[ 入院12日目 ] ハカマイル

2017/04/20 | trackback [ 0 ] | comment [ - ] | がん告知まで


先月のお彼岸、母とふたりで墓参りに行った。
その日は朝から快晴で車の中は暑いくらいだったけれど、高台の墓地に着いて車を降りると、春だと浮かれるあたし達を嗤うように、冷たい風が肌に突き刺さった。
我が家の墓参りはいつも呑気で陽気だ。
この日も、「赤いガーベラ買えばよかった」とか、「来年の春はチューリップオンリーにしてみようか」とか、「それ、去年も言ってなかった?」「そうだっけ?」とか、どうでもいい話をしながら雑草を抜いたり墓石を拭いたりして、それに飽きた母の、「このぐらいでいいね」を合図に墓石に向かい、ふたりで手を合わせた。
お彼岸やお盆や命日にはいつもそうしているわりに、あたしも母もいまだかつて、〝ここにお父さんの魂が眠ってる〟的なことを思ったことがないし、亡くなって20余年経っているせいか、〝故人の供養〟という意識もない。
信心深い人には叱られるかもしれないが、あたしと母にとって墓参りは年中行事の一環に過ぎない。
大みそかに年越しそばを食べるような、玄関に注連飾りを吊るすような。
念のため書くと、お墓にお父さんはいないし、かといって、千の風になってあの大きな空を吹きわたってもいない。
20余年、我が家にとっての墓参りとはそういうものだった、
なのに、あたしが入院した2012年12月、母はなぜかひとりでお墓にきて、「MYKちゃんを連れていかないで」と、泣きながら父にお願いしたという。



母は何年かに一度、こういう、ドラマや映画に出てくる〝母親らしい母親〟がやりそうなことをする。
だけどその後で、ボケたのか?!と思うくらい何度も、〝雪が降ってもおかしくないくらい寒い日に、バスと電車を乗り継いで長くて急な坂をのぼって、やっとのことでたどり着いたお墓で、お父さんに、「MYKちゃんを連れていかないで」って泣きながらお願いした私〟の話を涙ながらに語り散らすので、それはもう本当に、とてもとても鬱陶しい。
しかも話すたび、〝雪が降りそう〟が〝雪が降ってた〟や〝吹雪〟になったり、〝泣きながら〟が〝泣き崩れた〟とか〝墓にしがみついてオイオイ泣いた〟になったりという過剰演出が加わる。
だからあたしにとってこれは、〝韓流ドラマの見過ぎだな〟と突っ込みたくなる、ウザおもしろい話になっている。
でも、初めてこの話を知った時の印象は全く違う。
それは、入院12日目の午後、仕事ができるのに仕事をしない看護助手・福岡さんの、無責任な仕事ぶりを目の当たりにした直後のことだった。



無闇に頼ろうとするから失望するんだ。
福岡さんの言動には不安しかなかったじゃないか。
どれだけ弱っても、頼る相手を間違えるな。
横着して、これ以上自分の心を傷つけるな。
迂闊な自分を胸の内で戒めながら、猛スピードで向かってくる人波を慎重によけつつ、ひとり、コンビニへと歩き始めた。

そして、外来の喧噪の手前を左に曲がったとき、母からのメールを受信した。

お墓にいます。お父さんに、MYKちゃんを連れていかないでって一生懸命頼んできたよ。いまから病院にむかうね

過剰演出バージョンを散々聞かされた今では、その光景を思い浮かべるたびに笑ってしまうのだけれど、このメールを読んだ当時のあたしが感じたのは、母の精神状態の危うさだった。

やだ。なにこれこわい。
だって、そんな人じゃない。
どんなに大変な時だって、お墓に向かって何かをお願いしたことなんてないじゃない。
それとも、口に出さないだけでいつも何かを話しかけてたの?
いや、ないな。
お願いごとがあったら、手を合わせながら口に出して喋っちゃうタイプだもん。
だいたい、ひとりで墓参りに行くこと自体、普段ならあり得ない。
だってお母さん、お彼岸やお盆に最寄駅から出てくるお年寄りを見ては、「私、車じゃなかったら絶対来てないわ、こんな辺鄙なとこ」とか、バチあたりなことばっか言ってるじゃないかー。

母の突飛な行動に驚かされるのは初めてじゃないけれど、それにしても、毎日泣き続けてた母が思い立って行動したのが墓参りというのは、キャラになさすぎる。
だから、母を現実に引き戻すべく、すぐさま返信した。

帰り道、いつものお店でおにぎり買ってきて。鮭の。

墓地のすぐ近くにある個人商店で売っているおにぎりは母とあたしの大好物だ。
いつもなら迷わず山椒入り生唐辛子の具を選ぶけれど、弱った胃腸にはさすがに刺激が強すぎる。
ああでも、ふんわり握られたあのおにぎりなら食べられそうだ。

コンビニに入り、日用品コーナーの充実ぶりに感心していると返信がきた。

鮭4つ買った!

元気でも4つは食べませんがー。



話は先月のお彼岸に戻る。
墓参りを終え、どこかでお昼ご飯を食べようということになった。
「餃子無料券があるからラーメン屋」というあたしの案を無視した母は、とあるイタリアンレストランに行きたいと言った。
おいしいイタリアンを食べながらアルコールが飲めないなんて何の罰ゲームだよと運転手のあたしが抗議してこれも却下。
渋滞にハマりながら肉だ寿司だ中華だと言っているうち、始まりの時間になった。



三連休の最終日であるこの日、楽しみにしていたラジオ番組があった。
それは、NHK-FMの、『今日は一日“失恋ソング”三昧』
NHKアナウンサーの有働さんが企画し進行もして、失恋をテーマにゲストと語りつつ、ゲストやリスナーの思い出の失恋ソングも流す10時間の生放送……なんて、絶対おもしろいに決まってる。
墓参りからの帰り道、お昼に何を食べるかを話しているうちに番組が始まる時間になったので、スマホでradikoを起動した。

母とふたり、「懐かしー」「これ知らなーい」「サビ聴けばわかるよ」「あ、わかった!」などと喋りながら、ときどき歌ったりもした。
番組開始から約2時間のゲストは石田ゆり子さん。プライベートでも親交があるという有働さんとの会話は、年相応に落ち着いていながら楽しくて笑えて、何時間でも聴いていられる心地よさだった。
声質って大事。むやみに声を張らない大人って素敵。

NHKだけど、恋愛を語ればおのずと、TBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の話にもなるわけで、男性アナウンサーのやんわりとした静止を振り払って有働さんは『逃げ恥』を語り、石田ゆり子さんが演じた百合ちゃんの名言についても話題にのぼった。
そこからの星野源である。
リスナーからのリクエストで、〝それまでなんとも思っていなかったのに、この曲を聴いてから星野源さんが好きになった〟というエピソードを有働さんが読みながら、石田ゆり子さんとふたり、めずらしく声を張って、「〝それまでなんとも思っていなかったのに〟の部分は余計だ!」と猛抗議しているのを聴きながら、「確かに」と笑っているうち、その曲が始まった。
それはまさかの、入院12日目にコンビニで聴いた、おそらく生涯忘れることのない曲だった。


(続きます)


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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院12日目 ] コンビニへ行く

2017/04/18 | trackback [ 0 ] | comment [ 4 ] | がん告知まで


入院12日目。
昼の病室では、きつねそばを食べるあたしに激高した加藤さんを、看護師の高橋さんがなだめている。
「だって!」「MYKさんが!」の後に、あたしでも理解できる激高の理由が続くことを期待してずっと耳をそばだてていたけれど、「もういやだ!」とか「なんにも教えてあげない!」とか、感情的な言葉しか聞こえてこない。
ちゃんと喋れ。
自分では、加藤さんを煽るかのごとくせっせと食べていたつもりだったけれど、如何せん、腹水に圧迫されて縮んだ肺の痛みで勢いよく啜ることができないから、結局のところきつねそばは少ししか減っていなかった。
食べなくては!という気持ちはあるのだけれど、箸を止めて、隣から聞こえてくる文句を聞き続けているうち、目の前にあるきつねそばが加藤さんの悪意を吸いこんで増殖していく気味の悪い食べ物に思えてきた。
うーん。この環境でも美味しく食べられるものなんてある?
思い浮かばないのを承知でそれを真剣に考え始めると、いつしか、止む気配のない加藤さんの声とそれをなだめる高橋さんの声が遠くに感じられ、名案を思いついてようやく我に返った時、あたりは随分静かになっていた。

ああ、お風呂に入ってよかった。
髪も身体もサラサラになったし、何より臭わない。
あたしは箸を置いてベッドから下りると、厚手のパーカーを羽織って、母が家から持ってきてくれた、あたしには可愛すぎるキャラクターが描かれた小さいトートバッグに携帯と財布を入れた。
すると、カーテンの向こうから高橋さんの声がした。

「MYKさん、カーテン開けますよ」

あたしが返事をするとカーテンを最小限に開けて高橋さんが入ってきた。
〝だいじょうぶ?〟と声に出さずに訊かれたので、二度頷いてから言った。

「コンビニ行ってもいいですか?」

高橋さんに声をかけられなかったら、許可を得ないで行っていた。
鬱々とした病室から出たかったし、いろんな食べ物を見てみれば食欲が湧いてくるかもしれない。
これが、あたしの思いついた、一石二鳥の名案だった。

「必要なものがある?それとも〝行きたい?〟」

高橋さんは本当に勘がいい。
あたしも声を出さずに〝行きたい〟と答えると、高橋さんは指でOKのサインを出し、「まだ配膳車が廊下にいるから、一緒にトレーを戻しに行きましょうか」と言って、病室の外に連れ出してくれた。



下膳した後、高橋さんに連れられてナースステーションの前に行くと、あたしの格好を見た看護師さんに、「MYKさん、お出かけ?」と訊かれた。
病室以外で医師や看護師さんや看護助手さんに名前を呼ばれるたび、〝あたしの名前、覚えてるんだ!〟といちいち驚いてしまう。ちっとも慣れない。
R病院の女性病棟には90人近い入院患者がいて、毎日誰かが退院し、毎日新たな入院患者がやってくるというのに、どうして覚えられるんだろう。
あたしが働いている部署にも同じくらいの人がいるけれど、顔と名前が一致しているのは、何年も一緒に働いている半数くらいの人だけだ。
何キロ先の人に話しかけてんじゃボケ!くらい声がデカイとか、塩素系漂白剤のプールに沈めんぞコラ!くらい臭いとか、悪いほうの特徴がある人ならすぐに覚えられるのだけれど、それ以外は覚えられる気がしない。
そんなあたしにとって、入院患者の顔を見て名前がわかる病院の人達は特殊能力の持ち主みたいに思えた。

「コンビニに行くんですよねー」

あたしの代わりに高橋さんが答えると、ナースステーションにいた別の看護師さんが、「じゃあ付き添い頼むから待ってて。MYKさん、マスクして行くのよ」と言って、誰かに電話をかけた。

「コンビニ行っていいんだ」とあたしが呟くと、高橋さんは、「もちろんいいです。行きましょう。でも万が一のことを考えて、看護助手さんに付き添って貰いますね」と言う。
やったー!
やったぞー!

病棟から出たのは術前検査の時だけ。
それだって車椅子に乗せられて検査室を回るだけだった。
自分の意志で行き先を決めたい。自分の足で歩きたい。
それまで普通に出来ていたことが出来なくなっていたのは短期間だったけれど、〝一生できなくなるかもしれない〟という恐怖を抱えた12日間は、絶望するほどに長かった。



病棟のエレベーターホールにあるソファに座っていたあたしと高橋さんのもとに、パタパタと騒々しい足音をたてて駆け寄ってきた看護助手の女性は、胸元のネームプレートによると、福岡さんというらしい。
歳は40をちょい超えたくらいだろうか。病棟にいる看護助手の中では若手だ。
福岡さんは、あたしの状態について説明を始めた高橋さんを、「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って」と言って制し、ウエストポーチをしばらく引っかき回した後、思い出したようにズボンのポケットからメモ帳とペンをひねり出すと、メモ帳にペン先を近づけて、「で?」と続きを促した。
福岡さんを見てから1分も経っていなかったけれど、それでも、彼女の性格が如実に表れている言動だった。

身のこなしを見ればその人の性格の大枠は想像がつくが、残念ながらあたしには、ほんの少しの情報で、〝おっちょこちょい〟だとか〝要領が悪い〟だとか、〝想像力がない〟とか〝集中力もない〟とか、〝マルチタスクにトライしてシングルタスクにも失敗するタイプ〟だとか〝有事には絶対パニくる〟とか、小枠まで決めつける悪癖がある。
それが合っているかどうかはさておき、少なくともあたしは、福岡さんのようなせわしない動きには、不安しか感じない。
福岡さんを見て、〝一生懸命やってるね〟と好印象を抱く人もいるとは思う。
だけど、職場で一生懸命さがプラスに評価されるのは、その仕事に就いてからせいぜい1年くらいで、そのあとは、〝一生懸命なのはわかるけど、でも〟という、厳しい指導の前の緩衝材に成り下がる。
もちろん、福岡さんが新人である可能性は大いにあるが、だとしても、年相応の落ち着きや気配りは求められて当然だろう。
同世代の社会人として見ているせいか、自分がメモを出すのに手間取って人を待たせてるところとか、待たせてるのに申し訳なさを微塵も表さないところとか、とにかく、福岡さんの何もかもが気に入らなかった。

その福岡さんと一緒にエレベーターに乗った。
コンビニがある1階のボタンはあたしが押した。
福岡さんは何も喋らず、あたしの半歩後ろに立って、手にしたメモ帳をパラパラとめくっている。
あたしのことを考えていないのは一目瞭然だった。
だって、説明する高橋さんを制して取り出したわりに、結局何もメモらなかったのだから。

風呂で上がった気持ちが、きつねそばで落ちて、コンビニに行けることになって再浮上したけれど、福岡さんの登場でまた落ちた。
些細なことで何をそんなに…と、今なら思える。
だけどこの時あたしは、ほんとうに福岡さんのことが嫌だった。



エレベーターが1階で停まると、あたし達の下の階から乗ってきていた男性の入院患者が、扉のすぐ横にある〝開〟のボタンを押してくれた。
「ありがとうございます」と言いながら軽く頭を下げて降りようとすると、男性は、「ゆっくりでいいからね」と優しく声をかけてくれた。
降りてから振り返ると、福岡さんはあたしに続き、男性の入院患者より先に、会釈もせずに降りてきた。
あー、気に入らねえ。



エレベーターを降り、病院の端から端まで一直線に続く長い廊下をゆっくり歩いた。
コンビニは病院のほぼ真ん中にあり、コンビニの先に病院のエントランス、そのまた先は受付や会計の窓口、外来と続く。
こちらに向かってくる人がみんな早足に見え、その勢いが少し怖かった。
もしもぶつかりそうになっても、まだあちこち痛くて踏ん張りがきかないあたしには、たぶんよけられない。
それに気づいたらますます怖くなった。
でもその弱気は、後ろから聞こえてきた福岡さんの声で吹き飛んだ。



「先に行っててくださーい。私、ATMでお金下ろしてから行きますからー」



ほんとうに福岡さんのことが嫌だった。
だって、働けるのに働いてないから。




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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。

[ 入院12日目 ] きつねそば事件

2017/04/14 | trackback [ 0 ] | comment [ 8 ] | がん告知まで


お風呂から病室に戻って時計を見ると12時半になっていた。
約束通りベッドテーブルに置いてあった昼食を摂るべく、キャビネットからお箸を出してベッドに上がる。
ほんの2日前までは、お風呂に入るのはもちろん、キャビネットからお箸を出すことだって自分じゃできなくて、この先もずっと人の世話になることを想像すると、情けなくて心苦しくて気が狂いそうになって、〝こんな人生いらないよ〟なんてことを、わりと本気で思ってたのに。
現代医療って、人間の身体ってすごい。

昼食が乗ったトレー全体を覆っているカバーを外すと、かけつゆのないきつねそばが現れた。
「遅れるかもしれない」と言ったからなのか、かけつゆは、小さな保温ポットに入れられていてトレーの横に置かれていた。なるほどねー。
どんぶりにかけつゆを注ぐと、かつおだしのいい香りがした。
つゆを吸って膨らんだお揚げも、なかなかおいしそうに見える。
元気だった時のように、ズズッ、ズズッ、ズズズーーーーっと啜ることはできないけれど、チュルチュルくらいはできそうだ。
〝これなら食べられるかも〟
そう思って箸をつけようとしたとき、隣から、またあの声が聞こえてきた。

「おそば、美味しくないから食べなくていいわよ、MYKさん」

まったくもう。面倒くさい人だなあ。
加藤さんの声を聞き、松田さんとの雑談でほぐれた心がキュ!っと硬くなった。
でもだいじょうぶ。だってあたしにはあの言葉がある。

「そうなんですかー(チュル)」
「え?食べてるの?せっかく教えてあげたのにどうして食べるの。美味しくないって言ったでしょ」
「そうなんですかー(チュル)」
「ねっ、美味しくないでしょう?だから食べなくてもいいって教えてあげたの!つゆだけ飲めばいいのよ」
「そうなんですかー(チュル)」
「ちょっと!聞いてるの!?こんな不味いもの食べなくていいって言ってるのよ!!!」
「(チュルチュルチュルチュルー)」
「MYKさん!!!」

なにこの反応。おもしろいんですけど。 (性格悪いぞ)

いつもは声を張らずに、抑揚もなく嫌なことばかり言っている加藤さんが激高している。
なぜだ。何があった。

っていうか、このきつねそば、言うほど不味くないよ。
もちろん高級そば店の味じゃないけれど、このくらいのきつねそばを出すお店、いっぱいある気がする。
ああそうか。立ち食いそばっぽいんだ。
まあ、加藤さんは高級なお店でしか食べたことないのかもしれないけど、いまどきの立ち食いそば屋はそれなりに美味しいもんねー。
そんなことより、加藤さんが不味いと感じたものをあたしが平気で食べたところで、加藤さんに何の影響があるのよ。
冷静に考えてみて。ここまで必死に阻止する理由なんてないから。
だって、「美味しくない!」「不味い!」と大声出してあたしの食べる気を削いだところで、いったい加藤さんのどんな欲求が満たされるの?
加藤さんがここまで怒る理由が本当にわからなかった。

あたしが加藤さんの言うことを聞かないから怒ってる。ということはわかるのだけれど、赤の他人が、しかも昨日今日知り合ったばかりのあたしが、自分の意のままに動くと思っているほうがどうかしているし、こんなに激しく怒るなんて、本当に頭がオカシイか酔っぱらってるか以外、考えられない。

そんなことを考えながらもあたしは、きつねそばを啜るのをやめなかった。
加藤さんの思い通りに動く気はもちろん、加藤さんの言葉を信じたフリだってする気はないし、何より、チュルっと啜ればワーワー言い、チュルチュル啜ればキーキー言う加藤さんのことが、ちょっとおもしろくなっていた。
なにしろあたしは、加藤さんよりずっと性格が悪いのだ。
それに、相変わらず食欲はないけれど、お粥を食べられた時点で点滴は外されていて、医師や看護師さんからは、「手術まではとにかく食べて、少しでも体力を戻すこと」と言われていた。
あたしの敵は食欲のない自分自身であって、加藤さんじゃない。

あたしがチュルり続けるから、加藤さんのボルテージはどんどん上がる。
ベッド周りのカーテンは閉めたままで、姿も見えないのに、赤の他人がそばをすする音だけでよくもここまで怒れるなぁと呆れていると、騒ぎに気づいた看護師の高橋さんが病室にやってきた。

「加藤さーん、ナースステーションまで声が聞こえちゃってますよ」

さあ、なんて言い訳する?
口に入れたそばを咀嚼するのをやめてじっと耳を澄ました。
が、加藤さんの答えを聞いて、あやうくそばを噴き出しそうになった。



「だって!MYKさんがおそばを食べるんだもの!」



大丈夫だろうか、加藤さんは。
あたしがわからないだけで、看護師さんには意味が通じてるの?と思ったけれど、高橋さんが、「うん、それで?」と先を促したってことはやっぱり通じてない。
〝口数が多い説明下手〟も〝声のデカい説明下手〟も嫌いだけれど、〝口数が多くて声のデカい説明下手〟は、好きとか嫌いとか以前に、珍妙だった。

なんとか堪えて噴き出さずに済んだそばを静かに飲み込んだ。
そして次は、長めに頑張った。



「(チュルチュルチュルチュルーーーーー)」
 (性格悪いぞー)



「また食べてる!やめなさいっ!」



加藤さんがここまで荒ぶった理由がわかるのは、それから3日後のことだった。



▶ 読了 - 2017/04/13
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■ 経緯

2012年12月:ひどい腹痛と呼吸困難で総合病院の救急外来へ。入院。左卵巣が破裂していると言われる。転院。余命1ヶ月未満と診断される。破裂した卵巣の摘出手術後、左卵巣がん(類内膜腺がん)3c期と告知される。抗がん剤治療開始。

2013年01月:ヅラをかぶる。
2013年02月:「ヅラが飛びそうな強風のため」という理由で休もうとするも会社のボスに却下される。
2013年05月:抗がん剤治療終了。
2013年07月:子宮、右卵巣、リンパ節などの摘出手術。
2013年08月:再び抗がん剤治療開始。術後腹壁瘢痕ヘルニアの予兆。
2013年10月:抗がん剤治療終了。月1回の通院で経過観察へ。術後腹壁瘢痕ヘルニアと診断される。

2014年02月:術後腹壁瘢痕ヘルニア手術。
2014年04月:CTの結果を経て、すべての治療終了。
2014年10月:抗がん剤治療終了から1年経過し、通院が2ヶ月に1回となる。ヅラを脱ぐ。
2014年11月:健康診断で人生最重量を記録する。