カンファレンスルームで行われたのは、なぜ手術をするのか、手術によってどんな効果が得られるのか、どんなリスクがあるのか、など、医師が十分な説明をし、患者はそれを十分理解したうえで同意するという、いわゆるインフォームドコンセント。
珍しく普通のテンポで話すA先生の説明によると、明日の手術の一番目的は〝破裂した左卵巣の残骸の回収〟で、その近辺で異常があれば出来る限り取りたいけれど、すべては開いてみないとわからないらしい。
「それでここからは、あくまで〝もしも〟の話なんだけど」
A先生はそう前置くと、破裂した左卵巣にある腫瘍が悪性だった場合の話を始めた。

「悪性だと思います。経験上」
「はぁ」
「その場合は、抗がん剤治療になるんだけど」
「左卵巣以外に異常がなくても、ですか?」
「前にも話があったと思うけど、卵巣が破裂したことで少なくともお腹の中に癌細胞がばら撒かれてしまった可能性が高くて、いまはなんともなくても、近い将来、また悪性腫瘍に育つかもしれない。そうならないよう、癌細胞を叩いておいたほうがいいという判断だから」
「そうですか」
「ただ、抗がん剤の効果が高いタイプの癌もあるけど低いタイプの癌もあるんだよね」
「はぁ」
「で、そのまた先の話。抗がん剤治療を終えたら、まあいろんな選択肢があるんだけど、一番いいのは、もうひとつの卵巣と子宮を取っちゃうこと。抗がん剤で叩ききれなかった癌が、残した子宮とか右の卵巣とかで育っちゃわないように取るの。オススメです」

A先生はそこまで言うと、まるで一仕事を終えたみたいに膝をポンと打ってから、「ということなんだけども、何か質問ある?」と訊いた。

質問しかありませんが、その前に文句があります。
まず、説明が雑すぎます。
〝良性だった場合〟とか、〝抗がん剤をやらない場合〟とか、〝子宮と右の卵巣を取らない場合〟とか、分岐の説明はないんですか?
まるで、手術をする前からゴールが決まってるみたいな話しぶりじゃないですか。
それ以前に、お気づきになっていないようなので教えてさしあげますけど、先生、明日の手術の説明じゃなく、卵巣がんの標準治療のことを話してますよ。
手術はどの程度の時間を予定しているのか、どこをどう切るのか、術中や術後はどんなリスクが考えられるのか、そういうのを話す場なんじゃないんですか、ここは。
それと先生、今の話をサラサラっと書いただけの紙にサインさせようとしてますけど、手術の説明が書いてない紙にあたしがサインしたところで、リスクを説明してあたしが納得して同意したことのエビデンスにならないのでは?
まあ、優れたシステムでもルーティン化されると徐々に本来の意味が薄れてきて、やがて目的が〝十分に説明して理解させて同意を得る〟から〝サインをもらう〟に変わってしまうこの感じ、〝仕事あるある〟ですけども。

それ以前に、〝がんの再発リスクを低くするために生殖機能を失うことがこの業界では常識だよ〟みたいな物言いに、どうしようもなく苛々していた。
それにあたしは、教科書にどう書いてあるのかを教えて欲しいわけじゃなく、結論だけを聞きたいわけでもない。
親身になってくれとか、医者は患者に寄り添うべきとか言いたいのでもない。
単純に、〝いつかの誰かの卵巣がんの話〟ではなく、〝あたしの病気の話〟を聞きたいのだ。
もちろん、過去の症例と照らし合わせてわかることもたくさんあるからそういう話をするのだろうけど、だったら、事実と予測をちゃんと切り分けて喋れ。
選択肢を示して、それぞれのメリットデメリットを語れ。
それらを端折るくらいなら喋るな。
端折ったあげくに、まるで美味しいラーメン屋を勧めるみたいな口調で、「オススメです」とか言うな。
〝医者〟っていう肩書きだけで、自分が言うことを患者がみんな鵜呑みにすると思うなよ。
……と、胸の内で悪態をつきつつ、どこからつっこむかを考えていたが、その前に、かねてからなんとなく気になっていたことを訊いてみた。



「私、子ども産んでないんですが、右の卵巣と子宮が癌じゃなくても、取ったほうがいいんですか?」



誤解のないように書くと、子どもを産みたくて訊いたわけではない。
20年以上前からなんとなく自分は結婚できないだろうなあと思っていて、他人と一緒に歩む未来が想像できないまま、気づけば45歳になっていた。
これまで、子どもが欲しいと思ったことがないわけじゃないけれど、積極的に子どもをつくろうと思ったことは一度もない。
45歳の自然妊娠確率は1%程度らしいし、それがつまり〝ほぼゼロ〟を意味すると理解もしているけれど、同時にそれは、〝全くのゼロとは言えない〟という一縷の望みを与えてくれる希望の数字でもある。
実際あたしは、年齢的に厳しいことはわかっていても、妊娠の可能性が完全には消滅していないつもりでいた。
子どもを産む気のないあたしでもそうなのだから、世の中の子どもを産みたい45歳女性にとっては、大事な大事な、尊い1%だ。
さて、1%の可能性を持っているはずの推定卵巣がん患者のデリケートな問いに、婦人科医はなんと答えるのだろう。

A先生は、あたしとカルテを交互に見ると、たっぷりとした間を取って言った。

「年齢的に……ない……から……ね……」
「はぁ」
「…………」
「え?」
「ん?他にも質問あるの?」

「年齢的にない」のひとことで終わるとは思っていなかったので続きを待っていたのだけれど、どうやら話はこれで終わりらしい。
A先生は胸ポケットに挿していたペンを抜いて、差し出した。
それを受け取ったあたしは下を向いて細く長く息を吐き、落ち着いたところで顔をあげると、A先生の目を見て言った。



「リスクの説明もされてないのにサインしろと?」



婦人科医にとっては日常でも、患者にとっては非日常。
婦人科医にとっては仕事でも、患者にとっては人生最大のピンチなのだ。
卵巣がんだと言うのも、子宮と卵巣を取るのを薦めるのも、妊娠は年齢的にないと切り捨てるのも、A先生はこれまで何度も何度もしてきた仕事なのだろうけど、あたしにとってはすべてが初めてで、すべてが最悪。
だからこそ、いまのこの場を〝手慣れた仕事のひとつ〟にされたくはない。
そもそも、〝手慣れた仕事〟だからって手を抜いていいことにはならないのだ。
もう。どいつもこいつも、働きたいのに働けないあたしの前で、働けるのに働かない姿を見せるな。

45歳女が放つ不穏な空気に気圧されたA先生は明らかに慌てはじめ、手術は左卵巣残骸の回収だけで3時間を予定していること、他の異常が見つかった場合に備えて外科もスタンバイしていること、出血や感染症や術後の血栓のリスクなど、それはもう丁寧に丁寧に説明し、あたしの質問に答え終わるまで15分かかった。
最初からそうしてくださいよ、先生。
もしもあたしが、〝こんなに傷が大きいなんて聞いてない!〟とか、〝こんな傷がついちゃ嫁にいけない。責任取れ!〟とか言っちゃうようなヤツだったらどうするんですか。



十分な説明を受けられたこと、素人のあたしでも十分理解できたことで安心した。
穏やかな気持ちで、同意書にサインすべくペンを取った。
すると、あたしが日付を書き入れているのを見ながらA先生が言った。

「さっき、子どものこと訊かれたけど」

ああ、やっぱり続きはあったんだなと思い、ペンを止めてA先生を見た。
すると、A先生は邪気のない笑顔で続けた。



「MYKさん、そういうお相手がいるん……」



「いねえけど」



高速でキレた。




ちなみに母は、A先生が右の卵巣と子宮を取る話をした時からずっと泣いていた。
母は、たとえ病気にならなくても、45歳になった我が娘が自然妊娠する可能性はほぼゼロなのだという現実など知らなかっただろうし、だから、〝娘はそのうち子どもを産む〟と思い込んでいただろう。
お母さん。
あたしは、子どもを産むためにがんばる人生ではなく、お母さんより先に死なないためにがんばる人生を選びます。


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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院12日目 ] にゃにゃーつの人

2017/05/13 | trackback [ 0 ] | comment [ 12 ] | がん告知まで


エレベーターに乗って坂口先生と一緒に病棟に戻ると、すぐに看護師の高橋さんが声をかけてきた。
「あれ…。MYKさん、ひとりですね…」
病棟に戻ったら誰かに言われるかもしれないなあとは思っていたので、ぼんやり用意していた答えを言ってみた。
「はぐれちゃいました」
いろいろ端折ってるけれど、まったくの嘘ってわけでもない。
〝ちょっと聞いてくださいよー。福岡さんってば、ATMでお金おろすとか言ってバックレやがったんですよ!で、探した探したー〟みたいな訴え方も、やろうと思えばできたけれど、そもそも、はぐれるという状況があり得ないわけで。
これだけを言えば、勘のいい病棟の看護師さんたちは察してくれると確信しての一言だった。
言葉にしなければわからないことはあるけれど、さほど言葉を重ねなくてもわかることだってたくさんある。

「ごめんなさい。大丈夫でしたか?」と、心底申し訳なさそうな顔で高橋さんが訊いてきたので、「大丈夫。ただ、久しぶりに歩いたら疲れました」と返すと、それまで横で黙って立っていた坂口先生が、「じゃあ高橋さん、よろしく頼みます」と言って、病棟とは違う方向に去っていった。

「坂口先生、いつもは階段なんですよ」
「え?」
「エレベーターは使わないんです。MYKさんがひとりだったから一緒に乗ったんです、きっと」
「なるほど」
「ひとりにしてしまって本当にすみませんでした」
「いえ、却ってゆっくり見られました」
「欲しいものなかったんですか?」
「そうだ。カップ麺が食べたいんですけど、病棟にお湯ってあるんですか?」

動けるようになって日が浅いあたしはまだ教えてもらっていなかったけれど、通常であれば入院時に病棟内の説明をしているそうで、高橋さんは、「気がつかなくてすみません」とまた謝りながら、お湯のある場所や食べる場所、食べ残しの捨て方などを教えてくれた。
「じゃあ後でまたコンビニに行って買ってこよう」とあたしが言うと、高橋さんは、「その時は責任を持って私が付き添います」と頭を下げた。



何事もなくひとりで病棟まで戻ってこれたのだから結果オーライだけど、もしもあたしが倒れでもしたら、福岡さんは自分がその場にいなかったことをどう説明するつもりだったんだろう。
聞いた誰もが不可抗力だと認めるような、巧い理由でも考えていたのだろうか。
何かあった時に問題にされるのは〝持ち場を離れた〟という事実だけで、持ち場を離れた理由は〝言い訳〟と切り捨てられるだけなのに。
んー。福岡さん、ノープランだった気がするなあ。
だってものすごく詰めが甘そうだもの。
悪知恵が働く人は怖いけれど、福岡さんみたいに、悪知恵が働かないのに平気で仕事をサボる人も、頭のネジが何本か外れていそうで怖ろしいし、関わるのが面倒くさい。

福岡さんへの悪態を胸の中で吐き尽くし、伏魔殿のごとき病室に戻ると、あたしのベッド以外はカーテンが完全に開かれていて、思い思いの場所に腰かけていた三人は一斉にこちらを向いた。
その雰囲気に圧されて、言った。
「ただいま戻りました」
ほんの挨拶というか、ただの報告というか。
気まぐれに言ってみただけで、言葉以上の意味はまったくない。
なのになぜか三人は、満面の笑みで拍手をした。
こいつらの行動、全然読めねえ。

なんの拍手だよ!とは思うのだけれど、なんとなく訊きたくない。
これまでの扱われ方からすると、ものすごくくだらないか、ものすごく嫌味な拍手のような気がするし、どちらにしてもどうでもいい。
そもそも、加藤さんがギャーギャー言っているのが鬱陶しくてコンビニに行ったのだ。
30分かそこら経ったくらいで、きつねそば事件などなかったかのように笑顔を向ける三人は不気味で、しかも、ただ拍手をするだけで何も言わないのが腹立たしい。
しょーもない理由で拍手してるんだろうに、〝驚いて!〟とか〝なんですか?って訊いて!〟とか、こっちのリアクションを心待ちにしてる感じが煩わしくて面倒で、だからあたしは、真顔で無言で首を傾げただけで自分のベッドのカーテンを開けると、すぐにシャ!っと閉めた。性格が悪いので。
ただしこのカーテンは、伏魔殿との結界にはならない役立たずなので、案の定タケちゃんが話しかけてきた。



「麻酔科医の先生が来る前に戻れたわね!おめでとう!」(再び拍手)



あらやだ。想像をはるかに上回るしょーもなさだわ。



この、これまでの流れを一切汲まないフレンドリーさがとても嫌。
たとえるなら、カックンブレーキ癖のある人が運転する車の後部座席に乗った時みたいな疲労感がある。
同室の三人とは断固喋りません!というわけじゃない。
三人の気分に振り回されながらがんばってコミュニケーションをとる、ということをしたくないだけだ。



「おめでとう!」と言われたけれど、ありがとうございます!と返したら話が膨らみそうだったので、「まだ来てないんですね」と静かに言うと、御大の声が聞こえた。

「なかなか帰ってこないから、看護師さんに、『早く連れ戻しなさいよ』って言ったところだったのよ」

期待を裏切らないモンスターぶりに思わず吹き出しそうになったが、ぐっと堪えて言う。
「そうなんですかー」
加藤さんの過干渉、ご家族は大変だなぁ。
あたしが加藤さんの娘だったら、小6で家出して中1で金髪になって中2で子ども産んで、今頃は孫もできて若いおばあちゃんになってるよ。
…って、幸せそうじゃねえかコノヤロウ。



同室の三人がなぜか首を長くして待っていた麻酔科医は結局、15時頃にやってきた。
若くてかわいい女性麻酔科医は、細かすぎる問診のあと、硬膜外麻酔の説明を始めた。
全身麻酔は人生で初めてだし、麻酔だって歯医者でしかしたことがない。
無知なあたしが説明を聞いて最初に思ったのは、〝硬膜外麻酔って、背中に管いれるんだ…!〟ということだった。
硬膜外麻酔という単語は知っていたけれど、それは何か特殊なもので、一般的な全身麻酔は、医療ドラマでよく見る……というか、ドラマ『医龍』で阿部サダヲ扮する麻酔科医が、「ひとーつふたーつ…にゃにゃーつ。はい、おちたー」と言う時に患者の口にかぶせてるマスクから始まり、あとは静脈に点滴でもするものだと思っていた。
いまは、全身麻酔といえば硬膜外麻酔なのね。
説明をし終えた女性麻酔科医は、「最後なんですけど、口の中を見せてください」と言った。
問診で差し歯の有無を訊かれたので、差し歯を見るのかと思いきや、術中、酸素を送るため気管に管を入れるのだけれど、それが入りにくい喉の人がいるのでその確認だという。
そうか。喉に管入れられるのか。
救命救急のドラマでよくある、「気道確保!挿管準備して!」ってやつだねー。
救急じゃないから怒鳴ったりしないだろうけど。



ドラマの中のことが自分の身に起きるというのに、その時あたしは眠らされている。
それがつくづく残念に思えた。



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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
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